8月2日、筆者は長野・松本にいた。

 ちょうど2年前のこの日、JFLの松本山雅FCに所属していた元日本代表DF、松田直樹(享年34)が練習中に急性心筋梗塞で倒れた。2日後に天国に旅立った松田のあまりに突然の死に、日本中のサッカーファンが涙した。

 真夏の夜、松本山雅のホームスタジアム「アルウィン」には時折、涼しい風が吹いていた。初めて松本の地で開催されたメモリアルゲーム。「Naoki Friends」には一般社団法人「松田直樹メモリアル」の代表理事を務める安永聡太郎をはじめ、中山雅史、福西崇史、城彰二、波戸康広、大橋正博など代表、横浜F・マリノス、山雅のOBが集った。

 対するは、山雅のユースチーム。普通、この手の試合というのは一方がOBチームとあって勝負度外視で“娯楽色”が強くなりがちになってもおかしくないのだが、いやはや、OBチームの目は真剣そのものだった。練習のミニゲームであっても勝つことにこだわった松田直樹イズムを、仲間たちも大事にしているかのようだった。

 スタンドは大いに盛り上がっていた。背番号3入りの山雅のユニホーム、マリノスのユニホームを着用して応援するファンも多く、松田直樹を感じながら、ピッチで繰り広げられる熱い戦いを眺めていた。
 試合は山雅OBの片山真人がゴールを奪って「Naoki Friends」の勝利に終わった。

 メモリアルマッチは今回で3回目(※昨年8月の金沢での試合は「AED普及マッチ」)。昨年1月に横浜で、今年1月には松田の地元である群馬で開催された。いずれも多くのファンが詰めかけた。そして今回も平日の夜だというのに、6000人の“大入り”。安永氏は「本当に直樹は大したもんですよ」と松田人気をあらためて感じていたようだった。

 安永氏は試合後、こう挨拶している。「直樹、ちょっと話をしようと思う」から、それは始まった。

「いろんなものを(君から)もらっている。フレンズのメンバー、新しいつながり……君が倒れる前までは(新しい仲間たちと)深く話したこともなかったけど、そうやってつながりをプレゼントしてくれている。俺は君がいてくれれば、それでよかった。でも……  君がいなくなってしまったことを、いつまでも悲しんではいられないと思う。きょうのこの日をもって、悲しむことをやめようと思います」

 三回忌をひとつの区切りにして松田直樹を強く思いながらも、悲しむのではなく、前を向いて歩いていく。松田の親友である安永氏の決意表明に、スタンドからは大きな拍手が注がれた。

 メモリアルマッチもこれでひと区切りにはなるが、安永氏は継続していく考えを持っているようだ。ただ、テーマとしては松田を想うことを主眼に置いてきたこれまでとは少々異なってくる。松田の名のもとにOBたちが集い、自分たちがサッカーを楽しむ。サッカーの素晴らしさを伝えていくことにシフトしていくことが、松田の遺志を引き継ぐことにつながるとも思う。

 安永氏から以前、今後のプランを聞いたことがある。

「こういうメモリアルの試合は、ずっとやっていきたいですね。ちょっと同窓会みたいになって、ずっとみんなで集まってね。もう15分しかやれないよっていう年齢になっても、ずっとやっていきたいなっていう思いがあります。たとえば日本代表の試合が開催されていないような地方に行って、元代表対地元の選抜チームとかで対戦したりとかもいいですよね。メモリアルの名のもとで、ワイワイ、ガヤガヤやっていくのもいいのかなって思いますね」

 松田直樹という男は、サッカーがたまらなく好きな永遠のサッカー小僧だった。

 松田直樹には人をつなげる力がある。彼の名のもとに、「松田直樹メモリアル」の名のもとに、1年に1度でもいい、メモリアルマッチが半永久的に続いていくことを、願っている。

(このコーナーは第1、第3木曜に更新します)
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