見誤っていた。
 3年前のロンドン五輪決勝で敗れたことで、すでにリベンジを食らったような気分になっていた。王者は米国。自分たちは挑戦者――わたしはそう思っていたし、おそらく、なでしこの選手たちもそう考えていたのではないか。
 それが悪夢の原因だった。

 4年前のドイツで味わった痛みを、米国の選手たちは鮮明に記憶していた。ロンドンでの歓喜は、4年前の屈辱を少しも薄れさせてはいなかった。そして、そんな彼女らの心境に、ほとんどの日本人はまったく気づいていなかった。

 復讐の叫びをあげて襲いかかってくる米国に、だから、なでしこは完全に不意をつかれた。いままで通り、安全第一で立ち上がろうとしたのが日本だとしたら、いままでのやり方をかなぐり捨て、スタートからフルスロットルをかましたのが米国だった。もとより実力ではやや劣る日本がこれをしのぐには、予想して、準備しておく必要があったのだが、少なくともわたしには、その予想はなかった。

 そして、蹂躙された。

 5失点のうち3点がセットプレーからだったことから、点差ほどの惨敗ではなかった、という人もいる。だが、米国の強さが他国と別次元だったのは事実であり、その強さを生んだのは4年前の屈辱だった。記録上は引き分けでもある試合を、忘れがたい屈辱として記憶に刻み、傷の疼きを前進の糧としてきたがゆえの強さだった。

 ならば日本は、2−5で敗れた日本は、4年前の米国以上に傷つき、打ちのめされ、復讐を誓わなければならない。その資格が、権利が、いまの日本にはある。

 今回の敗北は、なでしこの敗北であったと同時に、日本の敗北、米国社会とのスポーツ比較論においての日本社会の敗北だった。なでしこが再び世界で勝つために必要なのは、「感動をありがとう」などという薄っぺらい謝辞ではなく、日米の間に存在する様々な格差を埋めるためにどうするべきか、ともに考えてくれる人たちの存在である。

 いまなら、まだ追いつける。

 あの決勝戦。失点を喫するたび、日本は宮間主将を中心に円陣を組んだ。1年前、日本の男子は同点弾を奪われただけでパニックに陥り、為す術なく逆転を許したが、なでしこたちは、結果はともかく、自分たちで時間を作って流れに抗おうとした。

 あれは、試合前に決めて置かなければできることではない。そして、試合前に自分たちの失点まで想定できる主将など、男子を含めてそういるものではない。

 日本には、宮間あやがいる。彼女がいるうちならば、まだ米国に追いつける。そして、ここで差を埋めるために最大限の努力をしなければ、未来永劫追いつくチャンスは訪れないのではないか、とわたしは思う。

<この原稿は15年7月9日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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