初防衛戦はタイトルを奪うより難しい――。
 格闘技の世界で昔から唱えられている王者にとっては“呪いの言葉”である。「勝たなくてはいけない」「ベルトを守らなければいけない」……目に見えないプレッシャーが初めて防衛戦を闘うファイターには、のしかかる。当然、挑戦者は、これをチャンスとばかりに徹底して王者を研究し、襲いかかる。初防衛戦の呪縛を自らの力で解き放ってこそ、王者は真のチャンピオンとなれるのだ。
 強みは161センチの小柄な体

 5月3日、東京・後楽園ホール。初防衛戦のハードルに挑んだのが、総合格闘技『修斗』の環太平洋ライト王者・中村ジュニア(好史)である。

 愛媛県宇和島市出身の26歳。高校(宇和島東)までは柔道に打ち込み、卒業後、格闘家を目指して単身上京した。修斗の元ミドル級王者でPRIDEなどでも活躍した桜井“マッハ”速人に弟子入りし、着実に力をつけてきた。そして、プロデビュー5年目となったこの1月、環太平洋ライト級の王座をかけ、ベテランの宇野薫と激突。3−0の判定勝ちを収めて、念願のチャンピオンベルトを手にした。

 中村の強みは161センチと、この階級ではかなり小柄な体格にある。小さな体を潜水艦のごとくかがめて、大柄な相手の懐に潜りこみ、先手を奪う。さらに豆タンクのごとく、豊富な運動量とスタミナで攻め続け、敵を消耗させる。「柔よく剛を制す」との表現がピッタリくるファイターである。

 5分3Rで行われた初防衛戦の相手は、同級1位の挑戦者・斎藤裕。プロでの戦績は12戦9勝(1S・1KO)1敗2分で、昨年のインフィニティリーグ優勝の実績を誇る強敵である。
「打撃でプレッシャーをかけ、疲れさせてから勝負するつもりでした」
 中村は自らの持ち味を生かしたファイトプランを立て、リングに上がった。

 ところが……。
 その目論見は立ち上がりから狂った。1R、素早いジャブを突きながら、飛び込むタイミングを見計らっていた王者の顔面に、挑戦者の右ストレートが突き刺さった。リーチ、身長ともに上回る相手のパンチで機先を制され、中村は冷静さを失った。

 懐に入ろうとするも、斎藤はヒザをうまく前に出し、潜りこめない。ロープやコーナーに詰めても、相手は両足を引いて、中村にのしかかる体勢をとり、思うような展開に持ち込めなかった。

「頭が真っ白になってしまいました。どう修正していいのかわからなくて……」
 1Rを終え、中村はパニック状態に陥っていた。行ける気がしない……。弱気は最大の敵である。心が折れてしまっては、思うように体が動くはずがない。

 日頃、スパーリングパートナーを務め、セコンドについた中村トッシーは、「彼の悪いところが出てしまった」と指摘する。
「相手が足を引いて、前のめりになっているんだから、うまくいなせば体を入れ替えることができたでしょう。彼の真面目な性格が災いして、正直に行き過ぎた。もう少し、冷静に視野を広げて闘えば、違う展開に持ち込めたはずです」

 「このままでは終われない」

 2Rも仕掛けたタックルは、ことごとくテイクダウンに持ち込めず、時間だけが過ぎていく。逆に相手にバックをとられてパンチを浴び、劣勢の度合いは高まった。
「ジュニア、KOしかないぞ!!」
 応援席からも厳しい声が飛んだ。

 だが、最終3Rも中村は打開策を見いだせなかった。唯一、テイクダウンして体勢が上になったチャンスも、相手の足で攻撃を払いのけられ、有効な反撃には至らない。逆にラウンド終盤はマウントポジションをとられ、防戦一方となった。試合終了のゴングがなった瞬間、敗戦を覚悟したのか、中村はリング上でガックリと肩を落とした。

 結果は0−3の判定負け。ジャッジ2者が相手にフルマークをつける完敗だった。初防衛戦の壁に中村は完膚なきまでにはね返された。
「試合に集中しなきゃいけなかったのに、体がついていかなかった。何が何でもやらなきゃいけない試合なのに、体が動かなかったんです。教えてもらったことも出せず、勝つ意欲が見られない。選手としては一番悔しくて、ダメな試合をしてしまいました」

 試合後、ベルトを失った前王者は控室の壁にもたれかかり、呆然としていた。自宅に戻ってもショックは癒えない。スーパーの精肉売り場でのアルバイトこそ休まず出かけたが、食欲はわかず、家に戻ると寝るだけの日々が何日も続いた。

「もう格闘技を辞めた方がいいとさえ思いました」
 抜け殻になりかけた中村だが、そのハートは決して燃え尽きてはいなかった。日が経つにつれ、腹の奥底から、ひとつの思いがフツフツと沸き上がった。

 このままでは終われない――。敗戦から5日、格闘技から距離を置いていた男は道場に足を運び、練習を再開した。
「負けて得るものがあるという人もいますが、プロである以上、結果がすべてです。勝たなきゃ得るものはないと僕は考えています。ただ、負けて終わったら意味がない。これを生かして、もう1回チャレンジしたい。今度は必ず勝って、もっと意味のあるものを手にしたいと思っています」

 過去は変えられない。しかし、未来なら変えられる。道のりは険しく、厳しいかもしれない。だが、中村は小さな体で立ち向かう覚悟だ。今までだって、そうやって未来を切り拓いてきたのだから。

(第2回につづく)

中村ジュニア(なかむら・じゅにあ)プロフィール>
1988年6月29日、愛媛県宇和島市生まれ。本名・中村好史。小中高と柔道に取り組む。格闘技に憧れ、宇和島東高時代にはレスリングも学び、卒業後に上京。桜井“マッハ”速人が主宰するマッハ道場に入門する。09年の全日本アマチュア修斗選手権ではライト級優勝。10年2月にプロデビューを果たす。11年12月には新人王決定トーナメントを制した。15年1月には環太平洋ライト級王座決定戦に臨み、宇野薫を下して第6代王者に。修斗でのプロ戦績は16戦9勝(1S)6敗1分。身長161センチ。




(文・写真:石田洋之)


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