グラクソ・スミスクライン株式会社が運営する喘息情報ウェブサイト「Zensoku.jp」にて、当HP編集長・二宮清純がナビゲーターを務める対談シリーズ「二宮清純のゼンソク人間学」が好評配信中です。幼い頃から喘息に悩まされてきた二宮が、病気を克服して活躍しているスポーツ選手、元選手と対談。喘息をいかに乗り越えるかというテーマで話を進める中で、この病気への理解を深め、患者さんを勇気づけることを目指しています。同シリーズでは新たに、プロ野球・阪神タイガースの藤川球児投手、かぎおかクリニック院長の鍵岡均先生との対談を公開中です!

(写真:藤川選手(中央)、鍵岡先生(左)と記念撮影)
 当サイトでは対談の一部を特別にご紹介します。
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 病院に連れて行ってくれた母への感謝

二宮: 発症はいつ頃?
藤川: もう小学校に入る前からですね。夜になると発作が出て寝られない。当時は吸入器も手元になくて、母に自転車の後ろに積んでもらって、夜中にかかりつけの病院に連れて行ってもらった記憶があります。母にはかなり迷惑をかけました。僕自身もつらかったですよ。

二宮: 藤川選手が中学3年生の時に弁論大会で発表された内容には「僕は小さい頃から喘息で苦しんできました。母は僕が発作を起こすと、どんなに夜遅くても病院に連れていってくれました。僕を含め4人の子供たちのために朝早くから夕方遅くまで働き、兄と僕には費用も世話もかかる野球をずっとやらせてくれました。おかげでぜんそくの発作もほとんど起こらなくなり、母には本当に感謝しています。僕はそんな母に夢を与えてあげたいです」と書かれてあります。野球を始めたのはいつですか?
藤川: 小学校3年生です。ただ、冬場になると練習にはついていけなかったですね。ノックは大丈夫でも、長距離走では息が苦しくなって走れませんでした。

二宮: 四国は野球が盛んで少年野球の練習も厳しい。喘息を周囲の人は理解してくれましたか?
藤川: あまり理解はされてなかったですね。たとえば朝、学校に行く時間帯に発作が出ると、その日はちょっと無理だと学校を休むことになりますよね。ところが、昼になると発作が治まって調子が良くなる。だから学校は欠席しても、放課後の野球の練習には行った日が何回もありました。すると周りからは「アイツ、学校さぼっているんじゃないか」という目で見られてしまう。

二宮: 兄弟で喘息にかかった方は?
藤川: 兄が1人、妹が2人いるんですけど、喘息になったのは僕だけでした。ただ、家族みんながアレルギー体質で、妹もアトピーだったので、遺伝かなと思っています。
鍵岡: 確かに喘息は遺伝の要素もあって、両親のどちらかが患者の場合、発症率は3〜5倍です。とはいえ全員が発症するわけではない。ですから、そこに環境やウイルス、ストレスなどの外的要因も影響していると言われています。
(写真:「今でも季節の変わり目は(症状が)キツイ時がある」と語る藤川投手)

二宮: 確かに私もアレルギー体質でアトピーもあります。でも、藤川選手は高知で、私は愛媛の出身。空気がきれいなところで、なぜ発症したのか疑問です。
鍵岡: 実は喘息患者は発展途上国よりも先進国で増加しているというデータが出ているんです。その原因仮説のひとつに、整備された環境にずっと身を置いていると、人間の免疫力が弱くなるというものがあります。つまり、ちょっとしたことが原因で発症してしまう。近年、ハウスダストの問題があって、どの住宅も対策を講じていますが、環境改善をすればするほど人間の免疫力が弱くなる。しかも現代社会はストレスが多いですから、喘息に関しては悪循環に陥っているとの見方もあるんですよ。
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 後編は7月12日(月)更新です。今後も喘息を乗り越えて活躍する各界のアスリート、著名人がゲストとして登場を予定しています。どうぞお楽しみに!
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