本気のブラジルは強かった。
 コンフェデレーションズカップ決勝でスペインを3-0で退け、1年後に控えるホーム開催のW杯に向けて弾みをつけた。この優勝にホッと胸を撫で下ろしたのがブラジルサッカー連盟(CBF)だろう。

 CBFは昨年11月、ロンドン五輪で準優勝に終わったことで国内の批判が高まっていたマノ・メネゼス監督を解任。そこで2002年の日韓W杯でセレソンを優勝に導いた“フェリポン”ことルイス・フェリペ・スコラーリを招聘したのだが、初陣となった2月のイングランド戦で敗北を喫し、4月まで5試合やってわずか1勝しか挙げられなかった。このコンフェデ杯で失態を見せてしまえば、またしても監督交代の声が上がっていたに違いない。

 大会前のイングランド戦(6月2日)も引き分けたが、続くフランス戦(同9日)を3-0で圧勝して流れをつくると、コンフェデ杯は5戦全勝で制した。

 攻守にバランスの取れたチームに仕上げたのはひとえにスコラーリの手腕によるものだと言える。ただ、ベンチで彼の隣にいる、もう1人の“監督”の存在を忘れてはいけない。その人とは、テクニカルコーディネーターとしてスコラーリの右腕となっているカルロス・アウベルト・パレイラである。今回、スコラーリのサポートに回った彼もまた1994年のアメリカW杯でセレソンを優勝に導いた。

 ブラジルは今大会ほぼメンバーを固定した状態で5試合を戦い抜いた。ホーム開催ということでメンタルが良い状態であっただけでなく、フィジカルコンディションの良さが目立った。これはパレイラのアドバイスが大きかったのではなかろうか。というのも彼は、プロ経験こそないものの、体育大学卒業のフィジカルコントロールにおけるスペシャリストだからである。

 有名な話がある。
 パレイラは1970年のメキシコW杯にセレソンのフィジカルコーチとして参加し、優勝に貢献している。メキシコは高地。その対策として、ブラジルは大会の何と40日前から現地入りして綿密な計画のもとに高地順化に取り組んだ。それが成功し、チームは優勝まで突っ走っていくわけである。言うまでもなく計画の中心にいたパレイラの評価が高まった。

 フィジカルコントロールに長けた監督と言えば、鹿島アントラーズでリーグ3連覇を達成したオズワルド・オリヴェイラがピンと来る。そのオリヴェイラが中学のときの体育教師がパレイラだったいうから驚きだ。

 パレイラの影響を受けた彼もまたプロ経験がなく、フィジカルコーチから監督の道に進んだ。3年前にインタビューした際、オリヴェイラはこう言っていた。
「メキシコW杯の優勝は私にとっても感慨深い優勝だった。努力をすればいい結果が生まれるということを、私はパレイラから学ぶことができた」と――。

 監督としてW杯優勝経験のあるベテランにタッグを組ませることを、国民は冷ややかに見ていた部分もある。しかしどうだ。守備の整備というスコラーリの特徴と、良いフィジカルコンディションづくりというパレイラの特徴がうまくかみ合っていた。ブラジル強し、という印象を各国も持ったことだろう。

 ブラジルでのW杯開催は1950年以来、64年ぶりになる。
 50年の大会はマラカナンスタジアムで行われた決勝戦でウルグアイに敗れ、国が泣いた日になった。のちに“マラカナンの悲劇”と呼ばれるようになり、優勝してその呪縛から解き放たれることがブラジル国民の宿願になっている。

 当時7歳だったパレイラも、この悲劇を目の当たりにした1人だ。優勝への思いは、きっと誰よりも強いはずである。

 ブラジルW杯の開催地は南北で気温差が激しく、かつ高地もあれば低地もある。コンディション調整がより難しく、そこが勝負のカギを握る。パレイラの存在感なくして、“マラカナンの感激”はない。
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