「ついにリングに別れを告げるのかぁ~」
 明日(5月11日)、小橋建太選手が25年のプロレスラー人生にピリオドを打つ。引退試合の日程が発表されてからというもの、ファンはチケットを奪い合うように入手していた。

「どうしても観に行きたいので、チケットを取ってもらえませんか?」
 僕のところまでこんなお願いが届くほど争奪戦は過熱していた。マット界を代表する大物レスラーの引退なのだから、チケットがプラチナペーパーになるのも当然である。

 そんな惜しまれながら引退する小橋選手と全日本プロレス時代に対戦できたことは、とても幸運であった。しかも、シングルマッチでも何度かぶつかり合ったことがあるのだから、ちょっとした自慢になる。

「全日に来て良かった」
 小橋選手と試合した後には、決まってこんな思いを口にしていた気がする。

 僕はキングダム崩壊後、戦場をU系とは対極の全日に求めた。それは、キックを主体に闘う川田利明選手がいたのも理由のひとつであった。川田選手はUインターの神宮球場大会で、高山善廣選手と対戦したこともあり、彼となら面白い試合ができると思っていた。

 しかし、実際に対戦してみると、思い描いていたような試合をさせてもらえなかった。相手が僕との格の違いをみせようとしていて、対等な闘いにはならなかったのだ。もちろん、これは自分の実力不足であるのだから、相手を責められない。

 そんな中、小橋選手だけは違った。僕に対して常に真正面からぶつかってきてくれたのである。その結果、週刊プロレスや週刊ゴングなどの専門誌に対戦中の写真が表紙になったこともある(写真)。王道プロレスとUWFは、まさに水と油ほどのレスリング観の違いがあったが、それを乗り越えて熱い試合ができたのは、相手が小橋選手だったからに違いない。

 そのかわり、カラダがふた回りほど大きな小橋選手との闘いは大きな覚悟が必要だった。僕の胸板をミミズ腫れにしたチョップの連打をはじめ、一切の妥協を許さない彼の技は、どれも重く、体の芯まで効いた。

 何と言っても必殺技である剛腕ラリアットは、その極みであった。これまで受けた技の中で、間違いなく5本の指に入るだろう。

「かなり強く、マットに頭を打ちつけていましたよ」
 セコンドで僕の試合を見ていた若手に心配されることもしばしばだった。根こそぎなぎ倒すという表現がピッタリくるほどの強い当たりに僕のカラダは、まるで人形のようにマットに突き刺さっていた。

「交通事故に遭ったみたいだな」
 後で試合映像を見た僕の率直な感想である。これでは意識を失うのも仕方がないと思った。

 彼とは試合のたびに軽い脳震盪を起こしていたが、決して後味は悪くなかった。肉体に大きなダメージは残っても、精神的にはむしろ充実感に包まれ、また闘いたい意欲が沸くのである。

 ボロボロになって闘っていたのは、決して僕だけではなかった。どんな相手にでも真正面から技を受けきる小橋選手もまた満身創痍であった。至宝・三冠戦などは、目を覆いたくなるような壮絶な技のオンパレードに、セコンドで見ていたこっちが辛くなるほどであった。

 これまで何度も書いたが、僕が全日に移籍した当初から三沢さんや小橋選手のカラダは、尋常ではないほど壊れていた。その状態から十数年も闘い続けたのだから、本当に信じられない。ケガだけでなく腎臓ガンまでわずらいながらもリングに上がり続けた姿は、まさに鉄人である。

 彼は、ファンの前だけでなく、僕たち選手の前でも決して弱さを見せることがなかった。馬場さんの告別式を日本武道館で行なった時のことだ。献花に訪れたファンをお出迎えするため、選手たちは馬場さんの遺影の前に立っていた。

 ファンの列は途絶えることはなく、それが数時間にも及んだため、選手の体調を心配したスタッフは交代制の案を出した。ヒザや腰に故障を抱えている選手にとって、ずっと立ち続けるのは厳しいからだ。

 特にヒザの悪かった小橋選手をスタッフは気遣っていたが、彼は1度も座ることはなかった。熱血漢の彼は、リング上のみならず、何に関しても手を抜くことを嫌うのだ。

 そんな小橋選手から一度だけ、親身になって話をしてもらったことがある。それは、後にファンやマスコミを騒がせたあのプロレスリング・ノアの旗揚げ戦の時だ。

 僕の暴走ファイトを不審に思った小橋選手が、わざわざ控え室まで来てくれたのである。だが、僕はこの一戦で鼓膜を破ってしまい、小橋選手の熱血アドバイスをよく聞くことができなかった。一生懸命に僕を諭してくれていたのはわかったが、どんな言葉だったのか、あまり聞きとれなかったのである。

 おそらく僕の魂を揺さぶる内容だったに違いないが、それを聞けなかったのは悔やまれる。僕は、この小橋選手の厚意を無にし、その後しばらくして、ノアを退団してしまった。

 人生にタラレバはないが、もし鼓膜が破れておらず、彼の話をちゃんときけていたら別の選択もあったかもしれないと今さらながら思う。あれほど熱い戦いをしていた仲だっただけに最後にシコリを残してしまい残念だった。

 しかし、今後はプロレスを引退した者同志、必ずどこかで再会する時が来るだろう。その時には、リングで火花を散らした頃のように真っ向から気持ちをぶつけたいと思う。

 小橋さん、長い間、本当にお疲れ様でした!

(毎月10、25日に更新します)
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