昨年から「挑戦者たち」をサポートしていただいている清水建設に、パラスポーツと深く関わっている方がいる。その話を聞いた私は、是非ともその方にお会いしたいと思い、ご紹介いただきました。その方とは名古屋支店土木部の所長を務める丸山敏男さんです。名古屋へ、インタビューに行くつもりでいた私に、電話口で丸山さんは「ぜひ現場に見に来てくださいよ!」と一言。「もっともだ」と思い、「雪のつどい」を見学するため、3月、長野県志賀高原のスキー場へ行ってきました。
(写真:丸山さん<左から2番目>のグループは4人で構成。丸山さんの左隣が谷尾さん、右隣が茂樹さん)
 今年で40回目の「雪のつどい」は、和歌山県内にある特別支援学校の職員などが企画し、1976年からスタートした障がい者向けに数日間行われるスキー教室です。丸山さんが初めて参加したのは20年前。スキー上級者である丸山さんが、奥様の友達である特別支援学校の教諭から参加の依頼を受け、実現したそうです。当初、丸山さんは軽い気持ちで参加しました。が、その日以来、毎年、欠かさず「雪のつどい」に参加することになるのです。

 20年前の「雪のつどい」は丸山さんにとって、障がいのある人との初めての交流でした。それまでは障がいのある人に対し、どこか悲観的で暗いというイメージを持っていたそうです。しかし、その時に受けた印象はまったく逆のものでした。障がいがあることをまるで感じさせない。参加者が皆、底抜けに明るかったんです。丸山さんは“大きな思い込みだった。世の中には知らないことがたくさんあるんだな”と感じました。「雪のつどい」に行くたびに、教えられることばかり。刺激を受けて帰ってくる。丸山さんにとって、年に一度、今ではなくてはならない大切なイベントになったそうです。
(写真:丸山さん<右>らの指導で谷尾さん<左>のスキーの腕前はかなり上達)

 また、「雪のつどい」が人生の分岐点となった人がいます。丸山さんのご子息・茂樹さんです。茂樹さんが、初めて参加したのは17歳の時。最初は全く乗り気ではなく、「お父さんに無理やり連れて来られた」のだそうです。しかし、最終日、思いもよらないことが起きました。同室だった知的障がいのある中学生が、突然茂樹さんにボコボコと殴りかかってきたのです。見ると涙を流しながら、「帰らないで!」と何度も繰り返し、最後は強く抱きついてきました。その真っすぐな思いに、茂樹さんは心を突き動かされたそうです。そんなことがあって、高校生だった茂樹さんは教員になろうと決心し、教育大学に進学。大学で音楽と出合い、現在はプロのミュージシャンです。「自分はこの人生を歩んできて、すごく良かったと思っています」と語る茂樹さん。今も毎年のように、たとえ1日でも「雪のつどい」に参加しています。茂樹さんにとって、ここは初心に帰れる場所なのだそうです。

 共有できる感覚

 今年の「雪のつどい」には、小学生から70代まで老若男女約100人が参加しました。その中のひとり、50代の谷尾公祥さんは2001年の第26回から参加しています。谷尾さんは24歳で強度の弱視になり、現在はマッサージの仕事をされています。

「こんなに気持ちがええことはない」「自分ひとりでは走ることもできない。日常、風を切るような体験がない」。それがこの「雪のつどい」ではスキーで体感できるのです。それを実行できるのは安心感に他なりません。谷尾さんのグループは、丸山さんをはじめとした指導者が3人、彼の前後についているため、他の人とぶつかることはないんです。「右」「左」と声でナビゲートされながら滑り降りていきます。もし転んでも、雪なので痛くありません。その安心感があるから、思い切っていろんなことができる。谷尾さんはやればやるほど、スキーが上達していったそうです。
(写真:独自に編み出したフォーメーション。前後に人がいるので安心して滑れる)

 晴天に恵まれた今回は、山頂で景色を楽しんだそうです。360度の大パノラマ。そこから富士山が見えました。丸山さんをはじめとする指導者は見えても、谷尾さんには見えません。しかし、丸山さんたちの「わあ、富士山が見えてるぞ」という言葉や感激している様子、また温度や空気で「ああ、見えるんやろなぁ」と想像することでき、すごく清々しい気持ちになったそうです。視覚ではとらえていなくても、谷尾さんは肌で感覚を“共有”していたということでしょう。

 スキー場は非日常の世界。障がいの有無に関わらず、そういうところに出かける機会を作るのはとても大切なことです。それは参加者の表情を見ても、明らかでした。みんなが笑顔で、とても楽しそう。みんな楽しいからこそ続けられるのでしょう。上達する楽しさや嬉しさは、本人だけでなく教えた人も得られる。それがスポーツの素晴らしさのひとつではないでしょうか。

 こうして、たくさんの参加者のみなさんの様子を見ていて、ふっと思い起こしました。最初に「雪のつどい」のことを丸山さんから電話でお聞きしたとき、とっさに私は「障がいのある人が何名で、ボランティアの方は何名で構成されているんですか?」と尋ねました。丸山さんは「どうですかねぇ」と、すぐに数が出てきませんでした。40回を迎えるこの会。障がいのない人が、障がいのある人のボランティアをするという考え方で行われているのではないのです。だから「参加者は100名」。障がいの有無で分けて意識していないのです。誰かが出来ないことを他の誰かがやる。決してどちらかが「してあげる」、もう一方が「してもらう」関係ではない。だからこそ、みんなで楽しんで、みんなそれぞれが素晴らしい時間を過ごすことができる。40回と続く「雪のつどい」は、障がいの有無を超えて、集う会なのです。

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
 新潟県出身。障がい者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。1991年に車いす陸上を観戦したことがきっかけとなり、障がい者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障がい者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障がい者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障がい者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ〜パラリンピックを目指すアスリートたち〜』(廣済堂出版)がある。