7月の参院選をにらんで自民党がアスリート出身の候補者を探しているという話を、よく耳にする。

 

 

 3年後の2019年にはラグビーW杯が日本で開催されることもあり、ラガーマンにも触手を伸ばしているようだ。

 

 今季限りでの引退を表明した東芝ブレイブルーパスの廣瀬俊朗にも出馬説がささやかれる。昨年秋のイングランドW杯で南アフリカを撃破するなど3勝を挙げた日本代表の元主将という肩書きが彼の周辺を騒々しくさせているようだ。

「日本を豊かにすることにつながるのならば、もしかするかもしれませんけど」と廣瀬。大人の対応である。

 

 廣瀬にキャプテン就任を要請したのは元代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズだ。12年3月のことである。

「ジャパンのキャプテンをやってくれないか」

 

 予期せぬ依頼ではあったが、断る理由はなかった。

「わかりました。やります」

 

 廣瀬は生粋のリーダーである。北野高、慶大、東芝でキャプテンを務めた。

 

 選手2人1組のミーティングは廣瀬が東芝のキャプテン時代に発案したものであり、この手法はエディージャパンにも採用された。

 

 いわゆるペア・ミーティングの効能を廣瀬はこう語ったものだ。

「たとえば年上の者が年下の者にアドバイスする場合、“自分もしっかりしなければ”と責任感が芽生えるんです。逆に年下の者から年上の者に意見できれば、それによってストレスが軽減する。2人だと、いろんなアドバイスが出てくるし、考えもまとまりやすいんです」

 

 外国人指導者は一切、情をはさまない。「スタメンを保証できない選手にキャプテンは任せられない」。廣瀬は14年4月に解任され、キャプテンの座をリーチ・マイケルに譲った。

 

 恨みはしたが、腐ることはなかった。持ち前のキャプテンシーは「オフ・フィールド」で発揮された。

 

 選手のモチベーションを上げるには、どうすべきか。選手を含む700人からのエールを1本のVTRにまとめ、南アフリカ戦、サモア戦の前に控室で上映した。

 

「あれで一気にモチベーションが上がり、チームの結集力が高まった。中には涙ぐんでいる選手もいた」

 ある主力選手は、廣瀬に感謝の気持ちを込めて、そう言った。

 

 廣瀬自身はイングランドのピッチに立つことはなかった。出場メンバーから漏れても悔しさを押し殺し、チームのために尽くした。

「もちろん悔しい思いはありました。でも自分たちには大義があった。そのためにやれることは試合に出ていてもいなくても、必ずある。それを全うしただけのことです」

 

 英国から帰国すると、ラグビーを取り巻く環境が激変していた。「大義を果たした」との言葉に達成感がにじむ。

 

 だがラガーマンとしての生活が終わっても人生が終わるわけではない。しっかりと前を見据えて、34歳は言い切った。

「人生は1回きり。次に向かいたい」

 

<この原稿は『サンデー毎日』2016年3月27日号に掲載されたものです>

 


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