「垣原君、それ胃潰瘍じゃないの?」
林督元リングドクターの言葉を僕はオーバーアクションで否定した。

かれこれ10年ぐらい前の話になる。新日本プロレスで試合をしていた頃だ。巡業中に胃が痛くなることがしばしばあり、大きな大会の時のみ来られる林ドクターをつかまえては胃薬を貰っていたのだった。その頻度があまりにも多いため、先生は胃潰瘍を疑ったのである。

病気に対して全くの無知だった僕は、胃潰瘍という言葉が怖いだけで、何の根拠もなく先生のアドバイスに耳を貸さず、病院へは行かなかった。胃の痛みは、試合のストレスから来るもので、大したものではないと信じて疑わなかったのである。

だが、2006年の引退後も痛みは続いたため、少々不安になってきていた。
「イテテテテ……」
さすがに我慢ができなくなった僕は、しぶしぶ病院へ向かった。2008年のことである。

「胃カメラをやりましょう」
先生の問診が終わると早速、胃カメラの予約がとられた。人生で初めて自分の胃の中をのぞくこととなった。

検査当日の朝は、200mlの水分補給のみが許され、前夜の21時以降は食べ物を口にしてはいけないためお腹が空いてたまらなくなった。レスラー時代から増量することが体に染み付いているだけに、空腹感があると痩せてしまうという危機感に襲われ、落ち着かなくなる。

「早く終わらせたい」
刻一刻とその時は近づいていた。

診察室に入ると、まずコップに入った液体を飲まなくてはならなかった。これは胃の中をよく見えるようにするためらしい。ポカリスエットのような色をしているが、味はとんでもなくマズかった。

続いては、喉の麻酔を行なうため、ゼリー状の液体を喉の奥にためて、5分間我慢しなければならない。もう、この時点ですでに泣きが入っていた。胃の動きを抑える注射を肩に打った後は、いよいよ診察台へと歩を進める。

マウスピースと呼ばれるものを口に挟み、いよいよ胃カメラが僕の体内へと侵入していった。
「おぇ~、おぇ~、おぇ~」

異物に反応した体が何度もゲホゲホと嘔吐するような動作を繰り返した。
「今、一番苦しい所を通過していますからね」

想像していたよりも遥かに辛く、僕は何度もタップしていた。無意識にタップしてしまうのは、ファイターの習性なのかもしれない。顔の下に敷いてあった僕のタオルは、涙とヨダレで汚れまくり、検査の壮絶さを物語っていた。

おそらく検査をやっていた実際の時間は数分間だったかもしれないが、僕には何時間にも感じられるほど辛く苦しいものであった。
「もう二度とやりたくない」
心からの叫びであった。

この時の検査結果は、十二指腸潰瘍であった。古い潰瘍がたくさん見つかったことから過去に何度もやっていたと思われる。やっぱりメンタルが弱いのだと嘆いているところに、先生から初めて聞く、病原菌の名前を聞かされた。

「原因はですね……ピロリ菌です」
もうネーミングからして恥ずかしかった。何でもこのピロリ菌が悪さをすることで潰瘍ができやすくなっているという。

幸いにもピロリ菌は薬だけで除去できるそうなので助かった。2週間、決められた薬をしっかり飲み、ピロリ菌を退治した僕は、もう胃カメラと無縁だと心から喜んだ。

ところが……、なんとつい先日、人生2度目の胃カメラのお世話になってしまったのである。9月21日の深夜のことだ。ミヤマ☆仮面のプロレスデビューを無事に終えて、自宅で寝ていたところ、お腹のあたりに激痛が走った。

朝まで続き、一睡もできなかったため、休日診療に駆け込んだのだった。それから3日間も痛みが続き、さすがに精密検査からは逃げ切ることはできなくなった。

「胃カメラ検査をしましょう」
4年前に苦しんだあの恐怖が再び僕を襲うこととなった。
「(スタン・)ハンセンのラリアットをやられるほうがまだましかも」
これほどまでに僕には胃カメラがトラウマになっていた。

だが、前回のピロリ菌ではないが、治せるものなら早いほうが良い。意を決して検査に望み、エコー検査や血液検査も行った。だが、検査結果は意外なものだった。

「胃も十二指腸も問題ないですね。ほんの少し食道炎をやっているかな」
検査後の診察室での先生の言葉に、僕は納得できなかった。あの数日続いた痛みは尋常ではなかったからだ。

「あっ! でもエコー検査から、痛みの原因がわかりましたよ」
胃カメラ検査の前に行なったエコーと血液検査から病名が特定されたという。
「えっ!」
病名を聞いた僕は絶句した。

なんと急性膵炎だったのだ。お笑いの次長課長の河本準一やチュートリアルの福田充徳も、これで入院して激痩せしていたので病名は知っていたが、まさか自分がなるとは夢にも思わなかった。お酒もほとんど飲まず、油物も過剰摂取していないのに、なぜなのか?

先生からは、胆嚢から胆石も見つかったと聞かされた。
「春からダイエットを試みてカラダが絞れたと喜んだのは病気のせいだったのか……」
僕は、しばし呆然となった。

6年ぶりにミヤマ☆仮面でプロレスに本格復帰したその晩になんとも皮肉な運命である。自分ではまだ若いつもりでも、40歳だ。これからは検査に怯えず、積極的に自分の体と向き合っていかなければと肝に銘じている。

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