(10)二宮: そば焼酎『雲海 黒麹』のお味は?

川口: ロックだと、そばの香りがより一層楽しめますね。そば焼酎本来の香りを楽しみたい場合は、ロックで飲んだ方がいいかもしれない。

金石: こちら(『雲海 黒麹』)の方はキレが感じられて美味しいです。

 

 

二宮: 金石さんはPL学園から1979年にドラフト外で、川口さんは社会人のデュプロから81年にドラフト1位でカープに入団しました。

金石: 川口さんのほうが1歳年上ですが、僕が2年早く入団していたので色々教えてあげましたよ。酒の飲み方とかね(笑)。

川口: 金石さんがいなかったら何にも分からなかったです。実のことを言うと、金石さんは「僕の恩人」です。

 

2軍の猛練習

二宮: 入団1年目、川口さんは開幕1軍スタートでした。

川口: キャンプインから開幕まではずっと1軍だったんですよ。でも、技術的にも精神的にも、まだ1軍のレベルには達していなかったので、6月の後半に2軍に落とされました。そこから約1年間かけてプロ野球選手としての体づくりに取り組みました。

 

二宮: 2軍ではどのようなことを?

川口: ひたすら走り込みです。1年目は特に厳しいトレーニングをしていました。金石さんともよく一緒に走っていましたよ。

 

二宮: 具体的にどれぐらい走っていたんですか?

川口: キャンプでは、2軍はウォーミングアップだけで2時間ぐらい走り込みました。準備体操を終えると、いきなりグラウンドを10周走るんです。

金石: たしか昼飯の時間までウォーミングアップをしていたよね。

 

二宮: 2時間ですか!? それはすごい。

川口: グラウンド10周のあとは、ポール間を10往復し、50メートルを10本、30メートルを10本……。アップだけですでにヘトヘトです。

 

二宮: まるで陸上部ですね。

川口: このあとに腹筋、背筋を100回ずつとスクワットもやりました。それが終わったらキャッチボールをするんですが、体がきつくてボールすら投げられないんです。

 

二宮: アップの時点で体が悲鳴をあげていたと?

金石: 当時、達川光男さんが名言を吐きました。「胃から汗をかいた」って(笑)。

川口: アハハ。言っていましたね。でも、慣れてくるとこのメニューを平気でこなせるようになるんです。そこで“オレも体力ついたな”と実感できました。

 

忘れられない1日

 

(14)二宮: 川口さんは2年目に初勝利を挙げ、3年目は15勝しています。2軍での厳しいトレーニングが実ったということでしょうか?

川口: 約1年間、2軍でみっちり鍛えて、プロ2年目の7月8日に1軍に昇格しました。ちょうど、自分の誕生日だったんです。忘れもしません。あの日の出来事は……。

 

二宮: 何かハプニングが?

川口: 岡山県野球場での阪神戦、試合中に思いもよらぬアクシデントが起きたんです。先発の古沢憲司さんが、パッと振りかぶった瞬間、球場の電気がドーンと落ちてしまった。

 

二宮: あぁ! そういえばそんなこともありましたね。

川口: その瞬間、みんなが頭を抱えて、ウワーッとなった(笑)。どうやら照明設備に蛇がからみついたことが原因だったみたいです。

 

二宮: で、試合はどうなったんですか?

川口: 30分ぐらいすると電気がポツポツと点き始めて、なんとかゲームは再開できました。でも、それまでチームは勝っていたのに、最後は阪神に逆転負けを食らったんです。自分の誕生日で、約1年ぶりに1軍昇格できた日でもあるので、あの試合は忘れられないです。

 

二宮: 初勝利はそのあとですね。

川口: はい。先発ローテーションの福士敬章さんがぎっくり腰になって、僕にチャンスが巡ってきたんです。横浜スタジアムで、先発して6回まで投げました。7回から大野豊さんが後続を抑えてくれて、初白星をあげました。

 

二宮: この年の防御率は1.94ですよ。規定投球回数に足りていないとはいえ、素晴らしい成績です。

川口: そうなんです。古葉竹識監督にそこを評価してもらって、「オマエ、来年もローテーションピッチャーでやってもらうから」と言われました。そして、翌年は15勝をマークしたんです。

 

江夏に教わったアウトローの極意

(13)二宮: ところが、15勝を挙げた次の年は8勝6敗に終わりました。

川口: その年は他球団に研究されてしまい、太刀打ちできませんでした。負けが続いたので古葉監督に「1カ月間の猶予をやるから、2軍でとにかくアウトコースのコントロールをつけてこい」と言われて、必死に練習しました。

 

