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(写真:パーティーには懐かしい顔がそろった)

 先日、電動車椅子サッカーチーム「金沢ベストブラザーズ」の設立20周年記念パーティーが開催されました。金沢ベストブラザーズはSTAND設立のきっかけにもなったチームです。2003年、このチームの試合を初めてインターネット生中継しました。それがSTANDの初めての事業です。パーティーに参加して、私はSTANDを始めた頃のことを思い起こしていました。

 

 チーム創立者は神島雅樹さん、宏行さんのご兄弟です。2人は重度の障がいがあり、残念ながら、すでに亡くなっています。神島兄弟が始めた金沢ベストブラザーズには、その後様々なメンバーが加わっていきます。

 

 現会長兼選手の畠幸江さんは、以前は施設で暮らしていました。競技を始めてから、生活は変わり、1人暮らしをするようになったのです。彼女は電動車椅子サッカーを通じて、負けて悔しさがこみ上げてくることや、勝って嬉しいという気持ちになることを知りました。施設には安全な暮らしがあります。しかし、悔しい、嬉しいという感情は、ほとんどなかったのです。本人も「きっとサッカーをやっていなかったら、こんな気持ちを味わうこともなく過ごしていただろうと思います」と話していました。

 

 他のメンバーにも「カラオケに行けるようになった」「打ち込めるものに出合い、生活に張り合いができた」「オンとオフができて生活が充実した」という人もいます。電動車椅子サッカーと出合ったことにより、“あんなことも、こんなこともできる”と世界が広がった。スポーツというものが生活に入ってきただけで、彼らの人生に彩りを加えたのではないでしょうか。

 

 創立者のひとり神島雅樹さんに、生前インタビューをさせていただいたことがあります。当時、雅樹さんは高校を卒業した頃でパソコンを使って様々な資格を取得していました。その理由を訊いたところ、「これまで僕は両親に世話になってばかりで暮らしてきた。学校を卒業すると、みんなは働きに出る。でも僕は働けないので、両親に何の恩返しもできない。でも、じっとしていても何も始まらない。資格をとったらそれを活かして、何か仕事ができるかもしれない。100円でも、1000円でもいいから、働いてお金を得たい」という答えが返ってきました。

 

 約20年前の当時は障がい者、特に重度障がい者が働くのは困難な社会でした。それでも雅樹さんは、じっとしていてもしょうがないと思い、資格を取って何とか働けないかと考えていたのです。「次はこの資格を取る」と、いつも言っていました。多くのことに挑戦してきた彼が始めたのが電動車椅子サッカーだったのです。

 

 伝えたいスポーツの力

 

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(写真:金沢BBは全国大会入賞の常連。日本一を狙える位置にいる)

 金沢ベストブラザーズのアシスタントコーチを務める城下歩さんは、初期メンバーである城下健一さん、由香里さん夫妻の長男です。歩さんはチームのキャプテンを務める由香里さんと同じ骨形成不全症という障がいがあります。選手としてはW杯に出場できる実力を有していましたが、以前、コラム(第14回 18歳の日本代表選手が示唆したもの)でも紹介したように残念ながら規定により大舞台への出場は叶いませんでした。今はアシスタントコーチとして、頼りになる存在です。

 歩さんは現在大学4年生で、来年は教員として働くことが決まっています。パーティーの後、こんなメッセージをくれました。

「私を世界に連れて行ってくれたのもこの競技であり、このクラブでした」

「あくまでパワーチェアーフットボール(電動車椅子サッカー)はパラスポーツのひとつです。でもこのスポーツに出合わなかったら今の自分はおろか、教師を志すことすらなかったように思います。ふさぎ込んでいることはないとは思いますが、どうなっていたかはわかりません。スポーツの可能性、そして関わってくださっている皆さんに本当に感謝しています」

 彼の言葉からも、スポーツが人生に色をつけてくれると思えてしかたないのです。

 

 2020年東京で夏季パラリンピック競技大会が開催されることの認知度は98.2%(今年8月内閣府調べ)です。以前と比べて、マスメディアにもどんどん取り上げられるようになりました。これからもパラスポーツは国内でも広がっていくことでしょう。

 

 それでもまだ、多くの重度障がいのある人が、スポーツは「するもの」ではないと考えているはずです。しかし、金沢ベストブラザーズのメンバーが教えてくれたように、スポーツは「するもの」になり得ます。そしてスポーツには人生をカラフルに彩ってくれるような力があるのです。もっともっと多くの重度障がいのある人、知的・精神障がいのある人、そして高齢者に、人生が変わるようなことがあると知ってもらえるように。2020年に向かって、私のすべきことはここにあるんだと、金沢ベストブラザーズが教えてくれた日となりました。

 

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。パラスポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。1991年に車いす陸上を観戦したことがきっかけとなり、パラスポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環としてパラスポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月よりパラスポーツサイト「挑戦者たち」を開設。パラスポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ〜パラリンピックを目指すアスリートたち〜』(廣済堂出版)がある。

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