「桜庭(和志)選手の控室へは、僕が案内しますよ」
 新日本プロレスのマーティー浅見レフェリーに誘導され、東京ドームの長い通路を歩き、彼の控室へと向かった。

 久しぶりの再会だけに楽しみではあったが、ある不安が脳裏をよぎった。
「桜庭はドランカーだろ?」
 こんな心無い声を多数聞いていたからだ。

 専門誌などで、桜庭自らがその事に触れ、自虐的なギャグを放っているのを目にしたこともある。まさかとは思っていたが、強豪選手にタコ殴りにされているだけに絶対ないとも言い切れない。

 彼は気持ちが強すぎるため、どんなにやられても最後まで立ち向かってしまう。ゆえに、人一倍打撃を喰らっているのだ。それだけに身体へのダメージは計り知れないものがある。

「もし、本当だったら辛いなぁ……」
 かつて同じ釜の飯を食った可愛い後輩だけに僕は身内同然の感覚を持っているのだ。

 コンコン。
 控え室のドアを開けると2名のセコンドとともに桜庭選手が鎮座していた。
「サクラバ~、久しぶり!」

 しかし、彼の反応はひどく鈍かった。えっ!?……まさかオレのことを忘れてしまったの? 僕の心臓の鼓動は激しくなった。

「あっ~!」
 次の瞬間、満面の笑みを見せた桜庭がいた。
「ずいぶん痩せられたので、垣原さんだと一瞬わかりませんでした」

 確かに久しぶりに会うプロレスマスコミの人たちににも同じ事を言われた。僕は現在78キロだから、現役時代のイメージを持っている人からすると別人に見えるのかもしれない。

 それに引きかえ桜庭は、ウエイトを含め、昔とほとんど変わっていない。控室で少しだけ雑談をしたが、言動や表情におかしなところなどひとつもなかった。

 まさに都市伝説のように出回っていた「桜庭ドランカー説」がデマであるのを確認できて心底安心した。ネット社会の現代は、簡単に情報を入手できる便利な世の中となったが、真実は自分の足を使わないとわからないものである。

 控室を出る前、彼に試合へのエールを送った。
「ありがとうございます。テキトーにやります」
 いつもの桜庭節であった。

 この「テキトー」というのは、桜庭流の気合の表れなのである。この時点で、この日のダブルメインイベントである『桜庭vs中邑真輔戦』が凄いものになると確信した。

 開場するとドームの客席は、ものすごい勢いで埋まっていった。後日、観客は2万9千人と発表された。これまでと違って実数発表のため、いささか少なく感じるが、ここ数年のドーム大会ではダントツに入っていた。

 それは、カードゲーム会社『ブシロード』が巨額の広告費を使い、新日本の選手をアピールし続けた結果である。新日本プロレスは、『ブシロード』がオーナーとなってから、テレビコマーシャルなど世間への露出が多くなった。

 山手線の電車本体に選手の写真がラッピングされていたのも記憶に新しい。人の流れが激しい新宿駅構内で目を奪われるほどの巨大広告を見つけたこともあった。このような積み重ねが、ドームの3階席をもいっぱいにしたのかもしれない。

 さて、肝心の試合だが、ダークマッチと呼ばれる第0試合から大物選手が出るという贅沢なマッチメークであった。獣神ライガー選手やタイガーマスク選手が、これに出ているという豪華さである。これが本番前の試合と言うのだから信じられない。

 そして、第1試合からボブサップ選手や曙選手が出るというスパークぶりにも驚いた。この2人の対決は、かつて大晦日で紅白歌合戦の視聴率を超えたカードである。シングルマッチだと、ただのリバイバルとなるので、ここに新日本の選手が加わり、8人タッグというお祭りムード満載のオープニングとなった。

 そんな試合の主役をかっさらっていったのは、誰であろう中西学選手であった。あのボブサップ選手を得意のアルゼンチンバックブリーカーで持ち上げたのだから、ドームが沸かないわけがない。

 僕もこのシーンを見た瞬間、目頭が熱くなった。中西選手は、首の大ケガから復帰して、まだ2カ月ほどしか経っていない。まだ試運転中の身でありながら、その首に2メートルの巨人を担いでしまうのだから、人間離れしているとしか言いようがない。

 まさに野人である。一時は日常生活すら危ないほどの状態を知っているだけに、この大活躍は自分のことのように嬉しかった。

 このような大一番を前にしていても、中西選手は周りの人への気配りを忘れない。
「カッキー、これも食べてね」
 もうすぐ自分の出番だというのに、観戦している僕や息子のためにわざわざ食事を届けてくれたりした。とても試合を控えている選手とは思えない気遣いに本当に恐縮した。

 そう言えば、昨年末にもこんな出来事もあった。
「カッキー! 今すぐに手伝いにいく」
 こちらから頼んでいないのに僕が参加する障害を抱えたお年寄りの餅つき大会に、ボランティアで参加してくれたのである。

 たとえテレビカメラが回っていないところでも、中西さんは裏表が一切ないのだ。すべてをさらけ出すリング上では、ファンにもこれが伝わるのだろう。だからこそ復帰後の勝利に、あそこまでドームが盛り上がったのだと思う。

 最高の滑り出しで始まったドーム大会は、とても良いムードの中、ダブルメインイベントへと突入していった。

(次回へ続く)
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