二宮: そういえば、江夏豊さんも「困ったらアウトロー」と言っていました。

川口: 僕も江夏さんに言われました。偶然、喫茶店で江夏さんにお会いした時に「オマエはアウトコースに投げるコントロールがあるのか?」と聞かれて、「ありません」と答えました。すると、「プロ野球は、特に左ピッチャーはアウトコースのコントロールをつけないと一軍では戦えないよ」と教えてくれたんです。

 

二宮: レジェンドからの“金言”ですね。

川口: その時に、江夏さんは「130キロのストレートをアウトコースいっぱいに投げても、バッターは凡打する確率が高いから手を出さない。右バッターのアウトコースに投げる時は力はいらないんだ」と言っていました。

 

二宮: なるほど。力まずにスーッと投げろと?

川口: そうですね。糸を引くようなボールをアウトコースに投げても、1球目は絶対に打たれない。そのイメージを自分のなかで持って投げていました。

 

二宮: 1カ月間でコントロールはつくものですか?

川口: ピッチングコーチにいろいろ話を聞いたり、ステップを研究したり、とにかく練習しました。アウトローを狙う時は後ろ足に体重を残しながら投げなければいけないので、ピッチングフォームの性質が今までと全く違いました。腰を動かすタイミングやねじるタイミングも変わるんです。

 

二宮: どちらかと言えば、川口さんはねじってインコースにズバッと投げ込みたいタイプでしょう?

川口: インコースに放りたい時は思いっきりねじりました。でも、アウトコースはそんなにねじらなくていいので、腰に回転を加えないところの角度を一生懸命覚えました。

 

二宮: アウトローに放る技術を体得されて、広島時代は3度のリーグ優勝(84年、86年、91年)と1度の日本一(84年)に貢献されましたね。

川口: アウトローでストライクを取れるようになり、カウントをとってから勝負する。そこからスクリュー系のボール、インコースへのカーブを織り交ぜました。変化球もうまくコントロールできるようになってからは順調に勝てるようになりました。

 

旨い酒、苦い酒

二宮: ところで、お酒にまつわる一番の思い出は?

川口: 一番美味しかったお酒は、通算2000奪三振を達成した晩に飲んだ酒かな。

金石: 僕はプロ入り初勝利ですね。初勝利あげたときの夜の酒は格別でした。

 

二宮: よく一緒に飲まれたんですか?

川口: 基本的に投手は投手で集まってよく飲んでいました。メンバーは川口、金石、川端順、白武佳久でした。途中から片瀬清利、秋村謙宏、野手の河田雄祐が加わって、大体いつも同じメンバーでした。

 

金石: そうそう。勝って美味しい酒、負けて悔しい酒。もう毎日飲みに行きました(笑)

川口: 「今日は金石が勝ったから飲みに行こう」「今日は川口が勝ったから飲みに行こう」「今日は川端が良いピッチングをしたから行こう」というふうに理由をつけては毎晩飲んでましたよ(笑)。

 

二宮: 毎日がお祝いですね(笑)。逆に苦い酒は?

川口: 苦い酒かぁ……。巨人で先発からリリーフに落とされたときかな。最初はリリーフが嫌でしたもん。

 

金石: 昔は先発の枠に入れない人がリリーフに回されるというイメージがありました。今みたいに分業制じゃなかったので、先発の人はリリーフを絶対にやりたがらなかったんですよ。

川口: でも、その苦い酒を美味しい酒に変えるために頑張りました。最後は重要な場面で起用される抑えをやらせてもらえたからね。

 

(15)今年は金本阪神に注目!

二宮: 96年の巨人は最大11.5ゲーム差からの大逆転劇「メークドラマ」を演じました。そのときの胴上げ投手が川口さん!

川口: あの年は、自分のなかでも紆余曲折があったシーズンでしたよ。先発を外された時点で、引退しようと思っていました。95年に広島から巨人にFAで移籍したのに、結果を残せていなかった。このまま巨人に長居してはいけないなと……。

 

二宮: ところが、リリーフに転向すると、見事に復活を遂げます。

川口: 辞めようと思っていた時に、当時2軍投手コーチだった宮田征典さんに「オマエ、リリーフやれよ」と薦められたんです。そのまま、宮田さんに“リリーフの極意”を教えてもらいました。

 

二宮: 宮田さんと言えば、「8時半の男」で知られるように名リリーバーです。伝授された極意とは?

