160201柳本さんと2ショット(加工済み)二宮: 今回のゲストは柳本晶一さんです。そば焼酎『雲海』Soba&Sodaを飲みながら、バレーボール界の現状について伺いたいと思います。

柳本: 宜しくお願いします。いまは焼酎ブームですよね。色々な種類の焼酎がある。

 

 

二宮: 柳本さんはお酒好きだと聞いています。そば焼酎『雲海』のお味はいかがでしょう?

柳本: これは美味しいです。スッキリしていて飲みやすいです。なんだか、どんどん行けそうですね(笑)。

 

リオ五輪最終予選の鬼門

 

二宮: 真鍋政義監督率いる全日本女子は、5月に開催される世界最終予選兼アジア大陸予選大会で7カ国(韓国、タイ、カザフスタン、オランダ、イタリア、ペルー、ドミニカ共和国)とリオデジャネイロ五輪出場権を争います。

柳本: 出場権を獲得するには2つの方法があります。アジア4カ国の中でトップに立つか、アジア1位を除く上位3位(ワイルドカード)までに入るかです。

 

二宮: アジア枠の中では、ライバルは韓国でしょうか?

柳本: そうですね。韓国、タイ、カザフスタンの3カ国の中で、カザフスタンには勝ちを計算できると思うので、タイと韓国戦がカギになると思います。たとえアジア枠で出場権を得られなくてもワイルドカードがある。そのあたりも含めて考えると、韓国に勝てばリオは堅いと思いますよ。

 

二宮: それを聞いて安心しました。

柳本: リオには行けると思います。最終予選で、全部勝つのは、少し厳しいかもしれません。でも、イタリアやペルー戦を落としても最終順位がドミニカ共和国の上くらいにいけば出場枠の中には入れるんじゃないでしょうか。

 

二宮: 近年、五輪予選で苦戦しているように感じます。どこに理由があるんでしょうか?

柳本: 同じアジア枠の中国が鬼門なんです。今回は中国が昨年のW杯で優勝して、既にリオ五輪を決めているので、最終予選には出ません。最終予選に中国がいるとなると、アジア枠を狙うのは絶対に厳しいので、最終予選のランキングでいかないといけないですからね。

 

二宮: 中国は2大会(84年ロサンゼルス五輪、04年アテネ五輪)で金メダルを獲得している強豪国です。最終予選にいるかいないかでは、大きく変わるんですね。

柳本: 二宮さんもご存知だと思いますが、2000年シドニー五輪最終予選の時は、中国に敗れて初めて五輪出場を逃したんです。今回はどうかなと思っていたんですけど、中国がいない分、日本はちょっと楽になりましたね。

 

「再起不能」と言われた全日本女子

 

160202柳本さん3横長(加工済み)二宮: 柳本さんは、03年に全日本女子監督に就任しました。当時はシドニー五輪出場を逃した後だったので、大変だったと思います。

柳本: 当時は「再起不能」とまで言われましたよ(笑)。

 

二宮: それでも“火中の栗を拾う”と決意をされたのは、なぜ?

柳本: 僕はバレーボール協会員の一人でしたので、監督の要請がきた時は本当に悩みました。しかし、自分はバレーボールで幸せにさせていただいた男なので、“恩返しをしなきゃいけない”という気持ちが強かったんです。

 

二宮: あぁ、恩返しですか。

柳本: 監督要請を受けたことには、2つの理由があるんです。ひとつは、全日本監督を受ける前にタイの男子代表チームや男女の実業団チームの監督を引き受けて、その全てで結果を残していたからです。

 

二宮: 東洋紡では、就任2年目でチームを日本一に導きました。

柳本: 企業スポーツはご存知の通り、“労働戦略”のひとつですから、不況に陥ると一番に組合員に影響がきます。僕はチームの廃部を2度も経験していて、スタートはいつもどん底からでした。そこからチームを作り上げ、結果を残しての繰り返し。何度もどん底を経験していたので、全日本の監督を引き受けても“絶対にできる”と自信がありました。

 

二宮: もうひとつの理由とは?

柳本: 当時の日本は、たしかに成績は非常に悪かった。しかし、僕は国内選手の能力は、もっと高いところにあると思っていたんです。僕は全日本メンバーを招集するシステムが悪いと考えましたね。だから、監督になったら、そこから変えていこうと思いました。

 

二宮: 就任して、まず変えたことは何でしょう?

柳本: 僕が就任する前までは、全日本というのは、いわゆる日本のナンバー1チームの集まりだったんですよ。そこにメスを入れて、完全選抜制にしたんです。

 

二宮: チームの成績ではなくて、個々の能力が高い選手を集めたと?

