(4)二宮: 飲むほどにだいぶ舌も滑らかになってきましたね(笑)。

野村: 本当ですね(笑)。そば焼酎『雲海』はロックで飲んでもスッキリとしていて、かなり飲みやすい焼酎ですね。和食料理との相性も抜群です。

 

 

二宮: 今日の魚料理にも合いますね。

野村: どんどん食が進みますよ。

 

 中4日で投げた93年シーズン

 

二宮: 野村さんは1988年にドラフト3位で横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)に入団しました。

野村: 僕はもともと大学に進学する予定だったんです。とはいえ、大学卒業後にドラフトにかかる保証はないので、親父と相談して3位指名でもいいからプロ入りすることに決めました。

 

二宮: 当時の横浜のメンバーは?

野村: 高木豊さん、加藤博一さん、屋鋪要さんなどがいました。外国人はカルロス・ポンセ、ジム・パチョレックです。僕が初先発初勝利した試合では、ポンセが3ランを打ってくれたんですよ。彼のことは“ポンちゃん”と呼んでいました(笑)。

 

二宮: ピッチングの師匠は?

野村: プロ2年目のオフ、横浜に投手コーチとしてやってきた小谷正勝さんです。2年目のオフは、小谷さんに毎日球場に呼び出されてシャドーピッチングをしました。厳しかったけど、熱血漢でした。

 

二宮: 3年目となる90年は11勝、翌年は15勝を挙げてエース格に成長します。ご自身で一番良かったシーズンはいつですか?

野村: 15勝を挙げた91年です。93年に17勝を挙げて最多勝を獲ったシーズンも良かったのですが、翌年から体がおかしくなりました。

 

二宮: 93年は28試合も登板しています。勤続疲労が原因だったのでしょうか?

野村: 分からないですけど、あの頃は約1週間で3試合も投げることがありました。僕は日曜日に先発することが多かったのですが、例えば、日曜の試合が雨で中断してノーゲームになると、火曜日の先発にスライドしました。火曜日を投げ終えると、中4日で再び日曜日に先発するんです。1週間に3試合投げることが何度かあっても、92年までは元気だったんですけどね……。

 

二宮: 一時期故障に悩んだものの、再び復活を遂げ、98年は13勝を挙げました。横浜の38年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献しました。

野村: あの年は全部が上手く噛み合った気がします。僕の同い年の投手陣には島田直也、斎藤隆、ヒゲ魔神(五十嵐英樹)たちがちょうどプロ10年目ぐらいで成熟期を迎えていました。野手には1学年下の谷繁元信、石井琢朗、佐伯貴弘、波留敏夫らがいて、4番バッターはロバート・ローズでした。優勝経験のあるベテランの駒田徳広さんもいましたね。

 

二宮: 前年は2位で、98年はシーズン始まる前から優勝候補の一角でした。

野村: もちろん毎年優勝を目指していましたが、それまでは現実味がなかった。しかし、前年2位になったことで“俺らやれるんじゃないのかな”という手応えは感じていましたね。

 

二宮: この年は、日本シリーズで西武を倒して日本一にも輝きました。

野村: あの時の球場の熱気は忘れられません。横浜スタジアムのロッカーが、お客さんの熱気で揺れていたんです。僕は日本シリーズの初戦を投げることが決まっていたので、試合前にあの熱気を感じて怖くなりました。“もし、これで初回に3、4点取られたら多分球場を出たら殺されるな”と、本気で思いましたよ。

 

二宮: 同じ年にサッカーW杯でフランスが優勝した際に、シャンゼリゼ通りでの熱狂ぶりを目の当たりにしましたが、横浜も負けず劣らず盛り上がっていましたよ。あれからもう18年が経ちますね。

野村: 僕が60歳になるまでに横浜は優勝できるのかなぁ。昔から優勝するまでの間隔がかなりあいてしまいますが、横浜ファンは温かい方々ばかりです。現役の頃、ボロ負けした時でも「頑張ってください!」と応援してくれました。ファンの声援は凄く力になりましたよ。

 

胸に響いた権藤監督の言葉

 

DSC08868二宮: 横浜を38年ぶりのリーグ優勝、日本一に導いた権藤博さんといえば、“継投の名手”です。あの年は先発が野村さん、三浦大輔さん、川村丈夫さん、斎藤さん。リリーフは五十嵐さん、島田さん、阿波野秀幸さん、抑えは大魔神こと佐々木主浩さんと錚々たるメンバーが揃っていた。リードを保って大魔神に回せば勝つというパターンでしたね。

