辛口な論調で知られるサッカー解説者・セルジオ越後氏の来日40周年を祝うパーティーが過日、都内のホテルで盛大に行なわれた。日本サッカー協会の小倉純二名誉会長をはじめとするサッカー関係者を中心に、各界から約500人が集まった。

 越後氏もこの日ばかりは日本サッカーを語るときの厳しい表情を捨て、終始にこやかな顔つきだったのが印象的だった。

 御年67歳。現在は解説者やアイスホッケー・日光ダイヤモンドバックスのシニアディレクターの活動が世間に知られるところだが、「昔のセルジオさんと言えば、やっぱり『さわやかサッカー教室』のコーチ」とパーティーに参加した関係者の会話も聞こえてきた。

 日系ブラジル人2世の越後氏は王国の名門コリンチャンスでプレーし、23歳で一度引退するも日本の藤和不動産サッカー部(現湘南)に行くことを決めて26歳のときに現役復帰。日本サッカーリーグ(JSL)1部でプレーした3年間で40試合に出場、6得点を挙げている。本場の華麗なテクニックは脚光を浴び、高い人気を誇った。

 ただ、越後氏と日本サッカーの関わりが深くなっていくのは引退後だ。永大産業サッカー部のコーチを経て、1978年からコカ・コーラグループの後援で日本サッカー協会公認の「さわやかサッカー教室」を開講。北海道から沖縄まで全国各地を渡り歩いて子供たちにサッカーを教えた。

 ブラジル仕込みのテクニックを披露しながら、そしてマイクを持ってジョークを交えながらの楽しいレッスンは反響を呼び、初年度だけで70回以上の開催があったという。それ以降も「教室」は続いていき、フットサルW杯日本代表のキングカズこと三浦知良(横浜FC)も“生徒”の一人。これまで約60万人が、越後氏の生徒になっている。

 日本サッカー協会の強化委員になった時期もあったが、子供たちへの指導は継続し、97年にはその功績を讃えられて協会から表彰を受けている。2006年には文部科学省より生涯スポーツ功労者表彰も受けた。日本サッカーの底辺拡大に、越後氏は多大なる貢献をしてきた。

 そんな越後氏も日本代表のことになると厳しい目を向ける。
 今年8月、札幌ドームで親善試合として行なわれたベネズエラ戦の後、越後氏に話を聞ける機会があった。彼はいくつかの決定機にシュートを外した背番号10、香川真司(マンU)に対して“もっと批判の声を挙げるべき”というスタンスだった。

「これがもしメッシだったら、アルゼンチンで“お前はアルゼンチンの選手じゃなく、バルセロナの選手なのか”と叩かれるはず。ここはビッグクラブに移籍した香川に対して甘くするんじゃなくて、厳しい論調で語ってあげることが彼のためでもあると思うんだよ」

 香川がマンUで激しい生存競争に身を置いていることは、辛口評論家は百も承知だ。そのうえで、温かい目よりもメディアや周囲の厳しい目が必要だと訴えた。越後氏は新聞や雑誌のコラムで厳しい論調を展開しているが、敢えてそういうスタンスに立ってきた。

 しかし、逆の一面を見せたこともある。04年のアジアカップ中国大会、準決勝バーレーン戦。現地でテレビ解説を務めた彼が終了間際、中澤佑二(横浜FM)の同点弾に興奮して「やったー!」と絶叫したシーンは有名だ。その映像がパーティーでも流されると、主役は照れくさそうにしていた。

 「セルジオさんは日本代表が大好きですからね。深い愛情があそこで出ちゃいましたよね」と越後氏をよく知るテレビ関係者はそう言って、笑いながら壇上を見つめていた。

 ザックジャパンはブラジルW杯アジア地区最終予選でグループBの首位に立ち、欧州遠征もブラジルに大敗を喫したとはいえ、フランスに初めて勝利するという結果も得た。だが、越後氏の舌鋒は鋭くなるばかりだ。

 彼はこう言っていた。

「今のザックジャパンは全然層が厚くない。宮市亮(ウィガン)とか若い選手を呼んでも、使っていかないと意味がない。今はね、メンバーが固定されていて競争意識を選手たちが見失っているんじゃないかとも思う。“俺、どうせ出ないんだから”という雰囲気を僕は何か感じるんだよね。そこは心配だし、(アルベルト・)ザッケローニ監督がしっかり考えていかなきゃいけないところだと思うよ」

 愛あるからこそ――。来日40周年、これからもセルジオ越後の辛口は続く。

(この連載は毎月第1、3木曜更新です)
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