強くなれば、人は群がる。なぜ強くなったのか。どうやって強くなったのか。秘密や理由を求める人も集まってくる。
弱くなれば、人は去る。なぜ。いかにして。秘密や理由は、探られることもなく放置される。
98年にW杯への初出場を果たすまで、日本サッカー界にとって最大の勲章はメキシコ五輪での銅メダルだった。10万を超える観衆を敵に回し、地元メキシコを倒した一戦は、長く語り種になってきた。忘れられがちなのは、決勝進出への夢を絶たれた準決勝である。
0-5。
この大会で3回目の五輪優勝を果たすことになるハンガリーに、日本は手も足も出なかった。日本だけではない。イングランドを初めてウェンブリーで撃破した国であり、54年のW杯決勝では敗れたことが「奇跡」とまで言われたハンガリーは、世界中どこの国にとっても恐るべき存在だった。
しかし、86年のW杯メキシコ大会を最後に、彼らは世界の檜舞台から姿を消した。ハンガリーに、何が起こったのか。
「民主化とともに流れ込んできた西側の思想が、ハンガリーのサッカー、スポーツを壊したとわたしは考えています」
そう語ったのは、筑波大、日本代表のハンドボールでコーチを務めているハンガリー人、ローランド・ネメシュさんである。
ネメシュさんによると、ハンガリーのスポーツは日本同様、青年男子の体力強化を目的とした学校教育の一環として始まった。そこに娯楽としての要素はほとんどなく、時にはコーチから体罰がくだされることもあったという。
「ただ、日本と違って、負けたから、ミスをしたからという体罰ではありません。約束やルールを破ってしまい、自分でも納得できる時にくだされるものでした」
だが、民主化とともに流れ込んできた西側の思想は、瞬く間にハンガリーのスポーツから体罰を駆逐した。問題なのは、駆逐されてしまったのは、体罰だけではなかったということである。
「すべてにおいて自由であること、楽しいことが正しいとされ、我々が伝統として持っていた規律までもが否定されてしまったのです」
ハンガリーの学校教育は、もちろん、儒教思想や武道の影響をも受けた日本の学校教育と同一ではない。とはいえ、体罰だけでなく、厳しいこと、苦しいことまでも否定しがちになたところなど、両国の間には共通点が多いとネメシュさんは見ている。
ネメシュさんにはいま、懸念していることがある。スポーツ庁の発足である。
「スポーツと教育を切り離すのが目的だとすると、ハンガリーの轍を踏んでしまうのではないかと心配です」
Jリーグはスポーツと教育を真っ先に切り離したが、ここにきて急速に人間教育に力を入れるようになった。ネメシュさんの懸念が、杞憂であればいいのだが。
<この原稿は16年2月11日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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