日曜日だというのに、朝からあわただしい日だった。5月29日のことである。
ダルビッシュ有(レンジャーズ)のメジャー復帰戦と、前田健太(ドジャース)の先発試合がちょうど同時刻に重なってしまったのだ。当然、ダルビッシュを見たいが、デビューから3連勝のあと、失点の目立つマエケンも気になるし……。イニングが終わる毎にチャンネルを変えて忙しいったらありゃしない。
まずは、なんといってもダルビッシュ。石井一久さんは得意(なんでしょう、きっと)の英語で「ドミネート(圧倒)」(「スポーツニッポン」5月30日付)という言葉を使っておられたが、まさに圧巻でした(dominateは、こういうふうに使うんですね)。
立ち上がりは、パイレーツの1番ジョン・ジェイソに対して、初球のストレートがボール。2球目、明らかにストライクを取りにいったストレート系がやや中に入り、いきなりセンター前ヒットを打たれた。この2球は、恐る恐る投げている感じがあって、気が気じゃない。
そんな心配は、2番の強打者アンドリュー・マカッチェンを迎えて、ふっ飛んだ。4球続けてストレート系を投げてカウント2-2。ボールにはなったが、4球目は、ちょっとだけ力を入れたら156キロ。あ、これは大丈夫だ。と思った次の5球目、スライダーが外角に鋭く曲がり落ちて空振り三振。マカッチェンは途中から、ボールの軌道が見えなかったのではあるまいか。メジャーの強打者にしてはなかなか不細工な空振りだった。
チャンネルを変えると、マエケンの相手メッツ先発はノア・シンダーガードである。160キロの速球に鋭く落ちるスライダー。前田のストレートが子どものボールに見えるくらいの豪球投手だ。たぶん、平均球速もダルビッシュより上だろう。
だが、投手としては、ダルビッシュのほうが全然上だと断言したい。その理由はボールの角度である。この日、ダルビッシュのボールは、真上から真下へ投げおろす感覚に見えた。すなわち、タテの軌道である。だから、低めに決まるときに、うなりをあげて伸びる感覚がある。これぞピッチャーでしょ。
ところが、昨今のメジャーを代表する豪球投手は、ややヒジが下がり気味で、地面と平行に近い球筋が多い。いわば、ヨコの軌道である。シンダーガードもそうだが、たとえば、マックス・シャーザーがそうでしょう。豪速球投手なのに、ひたすら低めのコーナーを粘り強く狙っている感じがある。それは、あくまでも高額契約をまっとうする営為であって、アートではない、とでも言おうか(もちろん、やや全盛期を過ぎたかもしれないが、ジャスティン・バーランダーのように、真上から投げおろす豪腕投手もいる)。
で、かんじんの前田だが、なんと初回にピッチャー返しの打球が右手甲を直撃し、手負いの状態である。根性で続投していたが、いかにも苦しい。
これは、たぶん、捕手が賢かった。随所にカーブを交えてリードしたのである。右手甲が腫れ上がっている状態だから、手首も固くなるだろう。カーブを多投させて、手首をほぐしながら、得意のスライダー勝負で、なんとか5回まで無失点で投げきり、4勝目をあげた。
“野球は格闘技”の弊害
結果として、気分のよい日曜の朝になったのだが、この日、ドジャースで目立ったのは、2本のホームランを放ったチェース・アトリーである。
彼は走者として出塁したとき、相手野手に激しいスライディングをすることで知られる。昨年、メッツの遊撃手ルーベン・テハダを二塁への激しいスライディングで骨折させた。これをきっかけに、メジャーリーグでは、今年から併殺崩しの危険なスライディングが禁止となった。
で、この試合、アトリーが打席に立った3回表、シンダーガードはアトリーの背中を通す快速球(160キロは出ていると見た!)を投げて一発退場を食らった。ま、審判は報復と判断したのでしょう。そのあと2本塁打して試合を決めるのだから、アトリーもいい根性をしている。
話は翌日にまでおよぶ。5月30日のドジャース-メッツ戦は、ドジャースがエースのクレイトン・カーショー、メッツは現役最年長投手バートロ・コローン。面白い対戦だが、3回表、ドジャースの攻撃でのことだ。
1死一、三塁と攻めて3番ジャスティン・ターナーがサードゴロ。サードよく捕って二塁送球。一塁走者は、二塁ベースにスライディング。併殺が崩れ、ドジャースが1点先行した。
問題はこのあとである。メッツのテリー・コリンズ監督が抗議し、ビデオ判定にもちこまれたのだ。
うーん。ベースカバーに入ったセカンドは、左足でベースを踏み、右足を三塁方向に大きく踏み出している。スライディングはその股間をめざしてなされているように見える。これ、危険と言えるのだろうか。
結果は、セカンドはアウト。打者走者の一塁はセーフ。三塁走者は生還が認められた。どのような理由による判定なのか判然としないのだが、ということは、結局、あのスライディングは危険とはみなされず、普通のフォースアウトという判断なのでしょうね。
