「リオの風」は、株式会社アライヴンとのタイアップコーナーです。来年のリオデジャネイロ五輪、パラリンピックを目指すアスリートを毎回招き、アライヴンの大井康之代表との対談を行っています。各競技の魅力や、アライヴンが取り扱うインヴェル製品を使ってみての感想、大舞台にかける思いまで、たっぷりと伺います。
 今回はロンドン五輪のフェンシング男子フルーレ団体で銀メダルに輝いた三宅諒選手の登場です。
 勝負をいかに楽しめるか

大井: 初めてお会いしましたが、いい意味で近寄りがたいオーラを感じます(笑)。1対1で対決するフェンシングには必要な要素なのでしょうね。
三宅: フェンシングは相手を剣で突く競技であると同時に、突かれてはいけない競技なんです。だから、日頃から職業病で相手との間合いを自然ととってしまうクセがありますね(笑)。

大井: 相手との距離をうまくはかるには、どのような意識を持てばよいのでしょう。
三宅: 剣を目の前に向けられるのは誰だって怖いものです。相手が僕の剣を「怖い」と思っている間は入ってこられない。だから、ロンドン五輪の前、僕はひたすら剣先に魂を込めていました。「来るなよ!」という思いを剣から発して相手と距離をとっていましたね。あとは今まで反復練習してきたことがムダなくできればいいと思っていました。

大井: 最終的にはメンタルの強さが大事になるわけですね。
三宅: フェンシングは対人競技なので、こちらがケガをしていようが体調が悪かろうが、相手を上回れば勝てる。フェンシングのトップ選手の共通項は勝負事が大好きなんです。ジャンケンひとつにもエキサイトする。何事も徹底して勝とうとします。勝負が楽しいと感じられるかどうかは不可欠なポイントですね。

大井: 勝負事に勝つ上での条件は何でしょうか。
三宅: 勝負どころを決めることでしょうね。100回中100回勝とうとしてもできませんし、集中力も続かない。特にフェンシングには相性があって、世界ランキング1位であっても、格下の選手に勝てないことがあるんです。年間に国際大会で2勝することは至難の業。「ここで勝つ!」と見定めて、そこにピークを合わせる。そうすれば、たとえ他で負けても精神的に慌てないんです。

大井: ロンドン五輪では独特の雰囲気がありましたか。
三宅: 会場にはたくさんの人がいるのに、勝負の瞬間はシンとなる。しかも会場は暗いので、観客の様子はほとんど見えません。それだけに、1対1で相手とのいろんな駆け引きが繰り広げられます。フェンシングではフランス語で「プレ」(用意)、「アレ」(始め)の合図で試合を始めますが、「アレ」がかかるまでは正当な理由があれば止めても構わない。相手の流れだなと感じている時は、わざとコンタクトレンズが外れたフリをして試合を中断させることもあります。相手と向き合っている際に、わざと視線を外して、「何を考えているんだろう」と思わせたりもしましたね。

大井: 目に見えない流れや気も重要な要素なんですね。
三宅: ロンドン五輪の太田雄貴さんは、まさに負けない気を持っていました。ベンチから太田さんの背中を見ていると、スッと試合に入っていて「大丈夫だ」と思わせてくれる力がありましたね。準決勝のドイツ戦、ビハインドの展開で残り時間が少なくなっても「やってくれる」と信じていました。本当に逆転して決勝進出を決めたわけですが、窮地でもチームメイトに安心感を与えられる存在に僕もなれればと思っています。

大井: 場の空気や相手の出方を読んで、駆け引きする。フェンシングの選手は一般企業で営業をしても成功するタイプでしょうね(笑)。
三宅: 実際にやったことはないですが、得意分野かもしれません(笑)。大学時代に塾の講師をアルバイトでしていた時期がありました。その時はいかに楽しく授業を受けてもらうか、どうすればうまく子どもたちにポイントを伝えられるかを自然と工夫していましたね。

 アウトプット上手が大切

大井: 一瞬の勝負で相手を突くには、動体視力や反射神経も求められるでしょう?
三宅: もちろん、ある程度は必要ですが、運動神経がものすごく良いからといって勝てるとは限りません。実は僕、長距離走が苦手です。動体視力は野球選手並みだそうですが、実際の視力は0.1くらいしかありません。試合ではコンタクトもしないんです。フェンシングは格闘技版チェスと呼ばれるほど、頭脳系の競技。どうすれば勝てるのか、常に頭を使っている選手が強いと思います。

大井: 頭をフル回転させつつ、心の眼で見るという感覚でしょうか。
三宅: 見えすぎると、観客や周囲が気になったり、相手の剣を見ようとしてしまう。相手の動きに合わせる分、後手に回ってしまうんです。僕が見ているのは剣ではなく、相手の体の動きです。剣を突こうとすると、その前に足や肩周り、腕が動く。動きを察知して、こちらが先に剣を出しておけば、相手の攻撃を防げます。

――三宅選手は左利きですが、野球でもサウスポーは重宝されます。戦う上で優位な面はあるでしょうか。
三宅: 左利きの選手は少ないので、相手が構えた時の感覚が違う。だから左利きは有利でしょうね。

