肌寒い空気がオーストラリアの夜を包んでいた。ブリスベンでの激闘を終えてから数時間後、ザックジャパンの面々はチャーター機で帰国するため、疲労感を漂わせながら深夜の空港に姿を現した。



そのなかで、栗原勇蔵(横浜FM)の姿が印象に残った。負傷してチームから離脱した吉田麻也(VVV)の代わりに先発して1ゴールを挙げたが、後半途中に2枚目の警告で退場した。「(退場してチームに)迷惑かけちゃったからね」。出発ロビーに向かう際に軽くあいさつを交わした程度ではあったが、ショックの色はまだ表情に色濃く残っていた。



“サッカールー(オーストラリア代表の愛称)”のサポーターに支配されたブリスベンスタジアム。試合の立ち上がり、オーストラリアの猛攻は凄まじかった。



日本攻略のミッションは、ロングボールを放り込んでセカンドボールを拾い、それをシュートにつなげるというシンプルなもの。高さと強さという点では日本屈指の栗原も、ティム・ケーヒルとの競り合いでは劣勢に回ってしまった。

川島永嗣(リールセ)の好セーブに助けられ、失点にはつながらなかったとはいえ、振り切られてシュートを打たれてしまう場面はさすがにいただけなかった。



ただ、前半19分のプレーを境にして、栗原は落ち着きを取り戻していく。PA右サイドから攻め込まれ、ゴール前にこぼれたボールを相手と競り合い、倒れこみながらもクリアしたのだ。その後、日本はカウンターを武器にして押し返すようになる。守りのリズムがつかめたことで主導権を握り始めた。



後半10分に相手が一人退場となり、日本ペースで進んでいた20分、右のショートコーナーからリターンのパスを受けた本田圭佑(CSKAモスクワ)がドリブルで相手陣営を深くえぐる。そこから出たパスをフリーで待っていた栗原が右足で押し込んだ。“吉田の代役”が待望の先制点をもたらしたのだった。



記者席で見ていて興味深かったのはその後のシーンだ。興奮を隠せず、味方の手荒い祝福にも突進を止めない栗原はベンチに一直線。陰から支えるサブの選手たちのもとへ向かっていき、そこで喜びを爆発させた。記者席では「本気になった栗原の馬力を止められるヤツはいない」と驚きと笑いの交ざった声も起こった。



「あれはほとんど圭佑の点。決めればいいというボールをくれた。(あそこで点を取れたのは)まぐれですよ」

試合後、武骨な男はそう言って照れ笑いを浮かべた。しかし、その笑顔は一瞬だけ。すぐに厳しい顔つきになった。



というのも、試合終盤には2枚目の警告で、退場処分を受けたからだ。オフサイドポジションにいた相手選手が戻ってきて接触したプレーがファウルとみなされ、そしてカードまで出された。この日のサウジアラビア人の主審の笛は不安定極まりなく、栗原もその犠牲者となってしまった。



ただ、日本はその前にも、この主審ならPKともジャッジされかねないタックルもあった。後半25分には内田篤人(シャルケ)がPKを与えてしまっているだけに、もう少し慎重を期すべきだったのかもしれない。本人も「そういうことを頭に入れておかないといけない」と反省材料としていた。



そしてその後に「もっともっと(自分には)やっていかなきゃならないことがある」と、自分への“欲”を口にしたことが筆者にとっては何よりも新鮮だった。オーストラリアとの激闘を通じて“欲”が芽生えたことが、栗原にとって最大の収穫だったかもしれない。



類稀な身体能力の持ち主である栗原にはずっと期待の目が向けられていた。



U-20代表では世界ユース選手権(現U-20W杯)に向けたオーストラリア戦との壮行試合で乱闘騒ぎを起こすなど“武闘派”で知られる。05年までは控えに甘んじることが多かったが、06年、横浜F・マリノスでは岡田武史(現・杭州緑城監督)のもとで将来性を買われてリーグ戦30試合に出場。才能を開花させていった。



ただ、代表ではなかなか結果を残せず、岡田ジャパンでは南アフリカW杯メンバー候補になったものの最後は落選。ザックジャパンになってからは10年10月のアルゼンチン、韓国との親善試合でレギュラーを張ったものの、ケガで翌年のアジアカップに参加できず、その座を吉田に奪われてしまった。



そんなサブに甘んじる栗原を見て、不満に思ったのがアルベルト・ザッケローニ監督であった。昨年8月の合宿中に栗原を呼び止め「(10年の)アルゼンチン戦や韓国戦のときと比べると、激しさや若さのあるプレーが少なくなっているんじゃないか」と奮起を求めた。



「(代表のレギュラーを奪われて)俺が変わるのかなと、監督は期待していたんだと思う。でも変わってないと思われたから、あのタイミングで言われたんだと思う」



もともと、のんびり屋と言っていい。横浜FMには松田直樹(故人)、中澤佑二という日本代表のセンターバックを務めてきた先輩たちがいる。栗原も2人に負けず劣らずの資質を持ちながら代表のレギュラーに定着してこなかったのは、やはり“欲”が足りなかったのだと思う。



集中力を90分間持続させ、日本人離れした身体能力を存分に発揮できれば、今度は吉田の座を脅かす存在となるに違いない。

「もっとやってやろうっていう気持ちにはなっている」



松田の激しさと、中澤の冷静さ、その2つを栗原は兼ねそろえている。レギュラーに定着したい、世界と肌をぶつけたい――。そんな“欲”がようやく見えてきた。栗原にとってターニングポイントとなる、ブリスベンの夜であった。



(この連載は毎月第1、3木曜更新です)


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