いまにして考えれば思い上がりも甚だしいのだが、94年当時、わたしは米国のサッカーを完全に見下していた。当然、W杯米国大会は、ロクなものになるはずがないと思い込んでもいた。

 

 まずもって、代表チームのサッカーそのものが無個性で退屈だった。おまけに、何としても巨大市場を振り向かせたいFIFAは、米国で大会を開催するためにかなり強引な手法をとっていた。試合開始の時間や正規の広さが取れないスタジアムでの試合などは、その最たる例と言っていい。

 

 そして何より、肝心の米国人が、サッカーという競技に愛着を持っているようにはまるで見えなかった。

 

 唖然としたのは、試合終了時間が近づいてくると、場内からカウントダウンの合唱が始まることだった。サッカーにはアディショナルタイムがあるということが、当時の米国では認識されていなかったのだ。この国にサッカーを根付かせたいというFIFAの目論見はきっと空振りに終わる――。そう実感してしまった大会でもあった。

 

 あれから四半世紀近くが経った。正しかったのは、もちろん、わたしではなくFIFAだった。そろそろ終盤に差しかかってきたコパ・アメリカを見ているとそう痛感させられる。

 

 もちろん米国に住む中南米の人たちが大挙して押し寄せているという面もあるのだろうが、スタジアムの雰囲気に、94年当時の奇矯な気配はまるでない。何より驚かされるのは、今回のコパが開催される10会場のうち、94年W杯で使用されたものは3つしかない、という事実である。

 

 それだけ、新しいスタジアムが米国では造られている。

 

 もし近い将来、日本で再びW杯が開催されることになったら、会場はどうなるだろう。そもそも、W杯を開催することのできる、しかし02年には存在しなかったスタジアムが、いまの日本にどれだけあるのだろう。

 

 そんなことを考えているうち、今度はフランスで欧州選手権が開幕した。ご存知の通り、フランスは日韓大会の4年前にW杯を開催した国でもあるが、今回のユーロには、98年にはなかった4スタジアムが会場に名を連ね、サンドニを除く5会場は大規模な改修が施され、中には趣を一変させているところもあった。

 

 今の日本に、02年当時より進化を遂げているスタジアムがどれだけあるだろうか。そもそも、スタジアムを進化させようという発想が、どれだけ行き渡っているだろうか。

 

 隣の芝がより青く見えている部分もあるとは思う。ただ、それでもなお、日本の芝が米国やフランスより青いとは思えない。間違いなく言えるのは、青くない芝生を舞台とする国が、青い芝生を舞台とする国を倒すのは、簡単なことではない、ということである。

 

<この原稿は16年6月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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