柳本: そうです。日本のベストチームをそのまま全日本に呼ぶのではなく、結果を残せるメンバーを集めたんです。具体的には、7年間も代表から遠ざかっていた吉原知子や高校2年生だった木村沙織を招集しました。

 

核となった吉原、高橋、竹下

 

160202柳本さんソーダ割りのんでる(加工済み)二宮: チームの中心選手は吉原でしたね。

柳本: そうです。センターの吉原、ウイングスパイカーの高橋みゆき、セッターの竹下佳江です。この3人はクセのある選手なので、本来は代表落ちしていたんです。しかし、3人とも挫折を経験していました。

 

二宮: 挫折ですか?

柳本: 竹下はシドニー五輪予選で敗れた時に、「背の低いセッターでは、今の時代は勝てない」と戦犯にされました。吉原は年齢的な理由で7年間も代表から外されていた。高橋は主将として挑んだ02年世界選手権で過去最低の成績(13位)を残し、同年アジア大会でも中国と韓国に敗れたため、協会から負の烙印を押されていました。我々の世界は4年に1回のスパンで強化しますから、1本のミスを取り返すのに8年かかる。そういう意味では、チームの中心に挫折や勝負の怖さを知っている人間が必要だったんです。

 

二宮: 挫折は人を強くさせますもんね。

柳本: バレーボールは団体競技の代表みたいに言われますが、勝つという目標を持った時は個人競技の側面が非常に強いんです。だから6人制では、それぞれに「上げる、打つ、拾う」と、コート上での役割を与えます。それを6人が一切の妥協を許さずにきちっと仕事をしたら、結果的に「勝利」につながるんです。

 

二宮: なるほど。

柳本: 球技のスポーツは色々ありますが、インプレー中にボールが静止したらダメな団体競技は、バレーボールだけなんです。「持てない、投げられない、止められない」ので、リズムのスポーツだと言われています。そういう意味では、要のところに、ミスの怖さを知った人間を置いておかんとダメなんです。

 

二宮: チーム内で徹底したことはありましたか?

柳本: 翌年にアテネ五輪が控えていたので、すぐに結果を出さないといけなかった。短期間で強いチームを作り上げるために、ミスをなくすことを徹底しました。

 

二宮: スキのないチームを作ろうと?

柳本: バレーボールはミスが付き物のスポーツです。自分のチームにミスが多くても、相手がそれ以上にミスをすれば勝つこともありますし、逆にミスが少なくても相手がそれ以上に完璧だったら負けるんです。バレーボールには2つのミスがある。目に見えないミスと、目に見えるミスです。

 

二宮: その違いは何でしょう?

柳本: 目に見えるミスというのは数字に表れるミスです。いわゆるサーブやスパイクのミス。一方、目に見えないミスというのは数字に表れないものです。レシーブしたボールがセッターの竹下が構えているところに行けば、100点でしょう。もし、そのボールが50センチ短くても竹下はトスを上げられますが、これはレシーブをした選手のミスになる。これが目に見えないミスです。

 

二宮: そういう小さなミスの積み重ねが、負けにつながると?

柳本: そのとおりです。練習中にレシーブが50センチずれるミスが続くと、竹下はボールを“パーン”と弾いて「あなたたちいい加減にしなさい。オリンピックの大事な時にこれが出たら、セッターの私が死ぬよ。私が死んだらスパイカーが死んじゃうよ」と喝を入れる場面もありました。

 

二宮: 苦労しているだけに彼女の言葉には、説得力がありますね。

柳本: 竹下は挫折を経験していたからこそ、そういうことが言えたんです。結局、04年アテネ五輪までの短期間で個人の能力を上げることもできました。コンビネーションやプレーの精度が上がるのも早かったです。それは、高橋・吉原・竹下の3人を中心に置いたからだと思います。

 

自主性を重んじる指導法

 

160202柳本さん4(加工済み)二宮: 監督に就任したばかりの頃、チームの雰囲気はどうでしたか?

