日本サッカー史上最高のストライカーと自他ともに認める釜本邦茂が、少年時代、野球に親しんだことは広く知られている。これがサッカーに生きたと日本経済新聞の名物コラム「私の履歴書」で書いていた。<私がヘディングの落下地点に苦もなく入れるのは運動神経が発達する時期にフライを追いかけたことと関係があると思っている。一つの競技に絞るのが今は少し早過ぎるかもしれない>(2月29日付)

 

 釜本といえば右45度からの強烈な右足のシュートが有名だが、ヘディングも強かった。野球少年時代に、その感覚が養われたのだとしたら、幼き日の“二足のワラジ”は無駄ではなかったということだ。

 

 釜本の日本代表での75得点を上回るのが83得点の澤穂希である。2月29日のオーストラリア戦におけるなでしこジャパンの完敗は彼女の不在を浮き彫りにした。

 

 ところで澤のベストゴールのひとつに数えられるのが、世界の頂点に立った2011年ドイツW杯、決勝の米国戦での居合抜きのような同点ゴールである。

 

 宮間あやのニアポストへのコーナーキックを右足のアウトを使ってピンポイントで引っかけ、GKの頭上を抜いてみせたのだ。

 

 このゴールに代表されるように、澤の浮き球を扱う技術は天下一品だった。いわゆる空間認識能力である。何かの番組で、本人もこの能力には自信があると語っていた。

 

 少女時代に夢中になったリフティングが空間認識能力を磨くのに役立ったことは想像に難くない。だが、それだけだろうか。澤の本『ほまれ』(河出書房新社)を読んでいて、幼少の頃<ゴムのバレーボールを抱えて>遊んでいたことを知った。<しかし、ボールを蹴ったことはなかった。いつも手を使ってボール遊びをしていただけだ>

 

 これはサッカーに限らず言えることだが、近年、先手必勝とばかりに小さい頃からひとつの競技に打ち込む子供が増えている。高度なスキルを身に付けるにはその方がいいのだろう。だが道草で思わぬ拾い物を手にすることもある。やがて、それはオンリーワンの強力な武器となる。

 

 そういえばラグビーにおける世界有数のプレースキッカー五郎丸歩は少年時代、サッカーとラグビーの二またをかけていた。この道一筋、では今の活躍はなかったかもしれない。

 

<この原稿は16年3月2日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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