1606okabayashi24「“やるんだったら今しかない”と、思い切って挑戦してみたんです」

 自衛隊体育学校から部隊へと戻る岡林裕二は、既に腹を決めていた。バーベルを置いて、マットに立つ――。彼の挑戦には自衛隊側も背中を押した。岡林は部隊に配属された初日の面接時に「1年間所属させてもらった後、プロレスラーになります」と自らの気持ちを包み隠さず話した。すると上司は「明確な目標があることは素晴らしいから、気にせず、1年間はここで頑張ってくれ」と快く送り出してくれた。ところが、履歴書を送ったはずの大日本プロレスの方からは返事がなかった。

 

「他のところにしようという感覚はなかったです」。入団するなら大日本プロレスと決めていた岡林は、履歴書を送ってから数カ月後、事務所に電話をした。実は大日本プロレス側に書類はちゃんと届いていたのだが、ただ単に担当者が岡林へ連絡するのを忘れていたのだ。

 

 “犯人”は当時、道場長を務めていた関本大介だった。

「もし岡林が“いいや”と諦めてしまっていたら、岡林裕二というレスラーの存在を僕のうっかりで失うところだった」と頭をかく。関本は岡林がプロレスへと進むきっかけをつくった1人だ。しかし、プロレスラーへの道を断ちかけたのも、また関本だった。その後、2人はタッグを組んで数々のベルトを手にするのだから不思議な縁である。関本と連絡が繋がった岡林はすぐに入団テストを受けて、見事合格した。

 

 四苦八苦した異種への転向

 

1606okabayashi16 2008年4月、岡林は部隊での1年間を終え、晴れて大日本プロレスに入団した。新人とはいえ、元々の怪力に加えてウエイトリフティングで培った肉体は高いレベルにあった。実際、トレーニングなど体力面で苦労したことはなかったという。ただプロレス特有の受け身とロープワークには面食らった。

 

 相撲、アマチュアレスリング、柔道……。プロレス界には様々な競技からの転向組がいる。中でも受け身とロープワークに困惑する者は多い。ましてや岡林が経験していたウエイトリフティングはバーベルや己との勝負。当然、受け身の練習などはしてこなかった。中学では柔道部だったが、それも真剣に取り組んでいたほどではない。岡林は「受け身の練習はきつくて大変でした」と苦々しく振り返る。

 

 リング上のロープの硬さにも苦戦した。かつて26歳で大相撲からプロレスに転向してきた天龍源一郎もその1人だ。「アザができた方を下にしては痛くて眠れない。その時に “幕内で勝ち越して、まだ26なのに早まったかな”と一瞬思った」と後悔するほどだったという。リングのロープはレスラーが反動をつけるために使っているので、柔らかいというイメージを持たれがちだ。だが実は違う。岡林も天龍同様に「しばらくは慣れなかったです。アザができて、ちょっと挫折しかけましたね」と語った。異種への挑戦。そのギャップに戸惑ったのだった。

 

「でも“こんなことで諦められるか”と思いました。自衛隊を辞めてまで入っている職業なので、もう後には戻れないですから」。岡林も迷いは一瞬だった。ひた向きにトレーニングを続け、プロレスのイロハを学んだ。基礎技術を岡林に叩き込んだ師は関本だった。

 

 飛躍への足踏み

 

1606okabayashi11 デビュー戦は大日本プロレスに入団して約3カ月後の6月27日にやってきた。場所は北海道釧路市の桜ヶ丘青雲台体育館。対戦相手は井上勝正だった。師と同じ黒で統一されたコスチュームを纏い、岡林はリングに上がった。「一心不乱だったので、とにかく思いっきりぶつかっていきました」。公式戦のリングはやはり違った。独特の緊張感、慣れないペース配分で体力は持たなかった。「“えらい疲れたな”という印象でした」。逆エビ固めで丸め込まれ、仰向けに倒れたまま、レフェリーのスリーカウントを聞いた。

 

 敗れてしまったものの、岡林の非凡さは垣間見えた。

「井上さんが当時のブログに“1キロメートルを全力ダッシュした感覚だった”と書いていたんですよ。本当に自分もその感覚でした」。デビューして間もない新人の感覚なら分かる。一方の井上はキャリアでは5年も上の先輩である。それだけの圧を彼は対戦相手に与えたのだった。

 

1606okabayashi23「一心不乱で、とにかく思いっきりぶつかっていった」。デビュー戦のような気持ちのまま岡林は突っ走った。2年目には関本とタッグを組んでBJW認定タッグ王座を獲得した。3年目には東京スポーツ新聞社主催のプロレス大賞で新人賞に選ばれた。「“もしかしたらいけるんじゃないないか”と周りには言われてはいましたが、自分では獲れると思っていませんでした。すごくうれしかったですね。それが全日本プロレスに出るきっかけにもなりましたし」。3年目の選手までに与えられる同賞の受賞は大日本プロレスでは初めてだった。岡林裕二の名をマット界に広めるには十分である。岡林は他団体にも活躍の場を伸ばした。

 

 11年3月の全日本プロレス両国国技館大会では、関本大介と組んで、老舗団体のリングで暴れ回る。征矢学、真田聖也組から30分を超える激闘の末、アジアタッグ選手権王座を奪取した。アジアタッグは60年以上の歴史を誇る由緒あるベルト。全日本プロレスの前身・日本プロレス時代からある日本最古のベルトを手にした。この年のプロレス大賞では関本とのコンビで最優秀タッグ賞を獲得する。

「節目節目で賞をいただいて、それが力になっているのもあります。(賞をもらうことで)自分がどの位置にいるのかをわかる。今はこれぐらい評価されているんだなと。これからやるべきことも見えてきますよね」

 

 無我夢中で走り続けてきた岡林。メキメキと頭角を現し、周囲からも評価を受けた。彼はさらに高く飛び立つ準備ができていた。しかし、13年に入ってタイトルマッチや大きなカードが流れてしまう。「自分の中で気持ちが上がってきていたのに、タイミングで落とされた。それまで順調にきていたのに、“今年はうまいこといかんな”と」。もっと高みにいけるはずだった。ここで足踏みを余儀なくされる。そして翌年のドイツ遠征で、悲劇が岡林を襲う。

 

(最終回につづく)

 

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岡林裕二(おかばやし・ゆうじ)プロフィール>

1606okabayashi21982年10月31日、高知県南国市生まれ。相撲、柔道を経て、高校からウエイトリフティングを始める。高知中央高校時代は3年時に全国高校総合体育大会94キロ級で6位入賞。卒業後は自衛隊体育学校に入校し、06年の全国社会人選手権で同級3位に入った。08年にプロレスラーを目指し、大日本プロレスに入団。同年6月にデビューすると、09年には関本大介と組んでBJW認定タッグ王座を獲得。自身初となるチャンピオンベルトを手にした。10年にプロレス大賞の新人賞を受賞。11年3月には関本大介と組み、全日本のアジアタッグ王座を獲得するなど、最優秀タッグ賞に選ばれた。15年7月にBJW認定ストロングヘビー級王座を初奪取。同年のプロレス大賞では敢闘賞を受賞した。今年6月には関本とのタッグで世界タッグ選手権王座も手に入れた。身長178センチ、体重120キロ。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

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