「キレてないですよ!」
 ずいぶん前に世間で流行ったお笑い芸人『長州小力』のセリフである。長州力のモノマネ口調で、この言葉を言うとドッと笑い起きていたのが懐かしい。

 このセリフが生まれたのは、新日本プロレスとUインターの対抗戦の時だった。今から17年も前の話となる。

「オレをキレさせたら、大したもんだ」
 長州選手は、僕たちUインター勢を格下扱いしながら、このような挑発を繰り返したのだった。

 マスコミもいつの間にか、対抗戦の試合が終わるたびに長州選手に「今日の試合、キレましたか?」と質問を繰り返すようになった。そこで、「キレてないですよ」というお決まりのセリフが生まれたのである。

 しかし、これ以上に僕たちを憤慨させた言葉がある。「オレをタックルで倒したら勝ちでいい」という長州選手のコメントだ。殺伐とした対抗戦で、アマチュアレスリングのルールを持ち出してくるとはどこまでバカにしているのかと腹が立った。

「なめくさっとる」
 Uインター勢は、青筋を立てて怒り心頭であった。

 長州選手は、「あいつらとは基礎体力が違う」とも挑発してきた。そこまで言われると意地でもタックルで倒してやろうという気になる。

 打撃技に比重を置いていた僕は、正直タックルは得意ではなかった。もちろん、Uのスタイルではタックルも有効なので、全くやってこなかったわけではない。でも道場では打撃技や関節技の練習に取り組むことが多く、タックルや投げ技にはそれほど時間を割いてこなかったのだ。

 かつては先輩の田村潔司選手と日体大へレスリングの出稽古に行ったこともある。ただ、当時はまだ練習生だったため、あくまでも付き添い程度だった。

 僕は、長州選手のあの発言を聞いてから、タックルを強く意識するようになった。そして、自らの意志でレスリングの出稽古を行なうことにした。
 
 練習場所を探していたところ、ひょんなきっかけから、近所の高校で練習できることとなった。正直、高校生と練習するのは抵抗があったが、とにかく時間がないので、そこでお世話になることにした。

 その高校とは、二子玉川の閑静な住宅地にある『セント・メリーズ』というインターナショナルスクールだ。決してレスリングの強豪校というわけではないが、日本人がいないため、余計な神経を使うことなく練習に没頭できたのである。

 つまり、プロとしてのプライドを捨て、一から基礎を反復するには良い環境であったのだ。それに高校生とはいえハーフや外国人なので、体の大きい生徒が多く、練習相手としても申し分なかった。

 僕は、ここでレスリングを基本から教わり、もっと早く通うべきだったと後悔するほど楽しくトレーニングが詰めた。せっかく基礎を習ったレスリングではあったが、長州選手は目的を遂行するには非常に厳しい相手であった。なぜなら、長州選手は韓国代表として、ミュンヘンオリンピックへ出場経験があるほどのレスリングマスターだったからだ。

 実は当時、不覚にも僕はこの事実を知らなかったのである。日本ではなく韓国代表としての出場だったため、レスリング選手としてのイメージが薄かったのも原因のひとつだろう。一ファンの立場からすると、レスリングのオリンピック経験者といえば、ジャンボ鶴田選手や谷津嘉章選手、それに馳浩選手などの印象が強かったのだ。

 長州選手が、あのような発言をするのも今なら理解できるが、当時はアマレスのニオイが全くしないファイトスタイルだったため、僕は本気でタックルで倒そうと思っていたのである。

 果たして僕は、東京ドームの大舞台で長州選手へ果敢にもタックルを仕掛けたが、彼のカラダを崩すことなどできなかった。
「まるで足から根が生えているようだった」
 試合後、僕はマスコミにこう語った。

 体重差を差し引いてもあの足腰の強さは尋常ではなかった。とにかくバランスが良く、脚力が化け物のように強かったのだ。これでは簡単にタックルで倒すことなど到底無理な話である。悔しいが、「オレをタックルで倒したら勝ちでいい」という発言を認めざるを得なかった。

 このように僕は玉砕したものの、ますますレスリングに興味を持った。この対抗戦が終わった後だったか、バルセロナオリンピックへの出場経験のある安達巧氏(後の日体大のレスリング部監督、現在は日本文理大学レスリング部監督)が、時々Uインターの道場を訪れ、僕たち選手にレスリングを教えてくれるようになったのだ。

 これは願ったり叶ったりのチャンスと選手たちは小躍りした。安達さんは60キロほどの小柄な体であったが、実際にスパーリングで胸を借りると僕たちはコロコロと面白いように転がされた。まるで気孔を操る仙人のようだった。

 Uインターが崩壊し、その後にキングダムという団体を立ち上げた時にもコーチ兼レフェリーとして、安達さんが参加することが決まった。今思うと本当に贅沢な練習環境であったと思う。ひとつのビルをすべてキングダムが使用し、各階にそれぞれのスペシャリストがコーチしてくれたのだ。

 レスリングの安達さんの他にもタイ人の打撃コーチやボクシングのコーチがいて、ウエイトまでサポートしてもらえるのだから、強くならないわけがない。対抗戦での敗退から強さに貪欲になった僕たちは、更に練習に明け暮れるようになった。時には日体大レスリング部へ出稽古にも行き、レスリング技術を磨いた。

 そして、タックルがやっと自分のものになったと感じたのは、フェリックス・ミッチェルという黒人選手とやった総合ルールでの試合だ。この選手は、初期のUFCへ何度も出場経験があり、身体能力の高い選手であった。そんな彼にズバリと片足タックルが決まったものだから、うれしいなんてものじゃなかった。

 あのインターナショナルスクールで苦手なタックルを一から教わり、ドームの長州戦で大恥をかき、その後、安達さんにオリンピックレベルのレスリングテクニックを学ばせてもらった。そして、UFCの金網の中でケン・シャムロック選手とも闘ったミッチェル選手にガチンコファイトでタックルを決め勝利したのだから、感慨もひとしおだったのである。

 さて、ロンドンオリンピックではレスリング競技が行われている。6日には、グレコローマン60キロ級の松本隆太郎選手が、見事、銅メダルを獲得し、日本中が沸いた。注目の女子の試合もあり、しばらくはレスリング一色の日々が続きそうだ。

 僕はレスリングの試合を見ていると、今でも長州選手の言葉を思い出し、体中が熱くなる。
「オレをタックルで倒したら勝ちでいい」
 そして、無性にタックルの練習がしたくなってくるのである。

(毎月10、25日に更新します)


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