165030(加工済み) 溝渕雄志は努力の甲斐があって、文武両道の慶應義塾大学に入学した。溝渕は強豪のソッカー部で1年生時からレギュラーの座を手にする。関東大学サッカーリーグの2節目から右サイドバックでスタメン出場を果たすと、そこからはレギュラーとして、試合に出場し続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

<2016年5月の原稿を再掲載しております>

 

 溝渕は自身が1年時のことを「毎日、必死でした。週末の試合が終わって、翌週の試合に“また自分が出るんだ”と無我夢中でした」と懐古する。当時、慶應ソッカー部は降格争いに巻き込まれていた。高校から大学とガラリと環境が変わる中、チームは降格争いで練習中には独特の緊張感があった。その中で自らが試合に出ている重圧がルーキー溝渕に降りかかっていた。精神的なストレスがあったことは容易に想像できる。

 

「1年目は目の前の相手に食らいつくので精一杯でした。攻守においてこちらからあまり主体的に仕掛けることができなかった」と、溝渕は反省を口にする。それでも1年生の終わり頃に関東大学選抜の候補に入った知らせが届く。彼は選考会で対峙した相手をシャットアウトしたが、惜しくも最終選考には残らなかった。「守備だけじゃ、今は評価されないんだ」と痛感した溝渕は自身のどこを改善すべきかを冷静に考えた。導き出した答えは、フィジカルの強化だった。

 

「高校の走り込みで培った足腰で今までやってきたんです。だから、これまで本格的な筋力トレーニングを一度もやったことなかった。たぶん、一番のびしろがあるのが、フィジカルの部分だと思いました」

 当時の溝渕の体重は62.5キロほどだったという。今とは約5.5キロも差がある。このフィジカル強化で彼は「“相手と並んだら絶対勝てる、自分の方が速い、身体のあたりで勝てる”という良いイメージができるようになった。実際、馬力もつきました」とピッチ上での自信を手にした。

 

 溝渕の長所の1つである、縦への推進力はこの時に身に着けたのだ。1年の終盤から始めた筋トレ効果もあり、2年のシーズンスタートから溝渕は着実に周囲の評価をさらに上げた。5月には全日本選抜に選ばれるようになる。

 

 筋力アップの影響で得意の守備に磨きがかかり、攻撃面も向上した。溝渕のサッカー人生はすべてが順調に進んでいるように思えたのだが……。

 

うまくなりたいという“焦燥感”からスランプへ

 

160530ボール蹴っている(加工済み)「攻撃面でもチームに貢献できるようになって、大学2年で自分に対する周りの評価が上がりました。そのあたりのタイミングで武藤嘉紀さん(現マインツ)がプロの世界に行ったんです」

 溝渕の2学年先輩にあたる武藤は慶應ソッカー部に所属しながらFC東京の特別指定選手としてJリーグでもプレーしていた。その武藤が大学卒業を待たずにソッカー部を退部し、正式にFC東京とプロ契約を結んだのだ。身近な先輩がプロの道へ進み、溝渕は刺激を受ける。

「(武藤を見て)そこで初めてプロという目標が明確になりました。ただ、その時に焦ってしまったんです。自分の良さはタイトな守備からチャンスがあれば、どんどんスプリントして走ることだったのに。“どうやったら足元でもらって、つなげられるんだろう”と変に考えてしまって……。自分の良いところを忘れてしまったんです」

 

 不得意な部分を伸ばしたいという気持ちが、自らをスランプへと追い込んでしまった。そのまま3年目のシーズンが始まり、リーグ戦へ突入する。この年、慶應は優勝争いを演じるほどチーム状況は良かった。「チームが勝っていたから喜べるんですけど……。自分のプレーにはどこか納得できない。こんな状況が11試合くらい続きました。チーム状況はそんなに悪くなかったんですが、“ああ、今日はやりきったな”と個人的に思える試合がリーグの前期は1つもありませんでした」

 

 苦しい期間、溝渕はうまくプレーができない己から逃げなかった。自らのプレーのVTRを見返して良い時の動きを頭に刷り込んだ。しかし、頭では理解していても、心が追い付かず、試合で表現できない日々が続いた。一度狂った歯車を修正するのは容易ではなかった。

 

 そんなモヤモヤした気持ちを抱えている教え子の姿を、慶應ソッカー部の須田芳正監督は見逃さなかった。須田監督は溝渕に「オマエの良さは(足元で受けるのとは)違うだろ」と厳しく叱咤しながらも「自信を持て」と背中を押した。

 

 温かみのある監督の言葉で溝渕は甦る。当時を振り返って溝渕は「そこで吹っ切れて、調子が上がったんです」と語り、こう続けた。

「この挫折が僕の中で一番大きかったです。挫折して考えて、考えた結果失敗する。なんで失敗したかをずっと悩んで、実践して、また失敗した。でもふてくされず、諦めないで自分と向き合った。諦めずに続けたから最後、スランプから抜け出せて、いい方向にもっていけました」

 

 漠然と時を過ごし不調から抜け出したのとはわけが違う。その証拠に今の溝渕のプレーには迷いがない。相手とファイトしながらも非常に判断がクレバーだ。推進力を売りにするサイドバックは往々にして攻撃にいきたがる傾向がある。しかし溝渕は闇雲に上がったりはしない。戦況を冷静に見極め、機を見て一気に前へ出る。タイミング良く、かつ俊足を生かして相手を置き去りにするシーンは見ていて痛快だ。守ってもタイトなディフェンスで相手からボールを奪い取る。苦しくてもチームのために懸命に走り、ピンチの時には迷うことなく身を投げ出してシュートブロックにいった。

 

 雄々しく相手に挑む彼の姿は人々を魅了する。溝渕は己の“雄姿”をピッチで披露し、これからも観る者に感動を与え続けてくれるはずだ。

 

(おわり)

 

<溝渕雄志(みぞぶち・ゆうし)プロフィール>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 1994年7月20日、香川県高松市出身。小学1年からサッカーを始める。築地SSS-FC DIAMO-流通経済大学付属柏高。流経大柏高の1年時に夏から本格的にサイドバックへコンバート。3年時には12年プレミアリーグEAST3位にチームを導く。慶應義塾大進学後は1年時からトップチームの試合に出場し始める。4年時には全日本大学選抜にも選出された期待の若手サイドバック。身長174センチ、体重68キロ。

 

 

(文・写真/大木雄貴)

 

 

 

 

 

 

 

 

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