柳本: まずびっくりしたのは、選手達がジャージで外を歩いていたことです。ウェアで新幹線に乗るんですよ。それは作業着でしょう。これはおかしいと思いました(笑)。

 

二宮: 少なくともジャケットぐらいははおって欲しい。

柳本: そうです。なので、まずはそこから変えました。「ジーンズでもなんでもいいから、ジャージはやめろ」。選手には「団体行動だぞ」と何回も言いました。

 

二宮: コートの外から改革したわけですね。

柳本: あれはたしか伊丹空港だったかな。最初に全日本で集まった時に、マネジャーに「チケットを配れ」と言って、選手に全員にチケットを配りました。今まで選手たちが移動する時は、マネジャーの後ろをぞろぞろついて行くだけだったので、自分で判断することがなかったんです。

 

二宮: そういえば、バレーボールからビーチバレーに転向した佐伯美香選手が「転向してから、初めて自分でチケットを買った。インドア時代は移動するチケットは全部マネジャーが揃えていた」と話していたのを思い出しました。

柳本: そこなんですよ。それで、選手にチケットを配ったら「どうしよう、どうしよう」と、体の大きな連中がザワザワ騒ぎだしたんです。その時に僕は“キタ!”と思いました。

 

二宮: で、そのあと、どうしたんですか?

柳本: 僕は知らん顔をしてずっと歩いていた。選手たちは自分らで判断できないから、ぞろぞろついてくるんです。「お前たちな、この番号がゲートや。ここに時間が書いてあるから、この時間までにセキュリティを通る。まだあと1時間ぐらいあるから、コーヒーを飲んだり、トイレに行ったり、自分らで好きなことしたらいいんや」と言うたんです。そうしたら選手たちは「監督、なにか企んでいる」と返したんですよ(笑)。

 

二宮: それは面白い反応だ(笑)。今までは、そういう自由がなかったということですね。

柳本: そうです。だから、自分らで判断することもなかった。でもその時、「ラッキー!」と唯一言ったのが、高橋です(笑)。

 

二宮: アハハハ。彼女はそういう性格ですよね。

柳本: 分かるでしょう。高橋を何で選んだかというと、彼女のそのキャラクターなんですよ。11年W杯の時にポーランド戦でフルセットにもつれて勝利したんです。その時の勝利インタビューで、アナウンサーが感極まって涙を流して話せない状態だった。そこで高橋がマイクを取り上げて「みんな元気?! ありがとう!」と言ったんです。

 

二宮: そういえば、そんなこともありましたね。

柳本: あれは竹下にも吉原にもできないことです。

 

二宮: 気がつけば、グラスが空いています。

柳本: もう一杯、おかわりを頂いても宜しいでしょうか? せっかくなので、次はそば焼酎『雲海 黒麹』のソーダ割りでお願いします!

 

160201プロフ(加工済み)<柳本晶一(やなぎもと・しょういち)>

1951年6月5日、大阪府出身。現役時代のポジションはセッター。全日本代表としても活躍し、74年アジア大会優勝、同年世界選手権で3位、76年にモントリオール五輪で4位入賞に貢献した。80年から新日鐵選手兼監督となり、82年に日本リーグで優勝。91年に現役を引退し、監督専任となる。97年に東洋紡オーキスの監督に就任すると、2年目にチームを優勝に導いた。03年に全日本女子代表監督に就任。翌年のアテネ五輪世界最終予選で2大会ぶりに五輪出場を決めると、本大会では5位に入賞した。2大会連続で出場した08年北京五輪に出場でも5位に入った。同年、全日本の監督を退任。現在は10年に関西を拠点に五輪出場経験者らで「アスリートネットワーク」を立ち上げ、次世代にスポーツの魅力を伝えていくなど幅広く活動している。

 

 今回、柳本さんと楽しんだお酒は本格そば焼酎「雲海」。厳選されたそばと、宮崎最北・五ヶ瀬の豊かな自然が育んだ清冽な水で丁寧に造りあげた深い味わい、すっきりとした甘さと爽やかな香りが特徴の本格そば焼酎です。ソーダで割ることで華やかな甘い香りが際立ちます。

 


提供/雲海酒造株式会社

 

<対談協力>
イタリアンレストラン Kamiya

東京都新宿区三栄町6 第一原嶋ビル1F
TEL:03-5379-6628


営業時間:
ランチ   11:30〜14:00
ティー   14:00〜16:30
ディナー 17:30〜23:00(L.O.22:00)

 

160201柳本色紙持っている(加工済み)☆プレゼント☆

柳本さんの直筆サイン色紙を本格そば焼酎「雲海」(900ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はこちらより、本文の最初に「柳本さんのサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は3月11日(金)までです。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。

 

◎クイズ◎

 今回、柳本さんと楽しんだお酒の名前は?

 お酒は20歳になってから。

 お酒は楽しく適量を。

 飲酒運転は絶対にやめましょう。

 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成/安部晴奈、写真/大木雄貴)


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