「捕手の2番手、3番手は決まっていない」
 12日の入団発表会見、落合博満監督は正捕手・谷繁元信の後継者不在を示唆した。その候補の一人としてドラフトで指名したのが松井雅人だ。中学まではピッチャーとして鳴らした松井。その強肩ぶりは高校時代から目を見張るものがあった。そして、その落ち着き払った表情からはキャプテンシーがにじみ出ている。高校、大学と主将として、司令塔としてチームを牽引してきた松井。プロへの第一歩を踏み出した今の心境を語ってもらった。
―― 指名されたときの気持ちは?
松井 : なかなか指名がなかったので、半ば諦めていました。途中で監督室に呼ばれて、監督からも「社会人に行って、2年後(プロに)行けるように頑張れ」と言われて……。そしたら、その最中に球団から「指名させていただきましたので」という電話が入ったんです。指名されたことに関しては、やはり嬉しかったですね。ただ、7位という順位だったので、そのままプロに入るか、それとも社会人でレベルアップしてからまた挑戦するか、迷いましたね。

―― プロ入りを決断した理由は?
松井 : 翌日に明治神宮大会進出がかかった関東地区大会決勝が控えていましたので、結論はそれが終わってからにしようと。無事に関東大会で優勝して、神宮大会まで2週間ほどあったので、そこでいろいろと考えることができました。これまでプロ野球という日本の最高レベルのところでプレーすることを目標にやってきて、今回そのスタートラインに立てるチャンスを中日さんからいただいたわけです。だったら、挑戦してみるべきだなと。指名挨拶の時にスカウトの方から「(ドラフトの)順位は関係ない。キャッチャーは手薄の状態なので、若手捕手として頭角をあらわしてくれることを期待している」という言葉をいただいたことも大きかったですね。

 ピッチャーからキャッチャーへ――転機が訪れたのは中学3年の時。軟式から硬式へ移行するための練習をしていると、進学が決まっていた桐生第一高校の福田治男監督からキャッチャーへの転向を命じられた。キャッチャー歴7年。松井は司令塔としての醍醐味をどう感じているのだろうか。

―― キャッチャーの魅力は?
松井 : 目立たないというと語弊がありますが、やはり主役はピッチャー。キャッチャーはその主役を支える裏方ですが、自分のリードで打ち取ったときはやはり嬉しいですね。ピッチャー同様、完封した時なんかは最高の気分で病みつきになります。

―― キャッチャーとしてのこだわりは?
松井 : ピッチャーが余計な気を遣わずに投げやすい環境をつくることです。例えば細かいことですけど、ボールが汚れていたらちょっと拭いて返したり、タイミングよく声をかけたり。ピッチャーにもそれぞれの性格がありますので、それを把握することも大事ですね。叱った方が力を出すピッチャーもいれば、褒めたほうが乗ってくるピッチャーもいる。ピッチャーの特徴をつかむことは、キャッチャーとして何よりも重要です。

―― キャッチャーに転向して変わったことは?
松井 : キャッチャーになってから、人のことをいろいろと見るのがクセになってしまいました。職業病みたいものでしょうね(笑)。もちろん、グラウンドでバットを振っている選手がいれば見ちゃいますし、プライベートでも「どういう人なのかな」と無意識に観察しちゃうんです。どんな性格かは、顔に出ることもありますし、しぐさなんかでもわかります。例えば歩き方一つとっても、堂々と歩いているかどうかで気が強いのか、弱いのかわかることもあるんです。

 大所帯をまとめたキャプテンシー

 上武大学硬式野球部は全寮制で、130人以上の部員全員が一つ屋根の下で暮らしている。この大所帯をグラウンド内外で一つにまとめたのが主将の松井だ。人知れず悩んだ時期もあったという松井。しかし、最後の明治神宮大会、同大初の決勝進出はまさに、その苦労の末につかんだ栄光だったといっていい。果たして大学生活で何を学び、プロでどう生かすのか。

―― 高校、大学と主将をしている。心がけていたことは?
松井 : 一番大事にしてきたのはチームワークです。野球は団体競技なので、全員が同じ方向を向いていなければいけません。ですから、寮のルールから徹底させました。そのためにも厳しく言わなければいけないことは遠慮なく言いました。でも、いつも厳しいわけではありません。みんながワイワイやっている時には、自分もその中に入りますし。緩めるところは緩める、引き締めなければいけないところは引き締める。そういったメリハリを大事にしていました。

―― 4年間で一番苦労したことは?
松井 : やっぱり4年生になってからですね。3年生まではキャッチャーとしてピッチャーをリードすることだけを考えればよかった。でも、キャプテンに就任してからは自分のことだけでなく、チーム全体のことも考えなければならなかった。人数も多く、選手間の考え方の違いもあって、どうしても気持ちが違う方向にいってしまう選手も出てくる。それをどう同じ方向に向けさせるか、ということに一番悩みました。

―― 最後の神宮大会では準優勝に輝いた。
松井 : 上武大学はリーグではずっと連覇を続けてきました。それが今年の春は3位という不甲斐ない成績に終わってしまった。その時の悔しさを胸に、秋は絶対に神宮で日本一になろうということでやってきたんです。その目標にあと一歩及ばず、本当に悔しかった。準優勝できたというよりも、あと1勝で日本一を逃したことの悔しさの方が大きかったですね。

―― 頂点を極めるには何が必要か?
松井 : 少ないチャンスをモノにできるかどうかですよね。9イニングある中でチャンスは絶対にあるんです。あとはそれをモノにするかしないか。もしチャンスで自分に打席がまわってきたら、どういうふうにすれば結果が出るのかっていうことを頭を使って考えることが必要だなと思いました。

 現在、中日には球界を代表とする名捕手・谷繁の存在がある。レギュラーへの道は決して楽ではない。しかし、松井も黙って見ているつもりはない。その表情は常に冷静だが、負けん気の強さは誰にも負けない。内に秘めた情熱で、虎視眈々とレギュラーマスクを狙う。


松井雅人(まつい・まさと)プロフィール>
1987年11月19日、群馬県出身。中学までピッチャーを務め、強肩と冷静な性格を買われ、桐生第一高校ではキャッチャーに転向した。2年時には春夏連続で甲子園に出場する。上武大学へ進学し、2年秋、3年春には打点王に輝く。今年はキャプテンとしてチームを初の神宮大会準優勝に導いた。遠投115メートルの強肩と50メートル6秒0の俊足の持ち主。179センチ、78キロ。右投左打。

(聞き手・斎藤寿子)

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