(6) 兄弟で同じスポーツを習うことは珍しくはない。姉の練習について行ったことがきっかけで、バレーに出合った武智洸史の場合も同じである。練習を見て“面白そう”と、見よう見まねで壁打ちをしていくうちに徐々にハマっていった。しかし、武智に両親が薦めたスポーツはバレーボールではなかった。

 

 3人兄弟の武智は2歳上の姉と2歳下の弟がいる。母・千代曰く、真ん中の武智は小さい頃から負けず嫌いで、売られた喧嘩は10倍にして返すような負けん気の強い子だったという。

 

 父親がバスケットボールをやっていたこともあり、武智の両親としては父と同じようにバスケか、当時人気だったサッカーを習って欲しかった。だが、その気持ちとは裏腹に、武智はバレーにしか興味を示さなかった。

 

 こんなエピソードがある。両親がサッカーボールを買い与えた時に、あろうことか武智は足で蹴らずに壁打ちを始めたのだ。見かねた母親が「サッカーボールは足で蹴るんだよ」と教えても、言うことを聞かずに壁打ちをやめなかった。それはボールをバスケットボールに変えても同じだった。どんなボールでも壁打ちを始める息子を見て、“こんなに好きならバレーボールをやらせてあげてもいいよね”と、両親はとうとう根負けした。

 

 本格的にバレーを習い始めてからも、武智の自主練習は続く。母親は当時を振り返り、「学校から帰ってきたら1時間は練習をしていましたよ。個人練習をずっと。雨の日も風の日も! もう呆れるほどです」と、笑いながら話した。

 

(5) なぜ、それほどまでに練習をするのか。武智本人は「僕は小学生から本気だった。小学3、4年ぐらいから“全国制覇”がしたいと思っていました」と言う。幼いながらに、彼は目標を達成するためにはそれ相応の努力をしなければいけないことを分かっていた。ゆえに武智はひたすらバレーに打ち込んだのである。

 

 彼は練習熱心だけでなく、研究熱心な一面も持ち合わせていた。練習が休みの日は姉の試合を応援しに行き、コート内でプレーする選手と自らを重ねて試合の流れを勉強した。時には、スパイクを打たれたボールを自分ならどうするかをイメージして、その場でレシーブの格好を真似てみたりもした。小学生でここまで自発的にできるのだから凄いものだ。

 

 コツコツと努力を重ねる姿勢は今も変わらない。武智が大切にしている言葉は“努力に限界はない”だ。「才能には限界があるじゃないですか。だけど、努力には限界がない。才能に限界を感じている部分もあるので、しっかり努力をして、同じチームの石川(祐希)とかに差をつけられないようにしたい」と、武智は語る。幼少期に壁に向かってひたすら一人で練習し続けた武智が言うからこそ重みがある。

 

 小学6年の時にその努力は花開く。エースとして、そしてキャプテンとしてチームを全国大会出場に導いた。目標だった全国制覇には届かなかったものの、自らの夢に一歩近づいた瞬間だった。この時、石川と戦っていたことは後々知ることとなる。

 

バレーから離れた1年間

(3) 小学校を卒業すると、武智は愛媛県内にある雄新中学に進む。全国大会出場経験があるバレー伝統校だ。このままバレーのエリートコースを突き進んで行くかと思われたが、武智は約1年間バレーから離れてしまう。

 

 理由は、バレー部の顧問が変わったことにあった。指導者が変われば、チームの戦い方や方針が一新することがあるため、選手にきたす影響は大きい。特に前任者の指導を受けたくて入学した武智にとって、そのショックは計り知れない。気持ちの糸がプツンと切れてしまった武智は、徐々に練習へ参加しなくなっていった。

 

 当時を振り返って、武智は言う。
「中1の秋から中2の間は、練習が始まってから1時間後に顔を出していたのが、ほとんどでした。行っても練習着に着替えるわけでもなく、体育館でゴロゴロしたり、バスケをしたり……。キャプテンには凄く迷惑をかけました」

 約1年間、部活動の練習にはほとんど参加しなかったものの、バレーを嫌いになったわけではない。

 

 中学2年の冬に1学年上の先輩たちが引退して最上級生になると、“こんなことをしていては駄目だ”と目が覚めた。それと同時に“しっかりしなければいけない”“やっぱり全国優勝をしたい”“バレーをしていないとつまらない”と、様々な思いが頭の中を駆け巡った。

 

 気持ちを新たに迎えた3年の春。雄新中は愛媛県中学校バレーボール選手権大会で、鴨川中にフルセットで敗れて惜しくも準優勝だった。全国制覇を目指している以上、県内で優勝しなければ話にならない。武智は帰宅するなり、負けた試合のビデオを見返した。その日だけでなく、次の日も、その次の日も見続けた。母親が思わず「負けた試合を見ていて楽しい? お母さんは見たくないけどな」と聞くと、「いや。負けたから見ないといけないんだ」と唇を噛みしめた。

 

 それから約2カ月後。全国中学校体育大会がかかったバレーボール総合体育大会の決勝で、雄新中は鴨川中と戦った。今度はストレート勝ちでリベンジを果たすと、翌月の四国中学校総合大会で準優勝を収め、5年ぶりに全国大会出場を決めた。雄新中はベスト16に終わったが、武智にとって全国レベルを体感できたことは貴重だった。

 

 そして、全国大会を通じて大きな収穫もあった。武智のバレー人生を語る上で欠かせない“石川祐希”との再会だ。小学6年の時の全国大会以来、約3年ぶりに石川と対戦した。小学生の頃は特に意識しなかったが、この時の石川には強さを感じた。“こいつらとプレーすれば全国制覇ができるかもしれない”。そう思った武智は、生まれ育った愛媛県を飛び出すことを決める。選んだ進学先は石川と同じ、愛知県にある全国大会常連の星城高校だ。入学してもレギュラーになれる保証はなかったが、全国制覇を目指してイチかバチかの勝負に出た。

 

第3回につづく)

 

プロフィール写真<武智洸史(たけち・こうし)プロフィール>

1996年1月1日、愛媛県松山市出身。小学2年にバレーボールを始め、雄新中学時代は全国大会に出場。星城高校では、2年からスタメンを獲得。全国高等学校総合体育大会、国民体育大会、全日本高等学校選手権大会の主要3大会を史上初の2年連続で制覇した。中央大学では、1年からスタメンで活躍。14年全日本インカレでは18年ぶりの優勝に貢献し、レシーブ賞を獲得。昨年5月にU23日本代表にリベロとして選出され、第1回アジアU23男子選手権大会に出場した。身長186センチ、体重78キロ。最高到達点330センチ。ポジションはリベロ、ウィングスパイカー。

 

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(文・写真/安部晴奈)

 


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