リオデジャネイロ五輪が間もなく幕を開けます。手倉森誠監督率いるU-23日本代表は31日にU-23ブラジル代表と親善試合を行ったのち、8月5日にU-23ナイジェリア代表との初戦を迎えます。

 

手倉森ジャパンのリオでの戦い方

 

 27日の夜にスイス・ヤングボーイズがFW久保裕也のリオ五輪への派遣を拒否する意向を公式ホームページで発表しました。主力FWが負傷したことが理由だそうです。久保は手倉森ジャパンにおいて攻撃の中心となるのは間違いなかったはず。霜田正浩ナショナルチームダイレクターがクラブとの話し合いのため渡欧したので、交渉結果を待つしかないでしょう。五輪では代表側に選手の拘束権がないので、こればかりは仕方ないことです。

 

 今回のU-23日本代表は特定のキープレーヤーを置くより、いかにチームでうまく戦うかだと思います。奪ってから速く攻めることができるか――。この点にかかっているでしょう。実際、手倉森監督もメンバー発表会見で「守る時間が多くなると思う」と語っていました。

 

 ブラジル入りしてからも、カウンターの練習を行っているようです。速攻を仕掛けるためにFW興梠慎三とコンビを組むことが予想されるFW浅野拓磨、そして左右どちらかのサイドハーフを高い位置に残しておくことが重要です。日本がボールを奪った瞬間にこの3人の動きが被らないように連携を構築できれば十分、得点のチャンスは作れると思います。

 

 反対にボールポゼッションを高めようと遅攻しか仕掛けられない状況だと日本の得点する可能性は低くなるでしょう。戦うのは世界レベルの相手です。ポゼッションを無理に高めようとするよりは、“相手にボールを持たせておびき寄せる”くらいが、ちょうどいいと思います。

 

 27日に合宿地アラカジュで地元クラブと練習試合を行い、開始早々に興梠が1点を奪った後、同点に追いつかれて1-1に終わりました。追いつかれたことは決して褒められることではないですが、先制パンチを浴びせることができたのは収穫だったと言えます。あとはDF陣の横の連携を高めて抜け目なくカバーができる体制を構築してほしいです。

 

スポンサー、フロント、現場は三位一体となれ

 

 一方、Jリーグはセカンドステージが始まり、5試合を消化しました。Jリーグ全体が盛り上がるためにも低迷しているクラブには浮上のきっかけを掴んでほしいところです。

 

 7月29日現在、首位が川崎フロンターレ、2位が浦和レッズとファーストステージで好調だったクラブが良い位置につけています。川崎と浦和は安定して優勝争いに絡んできます。

 

 ですが両クラブはタイトルになかなか手が届かない。優勝争いの終盤に差し掛かると失速してしまう傾向があります。シーズン終盤に主力が欠場してもチーム力が落ちないように選手を育てる、もしくは戦い方をガラリと変えて何とか勝ち切るといった術を身につければタイトルが近づくのになぁと思います。

 

 下位に目を向けると名古屋グランパスの元気のなさが目立ちます。端から見れば戦力は十分揃っていて、資金面も困っていなさそうなチームですが……。理由は様々ですがスポンサー、フロント、現場が一丸となりきれていないのではないのかなと感じます。資金が豊富なクラブにありがちなことですが、フロントと現場で獲得したい選手に食い違いが生じてしまうことがあります。

 

 フロントはスポンサーからいただいたお金を使い、交渉をまとめ選手を獲得する。しかし、選手を獲得したはいいものの、指揮を執る監督の戦術とマッチしていない選手を獲得されても起用は難しいですよね。無理矢理、新加入選手を起用してみても、指揮官の要望に沿った選手ではないとうまく機能しないことがあります。

 

 監督は焦ってシステムや選手を替えてみるが付け焼き刃で結果は出るはずもないでしょう。フロントと現場がチグハグだとせっかく支援をしているスポンサーも首を傾げてしまう。苦しい時期こそスポンサー、フロント、現場が三位一体となって乗り越えてほしいです。せっかく小倉隆史新監督はゼネラルマネジャーも兼任しているのですから、諦めずにクラブを再生してくれればと思います。

 

 最後に、私が所属していた鹿島アントラーズは5試合を消化して8位です。得点数はリーグ1位タイですが、失点数はリーグワーストタイ。少し不安定な試合が続いています。試合内容を見ても、入りがフワっとしていて、まさに悪い時の鹿島です。ファーストステージを獲って甘えが出ていると思われてしまっても仕方ない。僕は鹿島にはファーストステージを優勝したくらいで満足してほしくないんです。OBとして鹿島には常勝軍団であり続けてほしい……。ただただ、それだけなんです。

 

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)

<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


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