先月半ばに、マーク堀越ことマーク・ブリックスが病死したことを知人から聞かされる。すでに1年あまり前に他界していたそうだ。死亡直後に日本で報じられることはなかった。悲しく、また、とても寂しい気持ちになった。まだ52歳、早すぎる。
(写真:『忘れ難きボクシング名勝負100平成編』(SLAM JAM編、日刊スポーツグラフ)でも冒頭でマーク堀越vs.高橋ナオトが取り上げられている)
 1980年代にリングシーンを観続けた者たちにとって、マーク堀越は忘れがたきボクサーだ。米国カリフォルニア州出身で、青森県にある米軍三沢基地に勤務していた。八戸帝拳ジムで練習を積んで84年にプロデビュー。87年には日本ジュニアフェザー級(現スーパーバンタム級)のタイトルを獲得し、6度の王座防衛を、いずれもKOで果たした。

 昭和から平成へと年号が変わった直後の89年1月に、マークは7度目の防衛戦で敗れてタイトルを失うが、この一戦により、彼の名がファンの脳裏に深く刻まれることになる。

“日本ボクシング史上最高の名勝負”と称され続ける伝説の一戦、「マーク堀越vs.高橋ナオト」。この試合の凄絶な内容に、いまさら触れる必要はないだろう。もし、まだ観たことがないという人がいるならば、Youtubeにもアップされているので、ぜひ1度観ていただきたい。

 89年1月22日、当時、私は『ゴング格闘技』誌の記者として、後楽園ホールでリング上を凝視していた。5度のダウンの応酬の末に9ラウンドで試合はKO決着するが、終了のゴングが打ち鳴らされると同時に、勝者・ナオトはキャンバスに崩れ落ちた。

 そのシーンを観ながら、私はカラダの震えを止めることができなかった。幼少期から約40年、ボクシングを見続けてきたが、「その中でのベストファイトは?」と問われたならば、迷うことなく、私はこの試合を挙げる。

 互いに負けられない一戦。体力や技術ではなく、2人は精神力をぶつけ合って闘い抜いたのだ。「マーク堀越vs.高橋ナオト」はスポーツの域も、ボクシングの域をも超越した闘いだった。

 マークの死を知らされてから数日後に、高橋ナオトに会った。
 新宿の店で、マーク・ブリックスを偲びながら2人で話した。
「マークの死を知ったのは、前田(衷=『ボクシング・ビート』編集長)さんからの電話だったんですよ。驚きました」

 そう言った後にナオトは続ける。
「俺ね、試合中に唯一、記憶が飛んだのがマーク戦なんですよ。4ラウンドから8ラウンドまでの5ラウンドを、まったく憶えていない。3ラウンドにマークの強いパンチをもらって、おそらく、そこから飛んでいる。

 ただ、4ラウンドが終わってコーナーに戻ってきた時のことだけは、かすかに憶えているんです。『俺、倒されたんですか?』って会長(アベジム・阿部幸四郎会長)に聞いたんですよ。そうしたら、『何言ってるんだ!? 倒したのはお前だよ! 弱気になるな!』と言われたんですね。そのこと以外は、まったく記憶にないんです。

 ハッと意識が戻ったのは9ラウンドが始まる時。『ラウンド・ナイン!』ってコールされるじゃないですか。その時に、『えっ、もう9ラウンドなんだ』と気がついて、カラダ中に疲れを感じたことは、よく憶えています」

 8ラウンドにナオトはダウンを喫している。マークの連打を浴びて、まるでスローモーションのようにマットに崩れているのだ。その後、立ち上がってはいるが、肉体的疲労はピークに達していたはずだ。観る者の誰もが、「高橋ナオトもここまでか……」と観念した。

 だが、9ラウンドに彼は奇跡を起こす。科学などでは、とても解き明かせないナオトの精神力の勝利だった。

「マークは、とても優しい男だったと思うんですよ。パンチは強かったし、怖かったけれど、普段は、きっと優しいんです。それは闘いながらも目を見れば解ります。マークと闘えて本当によかった。『ありがとう』って言いたい」

 そう言った後に、ナオトはスマホに保存していたマークの写真を見せてくれた。
 デッキチェアに座る白髪交じりのマーク。引退した後に写されたものだろう。現役時代と同じ澄んだ瞳を輝かせていた。

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近藤隆夫(こんどう・たかお)
1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実〜すべては敬愛するエリオのために〜』(文春文庫PLUS)『情熱のサイドスロー〜小林繁物語〜』(竹書房)『キミはもっと速く走れる!』『ジャッキー・ロビンソン 〜人種差別をのりこえたメジャーリーガー〜』『キミも速く走れる!―ヒミツの特訓』(いずれも汐文社)ほか多数。最新刊は『忘れ難きボクシング名勝負100 昭和編』(日刊スポーツグラフ)。
連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)


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