二宮: ご無沙汰しています。現役を引退されてから、ゆっくりお話をするのは初めてです。今回はこの「那由多(なゆた)の刻(とき)」のソーダ割り、Soba&Sodaを飲みながら、楽しく話を伺えればと思います。
弘山: よろしくお願いします。オリジナルのグラスに入れると、なんだか雰囲気が出ますね。初めていただきましたが、まろやかでソーダとよく合います。味や風味が引き立っておいしいですね。

二宮: お酒はよく飲みますか?
弘山: 今は週に5回ほど(笑)。焼酎、日本酒、ワインにビールも飲みますよ。

二宮: 相当お好きなようですね。陸上選手はお酒の強い方が多い印象があります。
弘山: そうですね。結構、お酒好きは多いと思いますよ。この間も市民ランナーの大会に出たんですが、そこに参加していた長距離選手は、みんなジョッキが1リットルサイズでした(笑)。それで、がぶがぶ飲んでいたのでビックリしましたね。

二宮: 瀬古利彦さん、増田明美さんなど、マラソン選手はよく飲みましたね。あれだけの練習をしたら、そりゃあ1杯ぐらいいきたくなりますよね。
弘山: そうですね。私も現役時代は奄美の合宿に行くと、練習後はよく焼酎をお湯割りで飲んだりしましたね。

 嬉しかった名古屋、悔しかった大阪

二宮: 競技生活28年間でマラソンは15戦しました。一番印象に残っているレースは?
弘山: 名古屋国際で優勝した時と、シドニーオリンピックの選考会を兼ねた大阪国際で2位になったレースですね。

二宮: 2006年の名古屋ではマラソン10戦目にして初優勝でした。
弘山: 序盤から渋井(陽子)さんが飛び出したんです。たしか30キロ通過のところで、私は1分ぐらい遅れていました。それをゴールまで1キロあたりで追いついて、最後は逆転で優勝した。一番うれしかったレースですね。

二宮: 大会歴代2位(当時)の2時間23分26秒。あれは本当に強い選手の走りでしたね。一方、99年の大阪国際はリディア・シモン選手とデッドヒートの末、敗れました。
弘山: うーん、あれは悔しかったですね。

二宮: 終盤にスパートをかけ、一時は独走したものの、最後に逆転を許しての2位。シモン選手が後ろにきているのはわかっていましたか?
弘山: 追いついてきていたのは、なんとなくしか、わかっていませんでした。残り500メートル付近で追いつかれた時は、トラックの最後200メートルぐらいで勝負できるかなと、私も切り替えたんですが、シモンは強かった。レース後は足が棒になるというか、足と手の感覚がなくなってしまいました。

二宮: それほど力を振り絞ってのラストスパートだったんですね。“たられば”ですが、勝っていたらオリンピックにも出られていたかもしれない……。
弘山: どうですかね。シモンに勝っていても、わからないですね。あの時は世界選手権で銀メダルを獲得した市橋(有里)さんが先に内定。それに先に東京国際で優勝していた山口(衛里)さんの記録は、当時日本歴代2位の2時間22分12秒と好タイムでしたからね。

二宮: もしシドニーオリンピックでマラソンに出ていたら、金メダルを獲得した高橋尚子さんとの一騎打ちになったかもしれませんね。
弘山: どうかな(笑)。皆さん、そう言ってくれますが、注目度の高いマラソンの代表はプレッシャーもものすごくかかるんです。スタートラインにきちっと立つこと自体、大変なこと。やはりどうなったかはわからないですね。

二宮: トラックと比べれば、やはりマラソンの方がプレッシャーがかかると?
弘山: あの頃は有森(裕子)さんがバルセロナで銀メダル、アトランタで銅メダルと続いていた。「次は金メダル」と期待されていた時期なので、その中で調整して結果を残すとなると、相当大変なことだと感じますね。

 マラソンよりトラックが好き

二宮: オリンピックにはアトランタ、シドニー、アテネとトラック種目で3度出場しました。どの大会が一番印象に残っていますか。
弘山: シドニーですかね。1万メートルで予選1組の5位に入り、上位20人までの決勝に進みました。ただ決勝は周回遅れの最下位でした。

