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(写真:アイアンマンを走る筆者。右手は負担をかけないようにウエアーで固定している)

 10月10日にトライアスロン界の最大の注目イベントと言える「IRONMAN world championship」(アイアンマン)がハワイ島のコナで開催された。僕のライフワークでもあり、年間の最大目標でもある本大会に今年も参戦してきた。ただし、片手で……。

 実は、大会の17日前に自転車練習中に落車、鎖骨、肩峰、肋骨は6本と、計8本の骨折となってしまった。練習の合間、少々気が緩んだ時のトラブル。長年乗っているが、情けない落車でもあった。レースまで残り3週間もない中で、ビッグレースに参加すべきかどうか、非常に悩んだが、片手でも挑戦することを決めた。本件に関して、批判も賞賛もいただいているが、この場を借りて振り返ってみたい。

 

 事故直後は痛みが激しく、痛み止めを飲んでも寝られないような状態。正直、最初の1週間はつらかった。この時、海外で自転車イベントの仕事であったが、仕事以外の時間はホテルの部屋で痛みに耐えるだけ。この時はアイアンマンに出場したいとは思っていたものの、その道が全く見えなかった。ちょうど帰国する頃にケガをしてから1週間が経過。いくぶん痛みも治まり、旧知のドクターに診てもらうと、予想以上に鎖骨がずれていることが判明する。僕は知らなかったが、骨折というのは折れた直後より、1週間くらいたった方が折れた部分がはっきりするらしい……。ここでアイアンマン参戦に暗雲が立ち込めた。ドクターからも「お勧めはしない」と当然のアドバイスをいただいた。

 

 この時点で大会8日前。万事休すかと思っていたが、最後の望みをいつもお世話になっている整形外科の友人に託す。2人のドクターで丁寧にレントゲンをチェックし、「これなら挙上動作さえしなければ悪化はしないでしょう。出ることは勧めないけど、大丈夫です。ただ、片手でるのか? そして痛みに耐えられるのかは君次第」という有難い言葉をもらった。これを聞いて僕の気持ちは固まった。片手でレースに臨むことや、抱えている痛みのことはさておき、「走れるなら走ろう!」と、この思いだけで決めた。

 

 トライアスロンはスイム、バイク、ランと3種目あり、それもアイアンマンはスイム3.8km、バイク180km、ラン42.2kmもある。これをほぼ片手でできるのか……。そこまでして出場したかったのは、いくつか理由があった。まず、3年前のこのコラム( 第133回「輝き続けるもの」)でも書いたけど、レース直前に落車して肩を痛めた友人が片手で走っていたのを見ていたく感動したのだ。彼の頑張りに勇気をもらったし、僕も彼のようにあきらめない姿勢を見せたかった。そして、落車の原因が自分の不注意ということもある。自分への戒めとして、どうしてもこの難題に挑みたかった。

 

 挑戦を表明した際に、お叱りや戒めもいただいた。「ケガを押して走ることを美化するようなことは立場上やめてほしい」「偽関節や患部のずれなど悪化させて、後々大変になる可能性があるからやめるべき」などなど。どれも真っ当なアドバイスだし、普通はそうすべきだろう。出発時にも動かせない右手、寝返りさえ打てない肋骨で、助言に従いたい気持ちもあった。でも、止めることはいつでもできるから、最後の最後まで出るつもりで行動する。そう決めて日本を出発したのがレース5日前……。

 

 今までにはない長い1日

 

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(写真:早朝からスタートするスイム。水面に映る陽の光が眩しい)

 現地入りして、やるべきことは本当に走れる可能性があるかをテストすることだ。全く動けなければ、大会にも失礼だし、多くの方に迷惑をかけることになる。当たり前だけど、ドクターの許可と競技の完走とは別のもの。いよいよレース4日前でいよいよ最終判断である。まずはスイムからテスト。片手で泳ぎ出す瞬間の喜びと不安は相当なものだった。それでも40年泳いできた体はなんとか動いてくれて、1kmを泳ぎ切った。時間制限も含め、少し先が見えてきた。続いてのバイクも事故後、初めてまたがるので、不安でいっぱい。それでも右手はハンドルに添える程度だが、なんとか20kmをクリアした。そして、ランニングは振動が響き、すぐに痛みが……。これはかなりの不安要素だが、レースまでの数日で改善することを目標にし、あとは精神力と痛み止めでカバーすることに。レースまで、あと3日、出場を決めた。

 

 毎夜、寝る前には起きたら痛みが引いているのではと期待しながら就寝。しかし朝、目が覚めると起き上がれない自分にがっかりするということの繰り返し。それでも、毎日少しずつ改善しているように思えた。いや、そう思おうと言い聞かせていたのかもしれない。

 

 レース当日、いつものスタートラインに立って、この選択をしたことが間違っていなかったことに確信が持てた。「僕はここに立つために1年間やってきた。どんな形、状態であろうと、できる最大の努力をしてスタートに立つべきだ。結果はなるようにしかならないしね」と妙に落ち着いていた自分がいた。

 

 もちろんレース中は苦戦の連続。スイムでは波や他の選手との接触にリズムを崩し、何度も立ち泳ぎで仕切り直す。バイクでは無理な姿勢で背中が痛くなり、ハンドルを持っていることすらつらくなるし、右手で補給のボトルがまともに受け取れない。29年のトライアスロン生活で初めて経験することばかり。本当に長い1日だった。

 

 それでも、ラン後半でフィニッシュを確信したときの体がしびれるような喜び。この大会参戦17回目で初めて、素晴らしい星空の下で走り、小躍りしたくなる感覚は忘れられない。最後の300mは夢見心地だった。今まで何十回と走っているアイアンマンではなかった感覚だ。危うくハイタッチを求める子供たちに右手を出すところだった!?

 

 通常、最低6週間の安静が必要とされるこの症状で、僕がやったことは医学的に正しいことだとは言えないだろう。もちろん他人にお勧めすることなどできない。ただ、骨は折れても、心まで折れないということは見せたかった。

 

 やはり人間を動かすのは気持ち。それを強く認識した今回の体験だった。

 

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
 スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦していた。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための新会社「株式会社アスロニア」の代表取締役に就任。13年1月に石田淳氏との共著で『挫けない力 逆境に負けないセルフマネジメント術』(清流出版)を出版。
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