この建物は「誰のため、何のためなのか?」そんな視点が欠けている。一連の騒動を見ていて、そんな印象を強く持った。
 安倍晋三首相は7月17日、2020年東京五輪・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場の建設計画について、「白紙に戻す。ゼロベースで計画を見直す決断をした」と述べ、デザインを変更する方針を明言した。
 12年11月のデザイン決定時には約1300億円とみられていた総工費が、翌年10月には3000億円近い費用がかかると判明したことから始まったこの問題。「日本が世界に誇れるものに」「日本の信用に関わる」という言葉が飛び交い、国立競技場を運営する日本スポーツ振興センター(JSC)や文部科学省では、計画見直しには否定的だった。しかし、このままでは国民からも、アスリートからも理解を得られないと判断した政府は白紙撤回。この2年間の論議は何だったのか……。

 まず「オリンピックに相応しい、世界に誇れる競技場を」という考え方は理解できるし、日本国民としてどうせ作るなら素敵なものを建てて欲しいとは思う。でも、モノを買うときには予算がある。そんな基本的な概念が抜け落ちてはいなかったか?

「買い物をするときは、予算の中で自分の優先順位によって買っていくのが大切」と子供の時に教わった。お菓子を買おうとする。飴やスナック菓子を選ぶ。甘いものが欲しいとか、ジュースも欲しいと思っても、お金が足りなければ、その中で優先順位をつけて数を減らしたり、諦めたりしなければならない。許される中で予算交渉するも、親の顔を思い浮かべると……。そんなことを頭に入れながら、ベストバランスを探すというのが買い物というものだと思っていた。それはどんなプロジェクトだって同じだ。民間企業なら予算を上回った時点で、再度仕様と予算を見直すのが当然である。そう考えると、この計画のお財布管理者は何を基準に進めていたのか。きっと予算をオーバーして怒る“お母さん”がいなかったのだろう。

 あのデザインが悪いという意見もある。しかしザハ・ハディド氏のデザインを選んだのは審査委員会だ。彼女はプランを提出したに過ぎない。ただ、ロンドン五輪でのスイム会場設営で予算の3倍以上に高騰してしまった彼女の実績などを考えると、審査委員がコスト感と、過去のヒストリーをもう少し配慮しても良かったのではないかという気もするが……。しかし、審査委員会はデザインを審査するところであり、コストを考えて発注するのはやはり発注者でしかなく、審査委員会だけの責任にするのもおかしな話。

 つまり、すべて発注主であるJSCや文部科学省が、あまりにコストに対する常識的な感覚が抜け落ちていたのだ。というより、国のプライドや納期などに執着しすぎて、この競技場が誰のもので、何のために建てられるのかという発想が欠けていたのではないだろうか。

 何を優先すべきか考える機会

 オリンピック・パラリンピックにおいて一番大切なのは、素晴らしい競技が行われるような環境づくりだ。決して華美な建物ではない。観客も世界も建物を見ないというわけではないが、最も注目するのは選手たちのプレーである。お金をかけるべきなのは、その器も大事だが、その中身の料理であり、素材や調理法ではないだろうか。今回、最終的に試算された2520億円というメイン会場の建設費は、ロンドンの約840億円、来年開催されるリオデジャネイロの約580億円と比較してもあまりに高すぎないか。資金が余っているならともかく、限られた予算の中でそれだけのお金を投入すると、本来注力しなければならない、サービスやホスピタリティ、他施設の建設などにもしわ寄せが及ぶだろう。もちろん、最終的に国民にも負担を強いられることになるのだが……。少子化が叫ばれ、国の経済基盤が小さくなるタイミングで、その借金を背負うことになるのは無謀過ぎはしないか。

 大会後の施設利用に関してもかなりグレーだ。サブトラックがないという二流の陸上競技場、専用設計になっていない二流のサッカー競技場、コンサートホールとしても遮音性、残響処理の問題から二流以下。つまり何をするにも中途半端な施設がどこまで使えるのか。しかし維持費は35億円を超えてしまう。このままでは大きな“負の遺産”を残すことになるのは必至。国民の8割近くが当初の案に反対したのは当然だろう。

 ここで再度、スタートラインにたった競技場問題。もう一度、誰のために、何を優先するのか考えるべきである。そして「オリンピックがあったおかげで、あの建物があるんだよね」と、国民に親しまれ、使われる競技場にしなければならない。たとえ19年のラグビーW杯に間に合わずとも、代用できる施設は横浜国際総合競技場などないわけではない。丁寧に、議論を重ねて進めたい。そして大切なのはリーダーシップをとれる存在。今回の問題もその責任と自覚がある方がいたら変わっていたはずだ。

 と、この原稿を書き上げたところで「整備計画の基本方針」が発表された。「アスリートファースト」というのを掲げ、競技機能に限定。屋根も観客席の上にしかつけないらしい。予算を絞るには当然の流れだが、開催後の使用が限定され、採算は難しくなる……。またどの競技に合わせていくのかも重要で、今後は各競技団体間の駆け引きも熱を帯びそうだ。

 まだまだ結論まで時間のかかりそうなこの問題。ただ、自国開催のオリンピックなど生きているうちにそう味わえるものではない。僕たちも他人ごとではなく、大会を支える1人であるはず。国民の知恵と力を集約し、素晴らしいモノを作っていかなくてはならない。
 5年は長く短い……。

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
 スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦していた。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための新会社「株式会社アスロニア」の代表取締役に就任。13年1月に石田淳氏との共著で『挫けない力 逆境に負けないセルフマネジメント術』(清流出版)を出版。
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