夏本番となり、応援の熱もさらにヒートアップしてきてるのではないでしょうか? ホークス、カープの独走に見えたシーズンも少し様相が変わってきた感もあります。最後まで目が離せないシーズンとなりそうですね。ファンの方々の応援が選手を鼓舞することは間違いありません。暑さに負けず、熱い声援をお願いします!

 

 さて今回はセカンドキャリア問題に話を戻しましょう。前々回、「内発的に動機づけられる」環境があるときに人はモチベーションが上がり、パフォーマンスも上がると話しました。では「内発的に動機づけられる」環境とは何かというと、アメリカの心理学者エドワード・L・デシが「認知的評価理論」の中で主張した、人は3つの悦びを感じたときに「内発的に動機づけられる」とあります。その3つとは「自律性」「有能感」「関係性」です。

 

 まず自律性とは「自身で選べる悦び」のことです。上司や他人から押し付けられた仕事より、自らが考え、進んで取り組む仕事の方がモチベーションが上がりますよね? 中には自分で考えるのが嫌だという人もいるので一概には言えませんが、自身で選択できる環境があればパフォーマンスが上がるというのは研究結果からも明らかです。

 

 野球のグラウンドに例えれば、選手達が自身で正しい目標設定をし、今自分に必要なことを自身で考え、答えを出し、練習をすることが許される環境と言えるでしょう。常に指示される環境ではなく、自身で考えて練習してもなかなか上手くいかず、答えが出ないときに初めて指導者にアドバイスを求める。そして指導者も上から目線でアドバイスするのではなく、選手の話をしっかり聞き、考えているプロセスを認め、それからアドバイスを送るという環境です。

 私がいた時代の野球界では指導者から「やれ」「言うことを聞かないと使わない」といった上から目線しかなく、「自律性」でモチベーションが上がることは皆無でしたが……。

 

 次に有能感です。これは「自分が有能であると感じる悦び」です。自分が考えて行動した結果、成績や仕事の成果が上がり、自身の能力の成長が実感できると、モチベーションが上がり、さらにやる気が湧いてくる。誰もがそんな経験をしたことがあるのではないでしょうか?
 それ以外にも指導者や上司から「良くなったな」「よく頑張ってるな」と褒めてもらったり、認めてもらえると人は有能感を感じ、モチベーションが上がるとデシは主張しています。

 

 褒められて嬉しくなってモチベーションが上がったことは誰にでもあることでしょう。よく「褒めるといい」と言いますが、何の根拠も持たずにただ褒めているのと、「人は認められるとモチベーションが上がるんだ」と知っていて褒めるのでは全く意味が違う褒め方になるのではないでしょうか。個人的な感覚ですが「褒められる」より「認めてもらえる」言葉を掛けてもらう方が、モチベーションが上がる気がしています。残念ながら野球のグラウンドでは「褒める」「認める」ことより「怒鳴る」ことが優先されていますが……。

 

「有能感」について補足説明をしましょう。ある実験で「成績優秀な生徒たちを集めたクラス」と「成績の悪い生徒たちを集めたクラス」を作り、それぞれのクラスの担任には逆のことを伝えてクラス担任をさせました。

 つまり「成績の良い生徒のクラス」の担任には「成績の悪い生徒」だと告げ、「成績の悪い生徒のクラス」の担任には「成績の良い生徒」だと告げて、それぞれクラスを担任させるという実験です。その結果、もともと「成績の良かった生徒」たちのクラスの成績は下がり、もともと「成績が悪かった生徒」の成績が上がったそうです。

 

 これによって導かれた結論は、期待と成果の相関関係について「人は期待されたとおりの成果を出す傾向がある」ということです。生徒たちも自分にかけられる期待の大小を敏感に感じて、「やる気」を出して勉強に励んだり、「やる気」を失ったりしていたはずです。これは指導者なら知ってないといけない「ピグマリオン効果」というものです。

 

 指導する側が「彼らには未来がある」「彼らには可能性がある」「彼らは内発的に動機づけられればやれるはずだ」「君たちは優秀なんだ」と信じることが、子供たちや選手たちの能力を伸ばす環境を作れるのではないでしょうか。大した勉強もせず、自身の過去の実績や経験だけで判断する。「お前らダメだ」「お前らセンスがない」「あいつら無理だよ」と考えて指導している方には、子供たちの能力を引き出し、パフォーマンスを上げることは難しいでしょう。

 

 次回は残りのひとつ「関係性」について語らせていただきます。

 

1600314taguchi田口竜二(たぐち・りゅうじ)
1967年1月8日、広島県廿日市市出身。
1984年に都城高校(宮崎)のエースとして春夏甲子園出場。春はベスト4、夏はベスト16。ドラフト会議で南海ホークスから1位指名され、1985年に入団し、2005年退団。現在、株式会社白寿生科学研究所人材開拓グループ長としてセカンドキャリア支援を行なっている。

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