あの歓喜の瞬間から早くも3カ月以上が経った。日本が連覇を達成したWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)。原辰徳監督を総合コーチとして支えたのが元西武ライオンズ監督の伊東勤である。現役時代は正捕手としてライオンズの黄金期を支え、8度の日本一を経験。監督としても就任1年目にチームを日本一に導いた。伊東を作戦コーチに抜擢した理由について原は「(短期決戦を)勝つためにうってつけの人材だと思った」と語っていた。「世界一」の参謀となった伊東に当サイト編集長の二宮清純が、今だから話せる舞台裏を訊いた。
 総合コーチだと知らなかった

二宮: 原監督から声がかかったのはいつですか?
伊東: 昨年の10月にワールドシリーズの解説をするために米国に行きました。5戦目が雨でゲームが中断して、その夜、原監督から電話がかかってきたんです。こっちとしては全く予期していないことだったんですが、「原ですけど」と言われてピーンときました。

二宮: それまで面識は?
伊東 球場で会ったら話す程度で、もちろんWBCについて話したことはない。まぁ、同じ九州人でもあり、ウマがあったんじゃないでしょうか。

二宮: 最初から「総合コーチ」だと?
伊東: いや、役職名については全く聞いていなかった。他のスタッフの名前を聞いて、おそらくバッテリーコーチだろうと勝手に判断していました。だから公式発表の日まで「総合コーチ」とは知らなかった。
 最初のミーティングの席で、当然、上座には原監督が座る。次は投手コーチでヘッド格の山田(久志)さんが座ると思っていたら、僕だったんです。これはおかしいと思って僕は気を遣って「席を換えましょう」と言ったら、山田さんは「いいよ」って感じで……。結局、僕がヘッド格ということだったんです。

二宮: 総合コーチの役割についてですが、ピッチャー交代の権限は誰が握っていたんですか?
伊東: ピッチャーについては全て山田さんです。

二宮: キャッチャーへの配球の指示は?
伊東: サインは(主戦キャッチャーの)城島健司(マリナーズ)に任せていました。ただ、ベンチから見ていて気付いたことは、その都度アドバイスしました。

二宮: 城島との間で考え方の相違は?
伊東: それはなかったです。前もって“こういうかたちで攻めていこう”ということは決めていたのですが、彼は素直にやってくれました。

二宮: 東北楽天の野村克也監督からは「城島の配球が悪い」と批判され、本人が「野村監督は現役の時に1点も取られたことがなかったんでしょうね」と言い返す場面もありました。
伊東: 彼もおもしろくなかったでしょうね。僕と城島は現役時代、一緒にやっていましたんで、性格についてはよく知っている。その時に比べるといろんな経験を積んだことで大人になっていましたよ。しかも昨季はマリナーズで干されていた時期もあったので、野球に対して飢えていた面もあったと思います。

 岩村、セカンド固定の理由

二宮: 東京ラウンド最終の韓国戦、金泰均に三塁線を破られ、それが決勝打になった。インコースを攻めるならキャッチャーはもっと三塁手をライン際に寄せておくべきだとの批判があった。
伊東: 確かに後から考えれば寄せておけばよかった。ただ、ああいうのは紙一重ですからね。選手や守備コーチが気付いていないのなら、我々が指示しなければいけなかったのかもしれない。

二宮: 原監督の選手起用について、“あれっ?”と思ったのは、たとえば内野の陣形。サードを二塁が本職で三塁は未経験の片岡易之(埼玉西武)が守ったことがあった。普通なら日本ではサードを守っていた岩村明憲(レイズ)に任せるべきだと思うのですが……。
伊東: 詳しいことはわからないのですが、岩村はメジャー契約の中で「セカンドしか守らない」という一文を入れているようなんです。そこの部分を監督は気遣ったんじゃないでしょうか。

二宮: WBCと普通のチャンピオンシップとの一番の違いは球数制限。1次ラウンドは70球、2次ラウンドは85球、決勝ラウンドが100球でした。戸惑った点もあったのでは?
伊東: ピッチャーにはヨーイドンから20、30球で調子を上げていくタイプ、50球で調子を上げていくタイプと様々です。松坂大輔(レッドソックス)なんかは典型的な後者で一汗かいてよくなるタイプ。調整は難しかったと思います。
 球数はベンチの中でチェックできるんですが、あと何球、あと何球と考えながらやるのは本当の野球じゃないですね。終わって考えると、やはり縛りが多すぎた。
 日本が優勝できたのは先発ピッチャーの能力の高さに依るものですね。各チームの先発ピッチャーが本当によくやってくれた。彼らは試合前の調整は慣れていますが、ブルペンに入っての中継ぎの調整なんてほとんど経験がない。そのあたりは難しかったと思うのですが、よくやってくれました。