川口: コントロール重視です。僕はコントロールが悪かったので、歩幅を7歩半から5歩半に短くして練習をすると徐々にコントロールがよくなりました。ちょうどその頃は7月で広島が首位を独走していた時期でした。

 

二宮: あの時の巨人の大逆転劇はすごかった。

川口: 忘れもしない7月9日。メークドラマの皮切りとなった札幌市円山球場での広島戦です。この試合、巨人が9者連続安打のプロ野球タイ記録(当時)を達成して圧勝したんです。ここからチームの雰囲気がガラッと変わりました。

 

二宮: メークドラマの始まりは、その試合だったんですね。

川口: 首位・広島を追いかける中、僕はリリーフとして連続無失点試合をのばしていました。すると、優勝が決まる大一番で「オマエ、最後抑えやれ」と言われて、胴上げ投手になったわけです。

 

二宮: それは感動ものですね。いよいよ、来週からはプロ野球の春季キャンプが始まります。最後に今年注目するチームをそれぞれ教えてください。

川口: 僕は阪神が楽しみです。新監督の金本知憲の話を聞いていて、彼はチームを根本から変えようとしていることが伝わってきました。選手に対して“甘いことはダメ”と、野球とは厳しいものであることを教えようとしています。彼は広島の練習が一番厳しい時代を生き抜いてきた選手だから、チームがどう変わるか楽しみです。

 

二宮: 金石さんはどうですか?

金石: 巨人の高橋由伸新監督に期待しています。僕が巨人に移籍したのが98年なので、その年のルーキー・高橋とは同期入団になるんです。そういった縁もあって、彼がどういうオーダーを組むのかに注目したいですね。

 

二宮: また今度、お酒を飲みながらお二人と野球談議ができることを楽しみにしています。今日はありがとうございました。

川口: こちらこそ、ありがとうございました。お酒もお寿司も美味しかったです。僕は色んな焼酎を飲みますが、スッキリ感はそば焼酎『雲海 黒麹』が一番だと思うな。今日、それがよくわかりました。

 

(おわり)

 

4<川口和久(かわぐち・かずひさ)>

1959年7月8日、鳥取県鳥取市出身。鳥取城北高を卒業後、デュプロを経て、81年にドラフト1位で広島に入団。入団3年目に15勝マークすると、86年から91年までの6年連続で2ケタ勝利を挙げ、最多奪三振を3度(87年、89年、91年)受賞した。左腕エースとして活躍し、チームを3度のリーグ優勝に導いた。94年オフに球団史上初のFA権を行使して巨人に移籍。95年にプロ野球史上14人目(当時)となる2000奪三振を達成。98年限りで現役を引退すると、野球解説者の道に進む。09年、10年に巨人の春季キャンプで臨時投手コーチを務めた後、11年に投手総合コーチに就任。4年間で3度のリーグ優勝に導いた。現在は野球解説者として活躍する。通算成績は139勝135敗2092奪三振。身長183センチ、体重75キロ。左投両打。

 

5<金石昭人(かねいし・あきひと)>

1960年12月26日、岐阜県加茂郡白川町出身。PL学園から79年にドラフト外で広島に入団。85年に初勝利を挙げて、同年一軍に定着。翌年は26試合に登板して12勝6敗、防御率2.68を記録するなどリーグ優勝に大きく貢献した。91年にトレードで日本ハムに移籍すると、翌年は自己最多となる14勝をマーク。93年にリリーフに転向すると、9勝13セーブの好成績を残し、田村藤夫と共に最優秀バッテリー賞を受賞した。98年限りで、現役を引退した。現在は野球解説業の傍ら、東京都品川区の寿司屋『かねいし』と港区に二店舗、広島風お好み焼き・鉄板焼き店『かねいし』を経営する。身長197センチ、体重86キロ。右投右打。

 

 今回、川口さん、金石さんと楽しんだお酒は本格そば焼酎「雲海 黒麹」。厳選されたそばと、宮崎最北・五ヶ瀬の豊かな自然が育んだ清冽な水で丁寧に造りあげた深い味わい、すっきりとした甘さと爽やかな香りが特徴の本格そば焼酎です。ソーダで割ることで華やかでスパイシーな香りが際立ちます。
提供/雲海酒造株式会社

 

<対談協力>

かねいし

東京都品川区上大崎1丁目1−14 白金トーカンキャステール 2F

TEL03-3444-9480

 

ランチ 11:30~13:30(祝日を除く、火~土)

ディナー17:30~23:00

定休日 月曜日

 

☆プレゼント☆

川口さん、金石さんの直筆サインボールを本格そば焼酎「雲海」(900ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はこちらより、本文の最初に「川口和久さんと金石昭人さんのサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は2月12日(金)までです。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。

 

◎クイズ◎

 今回、川口さん、金石さんと楽しんだお酒の名前は?

 お酒は20歳になってから。

 お酒は楽しく適量を。

 飲酒運転は絶対にやめましょう。

 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成・写真/安部晴奈)


◎バックナンバーはこちらから