まるで“魔法のシューズ”だ。
 そのシューズを履いて走りだした瞬間、今まで味わったことのない感覚に襲われる。足にバネがついたかのように、ポーンと前に押し出されるのだ。それでいて着地の際にはきっちりと地面をとらえ、衝撃を吸収してくれる。そのまま走っていると、あたかも足に羽根がついたような錯覚に陥る。身も心も軽やかに、ランニングが楽しくなってくる。

(写真:2014年秋冬モデルの「energy boost 2」 製品写真提供:adidas)
 反発力と衝撃吸収を両立

 adidasが開発したランニングシューズ「boost(ブースト)」シリーズは、昨年2月の「energy boost」の発売以降、世界中のランナーに驚きを与えている。昨年の東京マラソンではboostを履いた選手がワンツーフィニッシュを果たし、トップクラスはもちろん、一般の市民ランナーも自己ベスト更新のアイテムとして急速に広まった。サッカーの香川真司、野球の坂本勇人ら他競技のアスリートもランニングのトレーニングで愛用している。

 boostシリーズはいったい、どこが革新的なのか。
「靴底を見てください」
 そうboostシリーズのシューズを片手に話してくれたのがadidas Japanの荒川正史(Runningビジネスユニット カテゴリーマーケティングシニアマネジャー)だ。靴底は見た目は発泡スチロールのごとく白い小さな粒々が集まってできている。これがboostシリーズの肝となる「ブースト フォーム」である。
(写真:二宮も「energy boost 2」を履いてジョギングを行っている)

「これまで30年以上、ランニング用に限らず、さまざまなスポーツシューズのソール部分には加工しやすいEVA(エチレン−酢酸ビニール共重合樹脂)素材が使われてきました。しかし、EVAは外気温による影響で変化しやすく、長く使っていると耐久性の面でも問題がありました」と荒川は明かす。adidasが新素材の開発に乗り出したのは2003年から。ランニングシューズに求められるのは、蹴り出しの際の反発力と着地時の衝撃吸収性だ。従来はEVAに部位に応じて別素材をくっつけることで、反発力や衝撃吸収の機能を付加していた。別素材を足すと、必然的にシューズの重量は重くなる。

 2つの機能を同時に満たす素材はできないものか……。着目したのがTPU(熱可塑性ポリウレタンエラストマー)だった。TPUは軽量で、かつ強度が高く、温度変化にも強い特長がある。身近なところでは車のスノーチェーンやホース、携帯電話ケースに活用されている。スポーツ用品でもスノーボードやゴルフボールの表面を覆ったり、サッカースパイクの靴底にも使われてきた。

「ただ、TPUをそのままランニングシューズのソールにすると、やや硬すぎる。どうすれば、適したかたちに加工できるのか試行錯誤が続きました」(荒川、以下同)
 開発に光が差し込んだのは2010年だった。adidasのテクノロジーパートナーである化学会社のBASF社が、TPUを一度発泡させ、米粒大の粒子に加工することに成功した(左写真)。さらに3年の年月をかけて研究を進め、この米粒大の粒子を特殊製法によって圧着することで、反発力と衝撃吸収性に優れたソールが誕生したのだ。

「ブースト フォームは気温−20度から40度まで、ほぼ硬度が変わりません。ひとつの素材でソールがかたちづくられていますから、圧力を加えると、まるでトランポリンのように沈み込んで衝撃を吸収してくれます。そこでたくわえられたエネルギーを前への推進力に変えてくれるんです」と荒川は説明する。27センチのシューズで約2500粒が使われているが、先述した発泡スチロールのようにボロボロとはがれおちることはない。ブースト フォームは耐久性にも優れており、ソールにつけたラバーが摩耗しない限り、新品と変わらぬ機能性を維持できる。

「これまでのランニングシューズは長く使っていると、どうしても素材がへたってきて反発力や衝撃吸収の機能が落ちていました。だから最初は快適でも、だんだん足が痛くなってきたりする。でも、ブースト フォームではそれが起こりにくいです。これもランナーの方が使ってみて実感するポイントではないかと感じています」

 レベルに応じたモデルは10種類以上

 boostシリーズはランナーのレベルに応じ、今や10種類以上のモデルが出ている。主力である「energy boost」は、市民ランナーで最も多いフルマラソンを5時間台で完走を目指す人向け。トップランナー用にはソールを薄くして、より軽量化を図り、初心者用には逆にソールを厚くし、かかと部分が着地の際に動く構造になっている。「特に男性は骨格の関係上、かかとの外側から着地する傾向があります。そこから足裏全体で蹴り出す動作に入るのでヒザや腰に負担がかかってくる。かかと部分が外側に動くことで、負担が軽減されます」と荒川が語るように、ランナーの段階に応じて細やかな配慮がなされている。
(写真:モデルによってソールのラバーの形状や配置もそれぞれ異なる)

 ソールのみならず、アッパー部分にもadidasはこだわっている。ランニングをしていると着地時には全体重が足に乗り、膨張する。したがって足を締めつけすぎないことが重要だ。かといって緩すぎると、シューズの中で足がグラグラして走りにくい。boostシリーズでは特殊なストレッチ性の素材をペースにしつつ、ウレタン素材を各パーツにとりつけ、伸縮性とフィッティング性を両立したアッパーを搭載している。これは「techfit(テックフィット)」と呼ばれるadidasのコンプレッションウェアに使われている技術を応用した。通気性が高く、伸び縮みして動きを妨げない一方で、フィッティング性にも優れている。「ただ、ランナーが見た目で通気性が良さそうに感じるのは、やはりメッシュ素材です。そこで今回の秋冬モデルでは、同じストレッチ素材でありながら、メッシュ地に加工を施しました」と荒川が言うように、boostシリーズは進化の途上にある。

 2003年から足掛け10年かけて完成したブースト フォームは、今後、ランニングシューズ以外にも応用が期待されている。既にバスケットシューズには、このブースト フォームが搭載されたモデルが発表された。「すべてのアスリートのために最高の一足を提供する」とのadidas創業者アドルフ・ダスラーの理念に基づき、他競技でもより快適に、よりパフォーマンスを高めるために、このテクノロジーが広まっていくことは間違いない。

 創業者アドルフは若い頃、陸上競技に取り組んでおり、自身にとって最適なシューズをチューンアップしていたことが、会社を立ち上げるきっかけとなった。その意味でランニングシューズはadidasの原点とも言える商品だ。

「創業以来、アスリートをはじめ、使っていただいている皆様の声に耳を傾けながら、商品を開発してきました。今後も、それは変わりません。より速く、より楽しく走れるお手伝いをしていきたいと考えています」
 荒川の視線は先を見据えている。人々の健康志向もあり、ランニング熱は今後、一層高まるに違いない。革新的なシューズは、さらなるイノベーションを目指し、ランナーとともに未来へ向かって走り続ける。
(写真:荒川が持っているのは「energy boost 2」の女性向けモデル。デザインもカラフルだ)

>>boostシリーズの詳細はこちら[/color][/b]
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