世界のサッカー界で2014年最大のイベントは、言うまでもなくブラジルW杯でした。日本代表は5度目のW杯出場でベスト16以上の成績を期待された中、グループリーグ敗退。W杯の常連国にはなったものの、まだ安定して勝利を挙げられるレベルにないという現実を突き付けられました。
 自分にしかない“個”を磨け

 ブラジルW杯では日本サッカーの足らない部分が見えました。それは組織の上に成り立つ個です。追い込まれた時、または突き放されそうになった場合に、苦境を打開できる力強い個。たとえば、かつての岡野雅行のような圧倒的なスピードを持った“専門職”的なプレーヤーをチームに入れておくべきではないでしょうか。もしくは空中戦で負けない選手でもいいと思います。

 スピードのある選手が起用された時は前線のスペースを徹底的に狙う。高さのある選手には、ロングボールを入れてポストプレーからチャンスにつなげる。こうした攻撃は相手に対処されやすくはあるものの、やり続ければズレを生じさせることもできます。これまでの日本は相手のシンプルなサッカーにどう対応するかを重視してきたように映ります。しかし、今後は日本も状況に応じてシンプルなサッカーを行う必要性があると感じています。

 W杯後はハビエル・アギーレ監督を招聘し、代表は新たなスタートを切りました。その中で、柴崎岳(鹿島)や武藤嘉紀(F東京)ら若い選手が選出されたことは、日本サッカーにとってプラス要因です。アギーレ監督には彼らの潜在能力をうまく伸ばしていってもらいたいものです。

 ロシアW杯を目指す上で、代表は海外組を中心にした布陣を組むことになるでしょう。海外組の選手たちは日本国内では経験できないレベルの高い舞台で戦っていますからね。ただ、繰り返しになりますが、試合でアクセントをつけられる選手を組み合わせていくことも重要です。国内組の選手は“自分にしかない個”を見つけ、それを磨いていってほしいですね。

 さて国内サッカーではガンバ大阪がJ1、ヤマザキナビスコカップ、天皇杯を合わせて三冠を達成しました。三冠は00年の鹿島アントラーズ以来、史上2クラブ目の快挙でした。三冠を獲るようなクラブの出現は、日本サッカーにとって喜ばしいことです。

 有望な選手の海外移籍増加にともなって、Jリーグの魅力が薄れつつあるのは残念ながら事実です。私は魅力を取り戻す上で、G大阪のように圧倒的な結果を出すクラブの存在は必要だと考えています。欲を言えばそうした常に結果を出すクラブが2、3チームは出てきてほしい。というのも、プロ野球でいう巨人と阪神のような構図が成り立ってほしいのです。

 巨人―阪神戦はいつの時代も見る者をワクワク、ドキドキさせます。Jリーグでいえば西はG大阪、東は浦和レッズ、鹿島。これらのクラブは優勝回数や経験値などから見て、巨人、阪神になり得えます。そこに他のクラブが“いつまでも負けているわけにはいかない”と絡んでくることで、リーグ全体が活気を帯びていくと私は見ています。

 一級品だったヤナギの動き出し

 14年は宇佐美貴史(G大阪)や柴崎など、若い人材が大きく台頭したシーズンでした。一方で、現役としての役目を終え、ユニフォームを脱いだ選手もいます。中田浩二(鹿島)、柳沢敦(仙台)は、鹿島の黄金時代を築き、代表でも重要な戦力として貢献してきました。中田は17年間、ヤナギ(柳沢)は19年間の現役生活を終えました。今はお疲れ様でしたと言いたいですね。

 中田はボランチ、センターバック、サイドバックでプレーし、ユーティリティー性が高く、攻守にわたってチームに貢献できる存在でした。中田はW杯に2度(02年、06年)出場し、海外リーグでのプレーも経験しています。その中で彼自身が感じたものを、後進を育てる上で日本サッカーにフィードバックしてほしい。素晴らしい後継者を育てられるように努力してもらいたいですね。

 ヤナギは動き出しの質が素晴らしかったですね。私は彼がまだ高校生で鹿島へ練習参加した時、一緒にプレーしたことがあります。当時から動き出しは一級品でした。ヤナギは点ではなく、線でパスを受けます。具体的にはパスをもらうために、横に膨らみながらゴール方向へ向かって走るんです。そうしてスペースをうまく利用するので、ヤナギはどこでボールに触るのかが相手DFにはわかりにくく、奪いどころを絞らせません。彼の動きだしを子供たちに教え、実践できる選手が出てくれば、日本サッカーの未来は明るくなるでしょう。

 ジーコが構築した鹿島の土台を引き継いだのがヤナギや中田らの世代です。前時代の体制から移行する中で、沈んでしまうクラブもあります。しかし、彼らはしっかりとチームを飛躍させ、華々しい結果をもたらしてくれました。これが今の鹿島の基になっています。

 今度は柴崎や昌子源などの若手が、ヤナギや中田らが築いたモノをどう引き継いでいくかが重要です。どのような構想で新しいチームづくりがされるのか。鹿島の来季を楽しみに新年を迎えたいと思っています。

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)<PROFILE>
 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザ(http://kashima-hsp.com/)の総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。
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