野村: そうですね。権藤さんはブルペンのローテーションも組んでいましたよ。それで、選手自身が“この場面はオレだ”と登板するタイミングを把握することができたんです。リリーフ陣はほぼ毎日、ブルペンに入って投げてはいましたが、気持ちのスイッチを入れっぱなしにしなくてよかった。そのおかげもあって、登板する時はきちんと抑えることができたのだと思います。

 

二宮: 権藤さんは自他ともに認める継投の名手です。

野村: 権藤さんとの忘れられないエピソードは、優勝した年の開幕カードが阪神タイガース戦でした。開幕戦は川村、2戦目は三浦ときて、3戦目の先発が僕でした。4回まで0対-0だったんですが、5回に今岡誠にソロホームランを打たれて先制点を奪われてしまった。その時、権藤さんがマウンドに来てくれて「この試合はオマエにくれてやるから、9回まで-放れ」と、言ってくれたんですよ。

 

二宮: いやぁ、カッコイイですね。男気を感じます。

野村: こんな言葉を選手に掛けてくれる監督はなかなかいないですよ。引退してから権藤さんに、あの時のお礼を言いに行ったんです。すると、権藤さんは「オレはあれを言うために監督になったんだ」と言ってくれた。権藤さんは言い方も含めて本当にカッコイイ方です。

 

二宮: まさに“ダンディズム”ですね。

野村: 投手コーチの立場だと、なかなかそういうことは言えないじゃないですか。なので、「あのセリフを言えたからオレは監督になって良かった」という言い方をしてくれたんでしょう。さらにうれしかったのは権藤さんが僕を信頼して「3カードがあるうちの3戦目が一番大事だからオマエが行け!」と言っていただいたことです。

 

二宮: 3カード目が一番大事だと?

野村: はい。チームが2連敗している時は3連敗を阻止しなければならない。1勝1敗だと勝ち越したいですし、2連勝だと3連勝したい。どんな場合でも3戦目は重要になるので、勝てるピッチャーを先発させたかったみたいです。

 

二宮: 野村さんが権藤さんに信頼されていた証でもありますね。

野村: そうなんです。そういうことを権藤さんに言われた上で、チームは開幕2連勝して僕が3戦目に先発しました。結局、その試合は同点に追いつかれた後、延長戦になってパスボールでサヨナラ勝ちしたんです。チームは開幕3連勝を飾れたので、あの試合は特に忘れられません。

 

二宮: そう言えば、権藤さんはミーティングをしないことで有名でした。

野村: ええ。一応、開幕前はスコアラーの方とミーティングをするんです。僕らも準備をしてミーティングに参加するんですけど、権藤さんに「野村、ミーティングなんてやらなくたってやっているだろう」と言われたものです。

 

二宮: どういう意味でしょうか?

野村: 僕が「最低限のことは準備しています」と答えると、「それでいいんだよ」と言うんです。恐らく、選手の自主性を大切にしていたんでしょうね。権藤さんは面白い監督でした。

 

捕手に求める条件は“愛情”

 

二宮: 現役時代に相性の良かったキャッチャーは?

野村: 正直言うと、僕はそれほどキャッチャーにこだわりがありませんでした。キャッチャーの要求通りに投げることに集中していたので、誰がマスクを被ろうと問題はありませんでした。

 

(2)二宮: なるほど。

野村: サイン通りに投げ切って打たれた時は“どうしてだろう”と考えましたが、逆球や甘く入った球が打たれた時は“甘く入ってしまった”と、自分の中で解決して終わっていました。僕は谷繁と組む機会が多かったですが、他のキャッチャーでも全然気になりませんでしたよ。

 

二宮: 試合前に配球について捕手と話し合うことは?

野村: 捕手のサイン通りで自分なりに良いボールを投げて打たれた時は、捕手と対話しました。あとは捕手のサインに首を振り、違う球種を投げて打たれた時も意見交換はしました。それ以外に捕手と対話することはそんなになかったですね。

 

二宮: それだけ日頃から信頼関係ができていたんでしょうね。

野村: そうですね。試合中に球種を話し合うことはしませんでしたが、唯一プレイボールの初球だけは決めていたんです。誰が最初に打席に入るか分かるので、その1球だけは試合前に話し合って、あとはもう試合の流れに任せていました。

 

二宮: バッテリーを組む機会が多かった谷繁さんは強気なリードが特徴でした。

野村: 彼はリードもですが、野球に対する姿勢も強気でした。ある時、金本知憲さんの打席でアウトローのストレートを投げたんですよ。実は投げる前からなんとなく嫌な予感がしていたので、アウトローのストレートを投げるかどうか迷っていたんです。でも、シゲはアウトローのストレートを要求してきた。それでサイン通りに結構いいボールを投げたのですが、金本さんにバチーンと打たれてしまった。