二宮: シドニーではトラック種目での内定を一度は辞退して、マラソンに挑戦しました。マラソンの代表落選から気持ちを切り替えて、トラックにいくのは難しかったでしょう。
弘山: そうですね。マラソンの代表が発表されたのが3月で、5月の水戸国際のレースまでに合わせなくちゃいけなかった。気持ちが一度、落ち込んでしまったのをもう1回上げるのは大変でしたね。

二宮: その水戸では1万メートルで圧勝しました。私も取材に行きましたが、会場からは「弘山は陸連に勝った」なんて声も出ていましたね。
弘山: あの時、ありがたいことに水戸まで応援に来てくれた方がすごく多かったんです。スタンドが満員になるぐらいでした。

二宮: マラソンではオリンピックこそ出られませんでしたが、05年の世界選手権に出場し、入賞を果たしました。4度出場した世界選手権ではトラック、マラソン両種目での入賞を経験しています。両方を経験してみて、トラックとマラソンはどちらが好きですか?
弘山: トラックですね。集中して短時間で走る方が、どちらかというと好きなんです。5000メートルとか1500メートルが私自身の気持ちとしては合っていたと感じます。

二宮: 以前、お話を伺った時には、タータンを蹴る音が好きだと話していましたね。
弘山: タータンだとスパイクを履いて、地面を蹴った時にスピードがものすごく出るんですよ。その感覚がとても好きでした。特に国立競技場で走る時は相性も良かったし、スパートをかけた時にスピードがバーッと出るんですよ。それが本当に気持ちよかった。

二宮: それでもマラソンに勝負をかけたのは?
弘山: 世界と戦いたいという思いがあったんです。トラックでも世界陸上に出たり、夏にグランプリなどの国際レースにも出たりしたのですが……。すごく練習をして、海外の選手と対等に戦えるかなと挑んでみても、なかなか相手にならない。そうなった時に、マラソンでやった方がいいのかなと思ったんです。

二宮: トラック種目、特に中長距離は世界との差は大きく、メダル獲得は至難の業でしょうね。
弘山: ケニア、エチオピアなどの選手は、スパートをかける前までは、みんな楽そうに走っています。動きも軽くて、スピードも全然違いましたね。

 代表合同練習の利点と課題

二宮: 近年はマラソンでも日本は勝てなくなりました。オリンピックに限れば、女子は04年のアテネ大会、男子は96年のアトランタ大会以降、メダルを獲れていません。アフリカ勢が力をつけてきたのか、それとも日本人が弱くなったんでしょうか。
弘山: 両方でしょうね。日本はトラックの記録も全然上がっていないですし、女子はスピードもなくなっている印象を受けます。

二宮: 原因はどこにあるのでしょうか?
弘山: 選手のケガが多いみたいですね。少し厳しい練習をすると、すぐケガをする。教える方もケガが怖いから、それ以上追い込めなくなる。他にもいろいろと理由はあるみたいなんですが……。

二宮: 以前と比べて選手の体も弱くなっているんですかね。昔は鍛えて、鍛えて強くする感じでしょう?
弘山: 私の場合は中学、高校の時はずっと中距離選手だったので、そんなに長い距離を走っていなかったんです。そこで走りの基本的なことや、基礎体力をつけていきました。そして年齢を重ねるとともに距離を伸ばしていった。もしかしたら今は基礎の部分の積み上げが、少し足りないのかもしれません。選手たちの体の線も細すぎる感じがします。

二宮: 有森さんや高橋さんらを育てた小出義雄さんも昔は相当走らせていましたもんね。
弘山: そういった厳しい練習に耐えられる子がいないんじゃないでしょうか。おそらく体だけでなく気持ちの面でも弱くなったような気がしますね。

二宮: 去年の4月からは日本陸連がマラソンのナショナルチームを作り、定期的に合宿を行っています。オリンピックや世界選手権などで代表を争う選手たちが、一緒に練習する。こういった選手間の交流は、弘山さんの目から見て、いい方向に働くと思いますか。
弘山: 選手が互いに学べる面はあるでしょうね。他の選手がどんな練習をしているのか、どんな生活しているのか。ライバル同士で、“こういうことがいいんだ”とわかることもあるでしょう。でも、練習のレベルは自分のチームにいる時よりも高いはずだから、どこかで疲労が出てきちゃうと思うんですよね。それをうまく乗り越える工夫を覚えていけば、いいんじゃないかなと。

