2010年10月、ぼくはブラジルのグアラチンゲタという街で松原良香と知り合うことになった。数日後、グアラチンゲタでの練習を切り上げた松原がサンパウロへやってきた。
 サンパウロにはリベルダージという東洋人街がある。そこにある居酒屋で松原と食事をすることになった。
(写真:世界最大級の日本人街であるリベルダージは和風の建築物も多い)
 松原は74年8月に静岡県浜松市で生まれている。
「3つ違いの兄貴がいて、ぼくらは兄弟2人でサッカーに行っていました。あそこらは高校サッカーが盛んで、どうやったってサッカーをやりますよね」

 とはいえ、同じ静岡県でも浜松は清水にくらべると力が落ちた。
「小学校のとき、浜松選抜に入っていて、決勝で清水FCに負けた。全然強い、歯が立たなかった。田島(宏晃)とか伊東輝(悦)とか強烈でした。それで清水FCが全国大会に出たんです」

 松原の名前が全国的に知られるようになったのは、中学2年の終わりのことだった。
「中2から中3にあがる春休みに、各地域選抜が三菱養和で大会をやるんですね。ところが、その予選の段階で、ぼくのいた静岡県選抜が愛知県だか岐阜県の代表に負けちゃったんです。その代表を中心に東海選抜を組んだので、静岡の選手はどうしてもこぼれる。ぼくは東海選抜に選ばれなくて、漏れた選手で構成するCTCというチームで参加することになった」

 CTCは2チーム作られ、この中には松波正信、平野孝たちもいた。
「その大会の最後に優秀選手同士の試合があったんです。ぼくはそこに選ばれてゴールを決めたんです。ミドルシュートを打ったんじゃないかな。そこからナショナルトレセンに呼ばれるようになった。浜松は清水に比べたらサッカーどころでもないし、ずっと清水のことを羨ましいと思っていた。ようやく望んでいた環境になったなと」

 この頃、まだJリーグは存在していなかった。松原が夢見ていたのは、地球の裏側――アルゼンチンだった。
「ぼくが小学校の高学年のときに、86年のワールドカップがあったんですね。(ディエゴ・)マラドーナを見て、ここでやってみたいと思っていた」

 松原の祖母の兄がアルゼンチンに移民していた。子どもの頃からアルゼンチンという国名は聴かされており、マラドーナの着ていた水色と白の縦縞のユニフォームに松原は心を鷲づかみにされた。南半球のアルゼンチンが一気に身近になった瞬間だった。

 そして、兄の真也がアルゼンチンにサッカー留学することになった。
「兄貴はカズ(三浦知良)さんに憧れていたんです。静岡だからテレビでカズさんのことを取りあげたりしていましたね。カズさんがブラジルのクラブから帰ってきたときは観に行きました。ぼくも(兄と)一緒に行きたいって言ったんですよ。でも、まだ中2だった。当然、親は駄目(と言う)じゃないですか?」

 真也は松原の母、祖母に伴われてブエノスアイレスへ出発した。松原は悔しい思いで見送ったことを覚えている。
「しばらくして兄貴だけ置いて母たちは帰ってきました。それから兄から葉書が来たりするんですよ。電話で話をすることもありましたけど、電話代が高いのでたまに、でしたね」

 真也はアルヘンティーノス・ジュニアーズ、ベレス・サルスフィエルド、そしてティグレというクラブでプレーすることになった。
 アルヘンティーノスでは左利きの天才、フェルナンド・レドンドと同僚だった。また、ベレスでは「“チョロ”というあだ名の凄い選手がいる」と聞かされたこともある。もちろん、現アトレチコ・マドリー監督のディエゴ・シメオネのことだ。

 兄の言葉により、松原はプロのサッカー選手となること、国外のサッカーへの憧れを頭の中で膨らませていた。
「少年団のコーチが元々ホンダ(本田技研工業)の選手だったんですよ。それでホンダの選手が練習に来たことがあった。メシアスっていう左利きのブラジル人がいて、この人、サッカーだけで食べているんだとか子ども心なりに分かるじゃないですか」

 ちなみにこの頃、練習に来たホンダの選手の中に関塚隆もいた。
「フォワードですよね。巧かったですよ」

 古ぼけた日本料理店のテーブルで松原と向かい合って話しているうちに、ぼくは彼のことをずいぶん誤解していたと思うようになっていた。
 大きな眼で人を見つめる癖、強気な言い回し――生意気に思われることもあるだろうが、この男はとにかくサッカーが好きなのだ。

 翌朝、ぼくは松原と一緒に近くのアクリマソン公園まで出かけて一緒に走ることになった。池の周りを何周か走った後、松原はダッシュで坂を上ることを繰り返した。そして、走り終えると用意していた氷をビニール袋に入れて膝の上でぐるぐる巻きにした。

「こうしておかないと後から腫れて大変なんですよ」
 サッカーのプロとして生きるというのは、こういうことなのだと改めて思った。

(つづく)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクション作家。1968年3月13日、京都生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て 99年に退社。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克、英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)など。14年に上梓した『球童 伊良部秀輝伝』(講談社)でミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。15年7月に『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル)を発売。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。


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