もう南アフリカW杯が懐かしく感じる。世界一治安の悪い国でビクビクしながら町を歩いていたのも、今となってはいい思い出だ。
 あれから半年、今度やってきましたのはアジアカップのホスト国、中東のカタール。「ドーハの悲劇」でサッカーファンにとっては馴染みの国。私は岡田ジャパンのW杯最終予選でお隣のバーレーンには行ったが、カタールは初めての渡航だ。
(写真:ヨルダン戦が行われたスタジアムから見たドーハの高層ビル群)
◇1月9日 「アウェー状態で戦ったヨルダン戦」

 移動は結構大変。成田からアブダビまで約12時間、トランジットは4時間ほどあってアブダビから1時間かけてドーハへ。
 さてドーハの空港に到着。普段は灼熱の国だが、1月に限っては気温20度ぐらい。ジャンパーをはおっていたが、汗がジワーッと出てきてしまう。ジャンパーだけでなくシャツも脱いで、Tシャツで十分だった。

 きょうはアジアカップ、日本の開幕戦。レンタカーを借りて、試合会場のカタールスポーツクラブスタジアムに向かった。
 車は右側通行。日本と逆だ。車窓から見えるドーハの町並みは、近代的なビルが建ち並び、なおも建設中のビルがあちらこちらに見える。ただ、近代的な姿はわずかなエリアだけで、ショッピングモールも点在している。急速的に発展している印象を受けた。2022年のW杯開催地に決定したが、このドーハで開催できるのかと言うお話はまた今度にしておこう。

 会場のカタールスポーツクラブスタジアムに到着して中に入ると、スタジアムは思った以上にガラガラ。しかし、バックスタンドにヨルダンの応援団が陣取って、ヨルダンに熱熱な声援を送っていた。日本にとってはアウェー状態で、ヨルダンがボールを持つたびにわっと沸く。ヨルダンが先制すると、記者席も沸騰。拳を突き上げる地元メディアもいた。最後の最後で日本が同点に追いつくと、一気に静かになったのだが……。

 試合後、ザッケローニ監督の会見を取材。「結果には満足していない、残念だ」と、アジアの戦いの難しさに触れ、厳しい表情に終始していたことが印象的だった。
 試合後はホテルに戻って、軽く食事を摂る。B組では日本のライバルであるサウジアラビアがシリアに敗れるという波乱。この大会、何か波乱の予感がしないでもない。


◇1月10日 「親切な人が多いカタールの人々」

 カタールの朝は早い。町に礼拝の音が流れ、自然と目が覚める。
 窓のカーテンを開けると、まだ7時前だというのに、多くの人がせわしく歩いていた。

 食事はホテル近くのレストランに行ってみた。
 入ってみると男性で溢れかえっていた。家族連れ、恋人同士という風景はなく、多くの男性が黙々とカレーなどのインド料理を食べている光景が広がっていた。食事はスプーンではなく、手で食べる。スープ用にスプーンは一応ついている。食べる前に手を洗い、食べ終わったら会計のところにある紙で手を拭いて帰っていた。

 私は店主がお勧めと言うマッシュルームカレーをテイクアウトで注文。さすがに手では食べられないので、スプーンをもらった。合計で10QR(カタールリヤル)。1QRが23円ほどというから230円。出来上がりに20分ほどかかったが、ライスは3人前ほどのボリュームで、お腹がいっぱいとなった。味もうまい。
 ホテルは住宅街にあるため、近代的なビルの並ぶ風景とはまるで違う。カタールの人々はとても親切だ。タクシーに乗って住所がわからないと、近くの人に聞いたり、電話したりして丁寧に送り届けてくれた。

 初戦でカタールはウズベキスタンに負けてしまったのだが、「町が静かになるからいい」と言う人もいた。サッカー熱が国全体で高まってはいるものの、W杯開催が決まった割にはサッカー一色というわけでもないようだ。
 スーパーで買い物をすると、車から「日本は強い。いいチーム」と男性から話しかけられた。「本田はナイスな選手だ」と、W杯での活躍もあって本田の名前は知っているらしい。
「香川という選手を知っているか」と尋ねてみたが、首を振った。新しい背番号10の香川が強烈なインパクトを残せば、香川の名前が中東でも知られる存在となるに違いない。そう思いながら、オーストラリア、そして韓国の初戦をテレビで見るために、ホテルへの帰路を急いだ。

(このレポートは不定期で更新します)

二宮寿朗(にのみや・としお)
 1972年愛媛県生まれ。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、サッカーでは日本代表の試合を数多く取材。06年に退社し「スポーツグラフィック・ナンバー」編集部を経て独立。携帯サイト『二宮清純.com』にて「日本代表特捜レポート」を好評連載中。