二宮: それこそ現役の頃からこんなシステムがあったら良かったと?
弘山: 年に2回ぐらいなら、皆で一緒に練習してもありかな。実際、私が現役の頃は陸連合宿を夏と春にトラックの選手が30人ぐらい集まって、宮崎の延岡や北海道でやっていたんですよ。それが今はなくなってしまったんです。

二宮: もともと日本の強化システムは各所属チーム任せみたいなものでした。これまでは陸連の管理が不十分で、直前に代表選手がケガをして欠場することもあった。失敗した教訓を生かそうということでしょうね。
弘山: ただし、合同合宿の機会が増えると、どうしても練習の中で、しなくていい競争をしてしまう。最初は全部全力でいくという感じになるかもしれないので、そこは注意が必要です。何回かやっていれば、選手自身もペース配分が掴めてくるでしょう。

二宮: ランナーは勝ち気ですから、“負けたくない”と、ムキになってしまうのかもしれませんね。
弘山: どうしても気持ちが入って、やり過ぎちゃうと思うんです。そこをうまく乗り越えて、自分の体と対話しながらできるようになれば、うまくいくんじゃないでしょうかね。

二宮: さて、お話も盛り上がり、グラスも空きました。2度目の“給水”は「那由多(なゆた)の刻(とき)」を今度はロックでいきましょうか。
弘山: はい、いただきます。ちょうど折り返し地点を過ぎたところ、ここからペースを上げて、後編はどんな話をしましょうか。

(後編につづく)

弘山晴美(ひろやま・はるみ)
1968年9月10日、徳島県生まれ。鳴門高校から国士舘大学を経て、資生堂に入社。トラック競技では94年広島アジア大会の3000メートルで銀メダルを獲得するなど、オリンピックは96年アトランタ大会から3大会連続で出場する。トラック競技でのオリンピック3大会連続出場は日本人女子唯一で、1500、3000、5000メートルの3種目で日本記録を更新するなど“トラックの女王”と呼ばれた。マラソンでは02年釜山アジア大会で銀メダル。オリンピックへの出場こそ叶わなかったものの、05年の世界選手権ヘルシンキ大会では8位入賞を果たし、日本の団体銀メダルに貢献した。06年名古屋国際女子マラソンで初優勝し、09年東京マラソンを最後に第一線から退いた。資生堂ランニングクラブ・アスリートアドバイザーを4年間務め、現在は講演活動・市民マラソンでのゲスト出走のほか、幅広く活躍中。昨年10月より、夫・勉氏が代表を務めるEVOLUアスリートLabのメンバーとして、ランニング指導を行っている。


 今回、弘山晴美さんが楽しんだお酒は、長期に渡り、樫樽の中で貯蔵熟成した長期貯蔵の本格そば焼酎「那由多(なゆた)の刻(とき)」。豊かな香りとまろやかなコクの深い味わいが特徴。また、ソーダで割ると樫樽貯蔵ならではの華やかなバニラのような香りとまろやかなコクが楽しめます。国際的な品評会「モンドセレクション」2014年最高金賞(GRAND GOLD QUALITY AWARD)受賞。
提供/雲海酒造株式会社

<対談協力>
膳・菜・酒「塁」
「魚」と「野菜」をテーマとした新世代和食屋。宮城・気仙沼漁港や神奈川・三崎漁港など、直送で仕入れる魚は鮮度抜群! また秘伝のタレを使った「煮付け」も塁でしか味わえない逸品です。野菜も築地のほかに茨城の契約農家から取り寄せたりと「素材」にこだわっています。京都祇園で修業を積んだ料理長が手掛ける料理もまた必見です。個室も2〜50名様までと宴会はもちろん、大事な御接待にも対応できるようになっております。

東京都千代田区大手町1−7−2 東京サンケイビル地下2F
TEL:03-3276-2321
営業時間:
昼(月〜金) 11:00〜15:00(L.O.14:30)
夜(月〜金) 17:00〜23:00(L.O.22:00)
土・日・祝定休
>>店舗サイトはこちら

☆プレゼント☆
 弘山晴美さんの直筆サイン色紙を長期貯蔵本格そば焼酎「那由多(なゆた)の刻(とき)」(720ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の最初に「弘山晴美さんのサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は3月12日(木)までです。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。
◎クイズ◎
 今回、弘山晴美さんと楽しんだお酒の名前は?

 お酒は20歳になってから。
 お酒は楽しく適量を。
 飲酒運転は絶対にやめましょう。
 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成:杉浦泰介、写真:石田洋之)


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