みなさんご存知のように、日本代表はアジアカップで準々決勝敗退となりました。せめてベスト4までは勝ち進んでもらいたかったところですが……。日本の組織力、技術の高さが結果に結びつかなかったのは残念です。ただ、立ち止まる時間はありません。6月には2018年ロシアW杯のアジア予選が始まります。選手・スタッフはアジア杯で見えた課題の分析・改善を急ぐ必要があります。
 柴崎が見せたシンプル・イズ・ベスト

 今大会で感じたのは、日本のサッカーが対戦相手によく研究されていたということです。今大会のメンバーはザックジャパン時代から選出されている選手が大半でした。ハビエル・アギーレ監督が、効果的な働きを計算できる選手を選んだ結果だと思います。しかし、代表経験が豊富な選手が多ければ、それだけ相手に与える情報も多くなります。たとえば準々決勝のUAE戦では、相手に引いて守られることで、FW岡崎慎司の真骨頂である裏への抜け出しを封じられていました。ではポストプレーに徹すればよかったかといえば、岡崎はポストプレーが得意な選手ではありません。そういった岡崎のプレースタイルがUAEにしっかりと把握されていたように映ります。岡崎の飛び出しを制限された時点で、日本は攻撃の術をひとつ消されていたのです。

 最前線の岡崎を封じられたことで、1.5列目や2列目のエリアを使った攻撃もあまり機能していませんでした。ポストプレーが得意な選手を早めに投入していれば、1本の縦パスを、左右に落としてシュートまで持ち込むこともできたはずです。まあ、UAE戦ではシュートを35本も打って1ゴールでしたから、決定力不足という要因もあります。しかし、裏のスペースを消された時の対策をチーム全体で増やしていくことが必要でしょう。

 UAE戦で最も効果的だった攻撃は、MF柴崎岳のゴールシーンです。柴崎の縦パスを入れるタイミング、走り込んだ角度、FW本田圭佑の落とし、シュートコースと全てがうまく噛みあいました。

 あの場面のように、シンプルに速くゴール前を脅かすことはとても重要です。というのも、DFはボールを奪いにこれないからです。DFの本能としては縦パスを受けた選手が落としたボールを本当は狙いたい。しかし、奪いに行けば、マークしていた選手に裏へ抜け出されます。その予測があるので、DFは動くに動けないのです。そうなると落とされたボールには周囲の選手をプレスにいかせるしかないのですが、タイムラグが生じて結局は攻め手に時間とスペースを与えてしまいます。

 日本としては柴崎のゴールが生まれた時のような攻撃を、よりスムーズに仕掛けられるようになってほしいですね。

 吉田、森重に求められる対応能力

 もちろん、アジア杯で見つかった課題は攻撃だけではありません。守備においても、改善すべき点があります。UAE戦の失点シーンは、右サイドからDFの裏へボールを送られ、抜け出したFWアリー・マブフートに決められました。あの場面でのDF吉田麻也とDF森重真人の対応は、お粗末だったと言わざるを得ません。ラインコントロールをする中、CB2人の間にポジションをとられたことで森重も吉田も反応が遅れていました。どちらが対応するのかという意思疎通が十分ではなかったのでしょう。ただこの場面のみならず、これまで日本が苦戦した試合では、CBのパフォーマンスが良くなかったことが多いと私は考えています。チームの守備を支えないといけないポジションが、一番のウィークポイントになりつつあるのです。

 森重、吉田にはもっと個の対応能力を高めていってもらわないといけません。まずボールと相手の位置を踏まえてのポジショニング、相手との適切な間合いを見極める精度を向上させる。これらがレベルアップすれば、相手のアクションに対する反応が速くなります。ポジショニング、間合い、反応を踏まえた“予測”を高いレベルで行えば、自身のみならず、周囲の味方も2つ、3つと先のことを考えることができるのです。経験による部分も大きいですが、そうした対応能力が上がってこなければ、世界基準には達しないと思います。

 攻守はどちらも勝利する上で大事な要素です。しかし、まず負けないためには、守備を安定させること。90分間をしっかり耐えられるバランスを構築した上で、どう得点を奪って勝利をつかみとるか。攻撃はシチュエーションに応じて、いくつものかたちが考えられます。しかし、守備は自分の役割を整理できていなければ、適切な反応ができません。相手は反応が遅れたところを突いてきます。そうした反応の遅れが少しでも短くなるように、彼らには意識を高めていってほしいところです。

 もちろん、森重や吉田だけではなく、日本の選手ひとりひとりが個の能力を高めていかなければいけません。日々のトレーニング、練習試合、公式戦で何ができて、どこができなかったのか。そうやって常に自分のプレーを分析していってほしいですね。

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)<PROFILE>
 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザ(http://kashima-hsp.com/)の総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


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