最後のPRIDEの大会、『PRIDE34』が、さいたまスーパーアリーナで開かれたのは2007年4月8日だから、PRIDE消滅からもう8年以上が経つことになる。日本における総合格闘技人気は低迷したままだ。
 PRIDEの日本人エース的存在だった桜庭和志は、プロレスのリングに上がるようになった。その桜庭の好敵手であったヴァンダレイ・シウバ(ブラジル)は昨年、現役を引退したが、ヘビー級に目を移すと多くのトップファイターたちが総合格闘技の舞台に上がり続けている。

 たとえば、ホドリゴ・ホジェリオのノゲイラ兄弟(ブラジル)。2人は先日(8月1日=現地時間)、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された『UFC190』に参戦したが、ともに判定負けを喫するなど、精彩を欠き続けている。ミルコ・クロコップ(クロアチア)、ジョシュ・バーネット(米国)らも同様に、かつての輝きを失ってしまった。薬物疑惑に見舞われ続けたアリスター・オーフレイム(オランダ)を含めて、元PRIDEトップファイターたちは、スッカリ下降線をたどっているのだ。時代が流れたということだろう。

 さて、そんな中、元PRIDEヘビー級王者のエメリヤーエンコ・ヒョードル(ロシア)が先月(7月)、現役復帰を表明した。ヒョードルが現役引退を表明したのは3年前。2012年6月、『M−1Global』でペドロ・ヒーゾを1ラウンドKOで降した直後だった。引退後は、ロシアのスポーツ省特別補佐官、ロシア格闘技連盟代表などを務めていた。それが、突然の復帰宣言。ヒョードルは、その理由を次のように話している。

「やはり自分の好きなことに関わることが、とても重要だと私は思う。もう一度、闘いの舞台に上がり自分のベストを尽くしたい。
 引退を表明した時は体調的に、もう限界だと感じていた。でも、あれから時間が経ち、古傷も完治した。もう一度、リングに上がれるコンディションを整えられるとの確信を得たから現役復帰を決めた」

 ヒョードルの現役復帰には、さまざまな見方がある。
「嬉しい。ぜひとも、もう一度、ヒョードルの闘う姿が見たい」との肯定的な声がある一方で、「ガッカリした。引き際を間違えないでほしい。衰えたヒョードルのファイトは見たくない」との意見も。

 私は、現役を引退したにもかかわらず、再び戦場に戻ってくる選手の気持ちがわからないでもない。ヒョードルは、まだ38歳だ。一度は闘いの舞台を退いたが、肉体的コンディションとメンタル的な摩耗が回復する過程で、心の中に「やれる」「やりたい」との想いがフツフツと湧き上がってきたのだろう。

 そしてヒョードルは、復帰戦の対戦相手にファブリシオ・ヴェウドゥム(ブラジル)を求めている。ファブリシオは、ヒョードルの「10年間無敗」のレコードにピリオドを打った相手だ。2010年6月、『Strikeforce』でアームバーを決められ、わずか69秒でヒョードルは敗れている。リベンジを果たしたい、との想いが強くあるのだ。

 現役復帰は本人が決めることであり、周囲が、どうこう言う話ではない。
 ただひとつ、今回のヒョードルの現役復帰表明を見ていて気になることがある。

 それは具体的な復帰戦については、まったく触れられていないこと。ヒョードルほどの元トップファイターが現役復帰を果たすのであれば、本人にも周囲にも、それなりの覚悟と準備が必要なはず。なのに、プランが見えてこない。本来なら、日時と対戦相手を決した後に、復帰表明するのが自然な流れではないか。この部分が、気にかかる。

「年内に試合をしたい」
 そう話すロシアの皇帝の今後の動向を見守りたい。

----------------------------------------
近藤隆夫(こんどう・たかお)
1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実〜すべては敬愛するエリオのために〜』(文春文庫PLUS)『情熱のサイドスロー〜小林繁物語〜』(竹書房)『キミはもっと速く走れる!』『ジャッキー・ロビンソン 〜人種差別をのりこえたメジャーリーガー〜』『キミも速く走れる!―ヒミツの特訓』(いずれも汐文社)ほか多数。最新刊は『忘れ難きボクシング名勝負100 昭和編』(日刊スポーツグラフ)。
連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)


◎バックナンバーはこちらから