「うわっ!! 桜庭だぁ」
新日本プロレスの真夏の祭典『G1クライマックス22』で事件は起きた。最終戦の両国国技館のリングになんと桜庭和志選手が現れたのだ。

これに一番驚いたのは誰であろう僕である。
「えっ! マジで新日本のリングでプロレスをやるのかな」

現在の新日本プロレスのスタイルは格闘技路線ではない。あの頃の新日本とは全く違うのだ。

実は、今から約9年前、僕はマスコミを通じて、桜庭選手に新日本のリングに上がるよう呼びかけたことがあった。まだアントニオ猪木さんもいて、格闘技路線が色濃く残っていた頃である。

「田村さん、桜庭、是非このリングで戦いたい」
僕は、1年で一番大きなジュニアの大会である『スーパージュニア』を制したことで、このような発言をしたのだった。通常ならIWGPジュニアへの挑戦を口にするところ、その予定調和をぶち壊してしまったのである。

当然ながら田村さんと桜庭には、事前交渉などしていなかった。大人のビジネスなのだから、本来なら水面下で事前交渉をすべきだろう。

もちろん、業界に長くいるので、そのことは百も承知だった。だが、これこそがUインター魂の真骨頂であり、彼らなら、きっとわかってくれると信じての行動であった。当時、総合格闘技のリングで活躍していた彼らが、プロレスのリングに上がることは正直、難しいと予想していた。だからこそ僕はこの手法にこだわったのだ。

1994年、Uインターは『1億円トーナメント』という大会を試みたことがあった。かなりセンセーショナルな企画であったため、今でも覚えている方も多いだろう。

プロレス界では、チャンピオンがたくさんいるが本当に一番強いのは誰なのか? これを決めるために企画したのが、『1億円トーナメント』なのである。まさに漫画のような話をUインターは具現化しようと本気で動いたのだった。

ただし、トップ中のトップを集めるのはたやすい話ではない。それぞれの団体の看板を背負ったスター選手なのだから、交渉も一筋縄ではいかないのだ。そこで事前交渉なしで、他団体のトップ選手に招待状を送り、出場者を募ったのである。

業界としては破格の1億円という賞金を用意したことで、マスコミもこれをごぞって取り上げた。Uインターにとっての1億円という金額は、会社を存続できるか否やの大きな賭けでもあった。つまり、1億円は単なるパフォーマンスではなく、社運を賭けた大勝負だったのだ。

そのため、この企画を実施する前に会議で何度も話し合った。あまりにもリスクが大きいため、不安を口にするスタッフもいたが、選手たちは他団体に負けることなど考えるものは誰もいなかった。あの頃の僕たちは、トップの高田延彦選手を筆頭にとにかく練習に明け暮れ、自分たちの実力に自信満々だったのだ。

ちなみに『1億円トーナメント』出場を呼びかけた選手は、新日本プロレスの橋本真也選手、リングスの前田日明選手、パンクラスの船木誠勝選手、全日本プロレスの三沢光晴選手など当時のトップ中のトップであった。

「この中で、ひとりでも出てくれたら、トーナメントは大成功するよ」
企画した宮戸優光さんの鼻息は荒かった。

しかし、この正真正銘のガチ企画は、各団体から非難の声が相次いだ。結局、『1億円トーナメント』に、他団体の招待選手は誰ひとり参加することがなかった。つまり、大失敗で終わってしまったのである。

「夢がないなぁ……」
当時、『1億円トーナメント』に出場した僕は嘆いた。ファンのため、会社が止めるのを振り切ってでも参加する選手が現れてもらいたかったと心底思ったし、がっかりした。

かつてアントニオ猪木さんは、実現不可能と言われた当時のボクシング世界チャンピオンのモハメド・アリ選手をリングに引っ張り出した。結果や試合内容に賛否両論はあったものの、世間を巻き込む大きな話題となった。『1億円トーナメント』は、それに比べれば実現可能と思われただけに本当に残念であった。

この記憶が残っていたため、元Uインターのメンバーなら乗ってきてくれるだろうと僕は桜庭の名前を叫んだのである。結果的には、残念ながら桜庭選手が新日本のリングに現れることはなかった。

僕は独りよがりな考えで、あの『1億円トーナメント』の失敗を学ぶことなく、同じ過ちを犯した。相思相愛で注目対決が実現することなど、プロレス界においては、大海に石を投げ入れ、それを拾い上げるぐらい難しいとはっきりと思い知らされた。

先日、G1クライマックスのリングに立ち「このリングで試合をしたい」と言い出した桜庭を見て、僕は胸の奥にしまってあったものを思い出し、複雑な気持ちになった。9年の時は、彼に味方をしてくれるのか、そうではないのか、僕は見届けたいと思う。

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