中学時代は全国大会に縁がなかった伊藤愛里。3年時には四国大会で表彰台に上がったものの、全日本中学校選手権の出場経験はない。しかし、彼女の競技人生は済美高に進んでから一変する。3年連続で全国高校総合体育大会(インターハイ)に出場。高校入学前は「陸上のイロハを知らなかった」という伊藤が、インターハイ常連となるまで成長を遂げたのは、なぜか――。
 スポンジのような吸収力で、急成長

 済美高陸上部の顧問として、彼女を3年間見てきた峯本光弼は、躍進の理由のひとつに伊藤の人間性を挙げる。
「ライバルであろうと、学べるものがあれば、そこから吸収しようとする意欲が強い。そういう性格があの子の財産でしょうね。力は努力をすれば付きますし、技術は指導していけばなんとかなる分がありますが、人間性はなかなか変えられるもではない。あの子はモノを吸収していけるスポンジのような心を持っているんだと思います」

 中学時からハードリングに光るものがあったとはいえ、女子100メートルハードルのハードルは高校から10センチ近く高くなる。元々、華奢な身体つきだった伊藤は、基礎体力からして十分とは言えなかった。そこで峯本は彼女に基礎から徹底して学ばせた。

 地道な練習を真摯な姿勢で取り組んだことにより、伊藤の才能は開花していった。2005年、1年生ながら四国高校対校選手権兼インターハイ四国予選で、2学年先輩の山口真衣に次ぐ2位に入り、千葉で開催される全国大会行きの切符を獲得した。しかし、初の全国舞台では予選落ちに終わる。この悔しさを伊藤はバネにする。

 峯本は、当時を振り返り、こう語る。
「(予選落ちから)本人も“もっと上にいかないといかん”と考え直したんでしょうね。そこから練習への姿勢もガラッと変わっていきました。“先輩の後に続けばいい”という意識から、“自分もやらなきゃいかん”と」

 意識は向上し、スピードもパワーもついてきた伊藤は、2年時は四国高校対校選手権兼インターハイ四国予選を優勝する。そして2度目の大舞台となった佐賀でのインターハイでは、予選第2組を1位で通過。“前年のリベンジ”を果たした。準決勝を全体8位のタイムで突破すると、決勝では惜しくも表彰台は逃したものの、4位に入賞した。

 最終学年で初めて掴んだ全国タイトル

 努力が実を結び、順調に伸びていた一方で、伊藤は“腰”に爆弾を抱えていた。急激な成長に身体が追いついていなかったのだ。3年時にもインターハイには出場したものの、腰痛の影響もあり、決勝に進むことはできなかった。

 高校卒業後、伊藤は地元・愛媛県を離れ、「自分のペースで陸上をできる大学というところも含めて決めました」と、大阪府にある関西大へと進んだ。

 入学当初は競技よりも勉強に重きを置いた。大学の職員になることを志望していた伊藤は、講義を目一杯詰め込んだ。平日に陸上部の公式戦があっても、学業を優先することもあった。だが単位も卒業を見込めるほど取得すると、練習に充てられる時間も増えた。徐々に陸上への思いが再燃した。

 競技に集中し始めた4年時、伊藤は、快進撃を見せる。5月の関西学生対校選手権で3連覇を達成。優勝タイムの13秒27は、日本学生歴代2位の記録をマークした。その翌月に行われた日本選手権では2位に入り、夏にはアジア選手権、ユニバーシアードと初めての国際大会も経験した。

 伊藤は日本のトップハードラーの仲間入りを果たすと、9月に熊本で行われた全日本学生対校選手権で、ついに“学生日本一”の称号を手にする。決勝のレースでは、伊藤は滑らかに進む得意のハードリングで、誰よりも速くゴールを駆け抜けた。タイムは13秒52と自己ベストには及ばなかったが、全国大会初制覇を成し遂げた。一度は大学の職員を目指した伊藤だったが、“今しかできないよな”という思いもあり、卒業後の進路は陸上と仕事の両立の道を選ぶことにした。

