1ラウンドの終盤あたりから、モハメド・アリはグローブで顔を覆い、ロープを背負った。不思議な光景だった。チャンピオンのジョージ・フォアマンはロープを背にしているアリをサンドバッグのように攻め立てたが、どのパンチも“ヌカに釘”のように映った。

 

 中学生の私には、アリがいったい何を考えているのか、さっぱりわからなかった。同時に破壊力満点の重いパンチを持つフォアマンが、何ゆえに手こずっているのかも、よくわからなかった。

 

 この試合の1年前、すなわち1973年9月、フォアマンは東京・日本武道館のリングでジョー・キング・ローマン相手に初防衛戦を行い、滅多打ちにしていた。1回KO勝ち。フォアマンのケタはずれの強さだけが印象に刻み込まれた。

 

 一方のアリも72年4月に同じ武道館でマック・フォスター相手にノンタイトル戦を行っている。15回判定でアリが勝ったものの凡庸な試合だった。蝶のように舞うアリも蜂のように刺すアリもいなかった。73年3月にはケン・ノートンにアゴを砕かれた。そのノートンもフォアマンの敵ではなかった。74年3月、2回KO。ノートンは右フック一発でカラカスのリングに横たわった。リングサイドにいたアリは、何を思ったか。

 

 アリとフォアマンを比較する上で、ノートンの他に、もうひとりリトマス試験紙となるボクサーがいた。ジョー・フレージャーである。71年3月、アリは15回にダウンを奪われ、プロ初黒星を喫する。73年1月、そのフレージャーを手もなく沈めて新王者となったのがフォアマンだった。

 

 アリには徴兵拒否による3年7カ月のブランクがあった。斜陽のアリと向かうところ敵なしのフォアマン。アリの主治医のファーディ・パチェコは、試合後アリをリスボンに移送できるよう飛行機の手配をすませていた。脳への緊急手術に備えたのである。

 

 ところが――。8回、ロープをシルバーシートがわりにしていたアリは突如として反撃に打って出る。鮮やかなワンツーが疲労困憊の王者を襲った。「象をも倒すパンチ」を持つ男が、巨象が崩れ落ちるようにリングに沈んだのは、その直後のことだった。

 

「科学が暴力に勝ったのである」。興奮気味にそう書いたのは、米国の作家ジャック・ニューフィールドだ。キンシャサの奇跡よ、永遠なれ。アリの冥福を祈る。

 

<この原稿は16年6月8日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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