 

二宮: 嫌な予感が的中してしまったわけですね。

野村: 悔しくてシゲに「あの場でアウトローはないんじゃないか」と言うと、「それだったら、はじめから首を振ってくださいよ」と冷静に言い返されました。たしかにシゲの言う通りだなと思った(笑)。

 

二宮: アハハハ。

野村: それをきっかけに、サインに頷いて投げるのであれば責任持って投げなければならないことに気が付きました。それだけキャッチャーは責任を持ってサインを出している。この一件を機に、シゲとはお互いに通じ合えた気がします。

 

二宮: 雨降って地固まる、ですね。

野村: 捕手は時には相手を騙さないといけないポジションなのでそう言われるのかもしれません。リードには2つあって、ピッチャーを引き出すリードとバッターを騙すリードがあるんですよ。試合の展開によってリードの仕方は変わりますが、まずはピッチャーを引き出すリードをしなければなりません。敵の存在を意識したリードから入ると手詰まりになってしまうんです。

 

二宮: では、野村さんが一番キャッチャーに求めるものは何でしょうか?

野村: ピッチャーに対する愛情です。これはあくまでも僕のイメージですが、打つのが得意な捕手は試合中、バッティングに重きを置いているような気がするんです。しかし、ピッチャーに対する愛情があればバッティングだけでなくリードも頑張ろうと思うじゃないですか。

 

二宮: たしかにそうですね。では、野村さんが現役選手で投げたいと思うキャッチャーは誰ですか?

野村: 東京ヤクルトの中村悠平です。彼のプレーからはピッチャーに対する愛情を感じます。あの表情や動きや雰囲気を見ていると、僕も安心して投げられる気がしますね。たとえ失点しても、彼の場合はキャッチャーのせいにしたくなくなるタイプですよ。

 

二宮: 谷繁さんや相川亮二選手など横浜の歴代捕手は他球団に移籍する傾向があります。横浜が優勝から遠ざかっている原因の1つではないでしょうか。

野村: そうですね。外に出ていってしまうキャッチャーが多いので、基盤がなかなか確立されません。今はルーキーの戸柱恭孝が頑張っていますが、今後どのぐらい成長するのだろうか。彼は体が強く、思い切りのいいバッティングをするので楽しみな存在ですよ。若手の奮起に期待したいです。

 

二宮: ふと時計を見たらスタートから3時間半も経っていました。そば焼酎『雲海』は気に入っていただけましたか? 

野村: 気に入りました! ソーダ割りも美味しいですが、ロックだと味がしっかりと分かるので僕は好きです。

 

二宮: お土産もご用意しているので、お家で飲んで下さい。

野村: ありがとうございます! クセがなくて飲みやすいので、何杯でもいけそうです。早速、明日の夜から、これで晩酌させて頂きます。

 

(おわり)

 

DSC08856野村弘樹(のむら・ひろき)プロフィール>

1969年6月30日、広島県生まれ。PL学園ではチームのエース&4番打者として、史上4校目の甲子園春夏連覇を達成した。88年ドラフト3位で横浜大洋ホエールズに入団。プロ入り3年目に2ケタ勝利を達成すると、93年には17勝を挙げて最多勝に輝く。98年にはチームトップの13勝を挙げて、38年ぶりのリーグ優勝と日本一に大きく貢献。02年に現役を引退すると、横浜ベイスターズの投手コーチに就任した。現在は野球解説者として活躍する。

 

 今回、野村さんと楽しんだお酒は本格そば焼酎「雲海」。厳選されたそばと、宮崎最北・五ヶ瀬の豊かな自然が育んだ清冽な水で丁寧に造りあげた深い味わい、すっきりとした甘さと爽やかな香りが特徴の本格そば焼酎です。ソーダで割ることで華やかな甘い香りが際立ちます。


提供/雲海酒造株式会社

 

<対談協力>
折おり
東京都港区赤坂2−14−5 Daiwa赤坂ビル1F(地下鉄赤坂駅徒歩1分、地下鉄溜池山王駅徒歩5分)
TEL:03-6459-1888

 

営業時間:
16:30〜翌5:00
日・祝日定休

 

☆プレゼント☆

野村さんの直筆サインボールを本格そば焼酎「雲海」(900ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はこちらより、本文の最初に「野村弘樹さんのサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は6月9日(木)までです。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。

 

◎クイズ◎

 今回、野村さんと楽しんだお酒の名前は?

 お酒は20歳になってから。

 お酒は楽しく適量を。

 飲酒運転は絶対にやめましょう。

 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成・写真/安部晴奈)


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