 高まる緊張感に“ワクワクする”大舞台

 今月26日からは、いよいよ日本選手権がスタートする。8月の世界選手権(中国・北京)の選考会を兼ねている。伊藤は日本一を決める大舞台に、大学2年で初めて立ってから、今年で7度目の出場となる。

 国内最高峰のレース。選手によって目標設定はそれぞれだが、この大会を一番の目標にしている者も少なくない。伊藤は会場を包む独特の緊張感の“虜”になっている。
「会場の空気が他の大会とは全く違うんですよね。スタート直前に静まり返り、息を飲むような瞬間がある。それがピストルの音と共に弾ける感じ。選手もそうですし、見ている方の緊張感も伝わってくるのは、なかなかないですね。それがすごく面白いんです」

 日本のトップハードラーが集う舞台であることも彼女のモチベーションになっているのだろう。高校時代の恩師である峯本は「あの子は強い選手と走るのが楽しいらしいんですよね。そこが高校時代から違っていましたね。無名の子であれば、大きな大会で強い選手と走ったら、緊張してしまう。あの子はむしろ、そういう選手と走ることがワクワクするらしいんですね」と語る。

 初出場の09年は予選落ちに終わった。予選第2組に登場した伊藤は、14秒13。同組で3着だった。上位2着までが自動通過だが、3着以下はタイム順で6名までが次のステージに進めた。わずか100分の1秒の差で、準決勝進出を逃した。伊藤が走った組は向かい風、予選を16番目のタイムで通過した選手の組は追い風が吹いていた。だが微々たる差は、グラウンドコンディションよりも、自らの中に求めた。
「どれだけ勝ちにこだわっているのか。次のラウンドに進みたい気持ちが、フィニッシュの身体の倒し方にも出たんじゃないかなと」
 勝負にこだわる姿勢が足りなかった。伊藤はそこを悔いた。

 以降の日本選手権は7位、2位、4位、3位、2位と常に決勝進出を果たし、上位に立ち続けている。13年は3月にケガをして満足な調整を臨めない中でのレースだった。シーズン初戦は5月。日本選手権の3週間前だった。「状態は本当に仕上がっていなくて、かなりピリピリしていた年でした」。それでも3位に入り、13秒27の自己ベストタイを叩き出した。彼女の勝負強さが表れたレースでもあり、日本選手権という特別な舞台が伊藤の力を引き上げてくれたとも言える。

「他の選手のスペックと比べると、自分はまだ劣っている」と自嘲する伊藤が、常に日本選手権で上位に入れるのは、なぜか。本人はこう分析する。
「後輩に言われて、“なるほど”と思った事があるんです。『普通の人だったら、手前にある引き出しを開けるのを、愛里さんは日本選手権の時だけ、背伸びしてやりますよね』。自分自身でも波を作って、無意識で日本選手権だけにポンと合わせているところがあるのかもしれないですね」

 新潟で開催される99回目の日本選手権で、伊藤は初の日本一を手にできるのか。今年の女子100メートルハードルのレースには、木村文子(エディオン)、柴村仁美(佐賀陸協)という過去に日本選手権を制した同世代の選手や、青木益未(環太平洋大)ら若手勢など多くのライバルたちがエントリー。決戦まで、あと5日と迫っている。

(最終回につづく)

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伊藤愛里(いとう・あいり)プロフィール>
 1989年7月5日、愛媛県松山市生まれ。中学で陸上競技をはじめ、1年時の秋に100メートルハードルを専門種目とする。済美高2年時の全国高校総合体育大会では同種目で4位に入賞した。関西大学進学後は、2年時から関西学生対校選手権で3連覇を達成。4年時の全日本学生対校選手権では初優勝し、アジア選手権やユニバーシアードと国際大会にも出場した。12年、住友電工に入社。1年目から全日本実業団対抗選手権を3連覇すると、昨年秋の長崎国民体育大会では成年女子の部で初優勝した。身長165センチ。自己ベストは13秒27。

(文・写真/杉浦泰介)




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