要は、今季、日本球界でも大話題のコリジョン・ルール(衝突禁止)の問題である。今年はホームベース上の衝突禁止だが、来年からは、二塁上の危険なスライディング禁止ルールも、メジャーに習って日本も導入するのだとか。
日本球界のホームベース上のコリジョン・ルールに関しては、5月12日の巨人―阪神戦が有名だ。阪神・大和がすばらしいバックホームをしたが、捕手・原口文仁がホームベースをまたいで走者の走路をふさいだとして判定がくつがえり、明らかなアウトのタイミングがセーフとされた。
これについて、さまざまな意見があるのは承知している。そこに、さらに言説を加えようとは思わない。
ただね。アメリカも、日本も、こう、いちいちプレーを中断して、ビデオを確認されてもなあ。最近は、審判のほうから積極的にビデオを確認しようとしているようにさえ見える。
以前、どこのテレビ局だったか、野球中継の番組宣伝として、「野球は格闘技だ」というコピーを流していたことがありましたね。
「格闘技」の象徴として、ホームベース上での走者と捕手の衝突がイメージされていた。
実際にメジャーリーグでは、屈強なキャッチャーが完全にベースを塞いでしゃがみこみ、それを走者がショルダータックルしてふっ飛ばすようなシーンが、しばしばあった。たしかに格闘技かもしれないが、ベースボールではない。それは、いつしか、日本野球にも伝播していたように思う。
いつごろから、と時期は定かに言えないのだが、問題の本質は、このようなイメージを、野球の魅力として語り始めたことにあるのではないか。
技術を競うスポーツ
思い出すのは、かつてのドジャースの名捕手、マイク・ソーシアである(今は、エンゼルスの監督として、さかんにサインを出す姿が印象的だ)。
どの試合かは覚えていないが、テレビカメラがホームベースの真上にも設置されていたことがあった。走者のホーム突入のシーンを真上からのカメラで再生して見せてくれるのである。
ソーシアは、もちろん走路にしゃがみこんでホームベースをべったり隠したりはしない。ベースよりも前に立っていて、返球を捕球する動きに合わせて、両足を上手に使い、走者からベースをふさぎながら、でも、ベースの一角はあけておくような、たくみなブロックを見せていた。
この両足の使い方、ベースのあけ方、ふさぎ方、ランナーのスライディングとの関係が、真上のカメラからだと、鮮やかに見えた。たしかにブロックしているのだが、べったりベースをふさいでいるのではない。流れるような一連の動きなのだ。
そう。野球は格闘技ではない。球技である。技術を競うスポーツである。それは、ホームベース上のプレーでも、変わりはない。
ルールは、走者のスライディングの技術を、捕手のブロックの技術を、ともに高めるものでなくてはならない。
アメリカから輸入された現在のコリジョン・ルールが「法」として、そのような理念をもっているとは、とうてい思えない。
このほど、ルートウィヒ・ウィトゲンシュタインの最晩年の遺稿を編纂した『ラスト・ライティングス』(古田徹也訳、講談社)を刊行した。本邦初訳である。
名言居士ともいえる20世紀を代表する哲学者の遺稿に、こんな断篇があった。
<しかし、態度と意見の違いは何か。
態度は意見に先立つ、と私は言いたい。
(神への信仰というのは、まさしく態度ではないのか。)>
態度は意見に先立つ――これ、かなり深い名言だと思う。
捕手がホームベースをまたいでいたから、走路をあけたことになるのか、ふさいだのか――。それは意見だろう。審判と選手、監督、あるいは観衆では、意見は異なるかもしれない。
しかし、それに先立つ態度として、走者はプロとして高度なスライディングを敢行し、捕手は捕球動作、タッチの技術を高めて、見る側に提供する、そういうビジョンが明確でない限り、議論は不毛に堕するのではないか。ルールは、選手にそういう態度を求める「法」でなければならない。
その点、話題を冒頭に戻せば、ダルビッシュには、あらためて感銘を覚える。こんな記事があった。
<日本の病院は僕の肘を見て“手術の必要はない”と言った>(「スポーツニッポン」5月30日付)
医者の意見の理由は、じん帯が完全に切れていなかったからだ。しかし、彼は、投手としてより進化するために、手術を決断した。消耗したじん帯のままでは「しっかり腕を振れない現象が出る」(同)からだ。そして、14ヵ月ものリハビリを経て、「8割の力で96マイル(155キロ)」という、理想の姿に近づいて復帰を果たした。この、投手として生きることへの彼の態度こそが、一番の魅力である。
上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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