大井: そもそもフェンシングを始めたきっかけは?
三宅: 最初は親の勧めでカルチャースクールで水泳をしていました。当時、大ヒットした映画「タイタニック」の沈没シーンを見せられて、「泳げないとダメだ」と(笑)。ところが、僕は昔から体脂肪が少なくて水に浮けず、うまく泳げない。そこで昔からチャンバラごっこが好きだったので、剣道かフェンシングをやりたいと思い立ったんです。剣道とフェンシングを比較したら、剣道は裸足で寒そう(笑)。最終的に選んだのが靴を履いているフェンシングだったんです。普通なら野球やサッカーをしたいと考える中、当時は決してメジャーでなかったフェンシングと出合ったのは今になっては運命的なものを感じます。

大井: 大学では哲学専攻だったとか。フェンシングに役立つ部分はありましたか。
三宅: 僕は小さい頃から考えることが好きで、知らないことを知った時に喜びを感じるタイプなんです。その知識をフェンシングとつなげようとする。大学での学問はとても楽しかったですね。

大井: 具体的に発見した自分なりの哲学はありますか。
三宅: トレーニングは一種の宗教だと感じました。宗教でも神様がいると信じて行動していると、世界がそう見えてくる。トレーニングも一緒で「これをやれば強くなれる」と信じられるか。疑いを持つと練習に集中できないので結果も出ない。これと決めたら信じ抜くことが重要なんです。

大井: 哲学者というと自らの世界にこもるイメージがありますが、三宅さんの場合はそうではない。独特の世界を持ちつつ、外に開けている。明るい哲学者という印象です。
三宅: その表現はうれしいです(笑)。暗くならないようには心がけています。基本的には悩まない。どう解決策を見つけて進むかが大事で、悩んでも仕方ないですから。

大井: 悩みは自らの心から出てくるもの。悩まないという思考法は成功者の共通項でしょうね。
三宅: インプットだけでなく、アウトプットが上手な人が成功するんじゃないかと僕は考えています。知識にしろ、お金にしろ、時間にしろ、持っているだけでは価値は生まれない。それをどう生かせるかが問われるのでしょう。

 海外ドラマでリラックス

大井: 理想としたり、目標としている人物はいますか。
三宅: 僕の世代ではないですが、美空ひばりさんとか、長嶋茂雄さんとか、特定のジャンルを越えて人々に影響を与えられる方は素晴らしいと感じます。そういった第一人者は考え方やメンタルにも共通した部分があるのではないかと考えていますね。

大井: 頭も体もフル回転させていると疲れが溜まることもあるでしょう。疲れを感じたときは?
三宅: まずは疲れが溜まらない体の状態をつくっておくことですね。事前にストレッチをしたり、規則正しい生活をすることで、体を常に整えておくことが重要だと思っています。

大井: 日々の状態を良くする上でも、就寝時にはインヴェルのリチャージをぜひ活用してみてください。
三宅: 実際、使わせてもらうと、起きた時にストレッチをした時と似た感覚を味わえました。効果を実感しましたね。
大井: 小型のリチャージスリムは遠征先にも持って行けますから、併せて使ってみるといいでしょう。

――オフのリラックス法は?
三宅: 海外ドラマを見まくりますね(笑)。高校時代、世界ジュニア・カデ選手権に出場した時、大会前に、あるアニメのシリーズを全部見たんです。すると優勝できたので、それからは半分ゲン担ぎになっています。「24」シリーズも一気に17時間くらいかけて見ますよ。ずっと見続けるのは逆に疲れるかもしれませんが(苦笑)、リフレッシュにはなりますね。

大井: 来年はリオデジャネイロ五輪です。もちろん、当面の目標は五輪でしょうが、メダリストとして、この先、取り組みたいことはありますか。
三宅: フェンシングで学んだことを生かして、スポーツと教育を結びつける役割を果たしていきたいと考えています。今の日本のスポーツはイコール部活動という捉え方が強い。もっとスポーツは皆が楽しめてエキサイトできるものだと思います。たとえばリフティングで10回できれば、周りから認められるし、誇りになる。そうやって多くの子どもたちにスポーツを通じて自信を持ってもらえるような活動をしたいですね。 

大井: リオ五輪は現地で応援しますよ。
三宅: 勝負どころは来年の本番。そこにピークをもってこられるよう、目の前のひとつひとつの勝負にしっかりと臨み、五輪にもう一度挑みます。

(おわり)

三宅諒(みやけ・りょう)プロフィール>
1990年12月24日、千葉県生まれ。セイコーホールディングス株式会社所属。小学1年からフェンシングを始める。6年時には全国大会で優勝。高校2年時の07年には世界ジュニア・カデ選手権で全カテゴリーを含めて日本人初の世界大会優勝を果たす。09年、慶應大に進学。10年より代表チーム入りして世界を転戦。12年ロンドン五輪では個人は初戦敗退だったものの、団体で決勝まで勝ち進み、銀メダルを獲得した。13年アジア選手権では個人、団体とも準優勝を収める。14年、仁川アジア大会では団体金メダルを獲得。

(写真/金澤智康、進行役・構成/石田洋之)