二宮: ベンチとブルペン間のコミュニケーションはどうでしたか?
伊東: これはアメリカでのことです。ベンチとブルペンの間には電話があるのですが、かけられないし、かからない。一応、試合前にはチェックしていたんですが、展開がもつれてくるとコーチも焦っているから違うところを押したりするんです。

二宮: 練習試合で試さなかったんですか?
伊東: 当然、試しました。そこでもうまくつながらないことがあったので、これは本番になったら注意しないとな、とは思っていたのですが、予想以上に苦労しました。

二宮: 投手部門はベンチが山田コーチ、ブルペンは与田剛コーチの担当でした。
伊東 ベンチで山田さんは「(ブルペンは)何で電話に出ないんだ?」と怒っている。でも向こうは「かかっていませんよ」と。こういうやりとりが何度かありましたね。見た目には継投がうまくいったように映ったでしょうが、綱渡りの連続でした。

 イチローの衰え?

二宮: 打順についてですが、メジャーリーガーの3人(福留孝介、城島、岩村)が7、8、9番を任されました。もっと上位を任せるかなと、予想していたのですが、これはなぜでしょう?
伊東: 正直に言いまして、彼らの力は日本でやっている時のほうが上でした。これは宮崎のキャンプで実感しました。

二宮: それは年齢的なものでしょうか?
伊東: それもあるでしょうが、アメリカの野球のほうが大雑把じゃないですか。日本のピッチャーはカウントを悪くしても際どいところに変化球を投げてきますが、アメリカのピッチャーはそうじゃない。しかも日本では勝負どころでフォークボールも投げてくる。それを打つか見極めるかがポイントになります。アメリカだと、どのピッチャーもチェンジアップと相場は決まっている。
 そういう環境で野球をやっていることで徐々に技術が落ちてきているんじゃないかと思いました。メジャーリーガーの3人を下位に置いたのは、彼らよりも日本でプレーしているバッターのほうが単純に実力が上と判断したからです。

二宮: 決勝の韓国戦で決勝タイムリーを放ったイチロー(マリナーズ)ですが、WBC全体では、44打数12安打、打率2割7分3厘に終わりました。久々にイチローを見た印象は?
伊東: 正直言ってひどかった。僕はあんなイチロー、初めて見ました。記者の方には「どうしたんですか、イチローは?」とよく聞かれました。「まぁ、イチローも人間だから、こういう時もあるよ」と返しましたが、実際にはひどい状態でした。
 何より凡打の内容が悪かった。最初のうちは外野にさえ打球が飛ばなかった。ほとんどストレート系のボールに詰まらされ、内野ゴロか振り遅れのファール……。

二宮: それは年齢的な衰えからくるものでしょうか?
伊東: いろいろな要素が考えられます。彼はチームに合流する前にひとりで打ち込みをやっていた。練習量は充分だったはずですが、ひとりでの練習と仲間がいての練習は違うんです。そこに微妙なズレがあったのかなと……。
 もうひとつは眼ですね。本人の中ではきちんと同じポイントで打っているつもりでしょうが、実際にはひとつふたつ差し込まれていた。それも140キロちょっとのストレートに。動体視力がちょっと落ちたのかなという印象を受けましたね。

二宮: WBC後、イチローは胃潰瘍を患い、開幕から8試合、休みましたが、現在は好調です。
伊東: そういうのを見るとメジャーリーグのレベルって落ちているのかなと思ってしまう。

二宮: WBCの期間中、イチローをスタメンから外すという選択肢はありませんでしたか?
伊東: それはなかったですね。大げさかもしれないけどイチローをスタメンから外したら、もう侍ジャパンではなくなってしまう。日本は終わりだと考えていました。それは原監督も同じだったと思います。

二宮: 開幕前の最後の強化試合から打順を3番から元の1番に戻しました。逆にこれで3番の青木宣親(東京ヤクルト)が生きました。
伊東: そうですね。イチローにとって、いやベンチにとって救いだったのは、全員がイチローの復活を願っていたことです。普通だったら「なんであんなに打てない選手を使うんだ?」と思う選手もいると思うんですよ。しかし、幸いなことにそういう選手はひとりもいなかった。不振の中、イチローがヒットを打つと皆が喜んでいましたから。

<この原稿は講談社『本』2009年6月号、7月号に掲載された内容を抜粋したものです>