なでしこがW杯で優勝した4年前、ひとしきり続いたお祭り騒ぎの外側では、危機感を募らせている人たちがいた。

 

 これから先、有望な人材は一気にサッカーへ流れてしまうかも――他の競技の関係者たちだった。

 

 不安は杞憂だったのか、それとも的中しつつあるのか。答えが出るにはいましばらくの時間が必要だろうが、何にせよ、多くの競技がサッカーへの対抗策を考える必要に迫られていたのは事実だった。

 

 Jリーグが発足した当時、猛烈な危機感を抱いていたのはプロ野球関係者だった。強い危機感は、時に「日本人にはサッカーは向いていない」などという荒唐無稽な理屈に流れることがあった半面、Jリーグの美点、武器を貪欲に取り入れることにもつながった。地域に密着したパ・リーグの隆盛は、Jリーグの発足なくしてはありえなかった。

 

 嫉妬は、危機感は、だから必ずしも悪いことではないとわたしは思う。負けたくないという思いは、前進の大きなエネルギーともなりうる。

 

 だが、極めて残念なことに、盛り上がるラグビー人気に対する危機感が、いまのサッカー界からは伝わってこない。ほんの数十年前、人気の面で大きく後塵を拝していたことを思えば、今後の立場逆転は決してありえないことではないのだが、先日の日本代表の戦いぶりを含めて、およそ危機感を抱いているとは思えない。ラグビーの躍進を、自分たちのエネルギーに変換しようとしているとは思えない。

 

 もし90年代のプロ野球関係者が、Jリーグの隆盛を黙殺するだけだったとしたら、果たしてどうなっていただろう。自分たちの人気は不動のものであると確信し、新しい息吹に目もくれなかったとしたら。

 

 いま、日本のサッカー関係者はラグビーに目を向けているだろうか。

 

 そういえば、ラグビー日本代表の帰国会見で、印象的な言葉があった。

 

「この(選手たちの)中にもルールわかってない人間がいますから」

 

 だからルールがわからなくても、試合を見に来てほしいというユーモア溢れるコメントだった。

 

 考えてみれば、Jリーグ発足当初は、実況するアナウンサーが必ずといっていいほど「オフサイドとは何か」について説明をしていた。選手だけでなく、伝える側にも、サッカーという競技に対する敷居を低くし、新しいファン層を獲得したいという思いが強くあった。

 

 いまはどうだろう。リトリート、ブロック、アタッキングサード……ほんの10年前は誰も使っていなかった専門用語が溢れている。ライトな層にとっての敷居は、どんどんと高くなっている。

 

 戦術理解どころかルールがあやふやであっても、感動することができるとラグビー日本代表は証明した。日本のサッカー界が忘れかけていた視点だった。

 

<この原稿は15年10月29日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


◎バックナンバーはこちらから