1日、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会はアートディレクターの佐野研二郎氏がデザインした大会エンブレムの使用中止を発表した。この日、組織委員会のオフィスを訪れた佐野氏と会談し、取り下げの申し出を受け、組織委と審査委員と話し合った上で決断。森善朗会長をはじめ、遠藤利明五輪担当大臣、舛添要一都知事らが出席した調整会議で了承した。組織委はデザインの盗用については改めて否定したが、「国民の理解は得られない」という判断で撤回を決めた。新たなエンブレムについては、再度公募を行うことを明らかにした。
(写真:使用中止に至った経緯を説明する武藤事務総長)


 7月24日、都庁前で華々しく披露された大会エンブレム。世界中に発信され、会見やイベント様々な場面で使用されたデザインは、わずか39日で白紙に戻された。

「大会準備にあたっては、様々な困難がありましたし、これからもあります。国立競技場を超える問題もあるかもしれない」。発表セレモニーでの舛添知事の言葉が、奇しくも現実のものとなってしまった。使用中止が決まった後の会見には、組織委の武藤敏郎事務総長と槇英俊マーケティング局長が出席した。2人の背後には無地の白い壁。無機質な背景が、すべてを物語っているようでもあった。

 ベルギーの劇場ロゴに酷似している、と指摘されたことから始まった問題。組織委側は原作者の佐野氏の釈明会見を開き、原案などを公表することで、クリアにしようとした。しかし、疑念が燻るだけでなく、佐野氏が製作した他の作品にも飛び火する。そして武藤事務総長が「最大の問題だった」と語る“疑惑”が浮上した。

 土曜日に佐野氏が展開写真で使用した画像の流用が指摘され、日曜日には原案が2年前に開催された「ヤン・チヒョルト展」のポスターデザインとの類似点が見つかった。これを受け、組織委は佐野氏、審査委員長を務めた永井一正氏らと会談の場を設けた。武藤事務総長によれば、佐野氏は「(写真は)応募した時の内部資料のためのもの。クローズドな場ではよくある話だが、公になる時には権利者の了解が必要だった。それを怠った」と流用を認めたという。

 一方で、「ヤン・チヒョルト展」については「観に行きましたが、ポスターバナーがどういったものだったか記憶はありません。自分は独自にデザインを作りました」と盗用を否定した。武藤事務総長は「見てみると、ポスターは“T”と“.”(ドット)。佐野さんのは“日の丸”“鼓動”“情熱”をイメージしたもの」と違いを説明。「佐野さんも『色も違いますし、模倣ではない。自分のオリジナルだと思っています』とお話していた」と明かした。

 公募の中からデザインを選定した選考委員会の永井氏は「デザイン界の理解としては、佐野さんの9分割されたデザインの基本。それはピリオドとは全く違うもなので、佐野さん言う通りオリジナルのものとして認識される」と発言したという。その一方で「専門家では分かり合えるが、一般の方には分かりにくい」との懸念もある。組織委としても「国民の理解をなかなか得られないのではないか」と同じ意見を持った。

 話し合いの席で佐野氏は「私はデザインが模倣であるから取り下げるということはできない。オリンピックに関わることが夢だったが、今や国民から受け入れられない。むしろオリンピックに悪影響を及んでしまう。原作者として提案を取り下げたい」と申し出たという。永井氏と組織委も賛成し、三者一致で決まった。

「新たなエンブレムの開発にスタートを切ることが、事態の解決にふさわしい判断」と武藤事務総長は語る。再び公募でデザインを選ぶ方針だ。しかし、「大勢の人が関与し、手続きを取った」と責任の所在が曖昧なまま進んでいく点は、どこか既視感を拭えない。思えば新国立競技場建設を巡る問題も、責任のたらい回しのような時間が続いた。悪しき前例をコピーしても仕方がないのだ。国民の支持を得るために透明性を確保することももちろんだが、審査委員会を改編するなどの対策を講じる必要もあるだろう。

 エンブレムという大会の旗印が消えた。だがビジョンそのものが失われるわけではない。<「すべての人が自己ベストを目指し(全員が自己ベスト)」、「一人ひとりが互いを認め合い(多様性と調和)」、「そして、未来につなげよう(未来への継承)」>。声高に掲げた3つの基本コンセプトを見失ってはならない。

(文・写真/杉浦泰介)