夏の甲子園に前橋育英が帰ってくる。前橋育英は7月28日に行われた群馬大会決勝で健大高崎を延長の末に8-4で破り、3年ぶり2度目の甲子園出場を決めた。3年前の甲子園では初出場ながら頂点に立った。指揮官の荒井直樹は「選手には諦めないことの大切さを教えたい」と熱く語っていた。“凡事徹底”を心掛ける荒井監督の指導哲学を、2年前の原稿で振り返ってみよう。

 

<この原稿は2014年2月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 

 高校野球は指導者の性格や考え方がチームに色濃く反映される。逆に言えば、チームを見れば概ね指導者の人となりを知ることができる。

 

 昨夏の甲子園を初出場で制した前橋育英(群馬)は攻守ともに粘り強いチームだった。

 

 6試合のうち4試合が1点差勝ち。サヨナラ勝ちもひとつあった。

 

 決勝の延岡学園(宮崎)戦では0対0で進んだ4回裏に4連打を集められ一挙、3点を失った。四球とエラーが失点に絡んだ。エースの高橋光成には初の自責点がついた。

 

 2点を取られ、なおも2死満塁。ここで延岡学園の9番・横瀬貴広にライト前へ運ばれる。三塁走者に続いて二塁走者も本塁を狙ったが、ライト板垣文哉の好返球で阻んだ。

 

「あれが大きかった」

 

 振り返って監督の荒井直樹は語る。

「だから選手たちには、こう言ったんです。“4点目を阻止したのは大きいよな”って」

 

 5回裏、前橋育英は本塁打、スクイズなどで同点に追いつくと、7回表には4回にエラーした荒井海斗のタイムリーで逆転に成功した。結局、これが決勝点になった。

 

 ミスは仕方がない。次のことを考え、それを取り返すことに全力を尽くせ――それが荒井の指導法である。

 

「だから僕はミスをしても責めません。プロだってエラーはするんですから。ただミスをした後、諦めたり手を抜くようなことをしたら叱ります。どうすればミスを取り返せるか。選手たちには、それを考えてもらいたいんです」

 

 ノックをする。選手がボールを弾く。しかし荒井は「もう1丁」とは言わない。なぜなら、試合にもう1丁はないからだ。

 

「選手には“練習自体が試合だ”と言っています。試合のつもり、本番のつもりではうまくなりません。繰り返しますがエラーは仕方がない。次にどうするか、周りの選手は、どうフォローするか。こちらの方がはるかに大事なんです。選手たちには、あらゆる状況を想定しておいてもらいたいんです」

 

 神奈川の日大藤沢高時代はピッチャーだった。一学年下に48歳の今も現役を続ける中日の山本昌がいた。3年夏には2試合連続でノーヒットノーランを達成した。

 

 卒業後は社会人野球のいすゞ自動車へ。ピッチャーとしては芽が出ず、4年目に野手に転向した。

 

 都市対抗には7回出場し、31歳まで現役を続けた。だが、いい思い出ばかりではない。

「1993年の都市対抗はファーストを守っていた僕のエラーで負けたんです。“あれを捕っていたら決勝まで行けましたね”って今でも皮肉を言われます。

 

 選手時代にも、指導者になってからも、僕にはうまくいかなかったことの方が多い。だから選手には諦めずにやることの大切さを教えたいんです。そのためには平凡なことを、手を抜かずに徹底して積み重ねなければなりません。

 

 野球のプレーで言えばキャッチボールだったりバックアップだったり、あるいは全力疾走だったり……。これらを辛抱強くやり続けることで道が開けてくるんです」

 

 荒井が説く「凡事徹底」とは、何も特別なことを意味しない。当たり前のことを当たり前にこなす。これは難しいことを、たまにやってのけるよりはるかに価値がある。

 

 歓喜という名の非日常は、実は凡事という日常の延長線上にあるものだと荒井は言いたいのである。

 

「だから野球以外の面でも、口うるさく指導してきました。特に掃除や服装については。甲子園では朝、散歩しながら、必ずゴミ拾いをしました。これは寮生活でも、毎日やっていること。何事も決めた以上は徹底することが大切なんです」

 

 自らも寮に住み、選手たちの食事は夫人が作る。何気ない夫人のひと言でハタと気が付くこともあるという。

 

「女房に言わせれば、洗濯物のたたみ方ひとつで、その子の心理状態がわかると言うんです。例えば、これまでは丁寧に洗濯物をたたんでいた子が、急に雑になってきた。

 

 その場合、女房は“最近、あの子どうなの?”と聞いてきます。“確かに、もうひとつかなぁ……”と。このように何気ない日常生活の中から、いろいろなものが見えてくる。全ては野球につながっているんです」

 

 指導は話法にまで及ぶ。優勝後、前橋育英の選手はインタビューの受け答えがしっかりしていると評判になった。

 

 それには、次のような理由があった。

「ウチでは毎朝、2、3人の選手が“1分間スピーチ”を行います。1分間って意外に長いんですよね。原稿用紙にすると大体、400字1枚分。それを頭の中で整理してきちんと話さなければならない。

 

 最初のうちは10秒くらいで終わってしまう子もいます。それが慣れてくると、だんだんしゃべれるようになる。マスコミの方から“皆さん、ここの選手はしっかりしゃべれますね”と評価されたのは、こうしたトレーニングの成果かな、とも思っています」

 

 前橋育英の監督に就任して12年、ずっと選手とのコミュニケーションを大切にしてきた。

 

「やってみせ、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」

 とは連合艦隊司令長官・山本五十六の言葉だが、ここでも社会人時代の失敗の経験が役に立っている、と荒井は言う。

 

「先輩からよく言われました。“お客さんとトラブルがあれば、まず先方に出向け。電話じゃダメだぞ”と。確かに、そうなんですよね。人間、面と向って話をすれば、10分も続けて怒る人は、まずいない。最後は“お茶でも飲むか、メシでも食べるか”となるわけです。

 

 僕だってそうです。最初から選手を頭ごなしに叱ったりはしません。ただ、とにかく報告だけはしろよと。そして次どうすればいいかを考える。これも野球と一緒ですよ」

 

 失敗をしない人間なんていない。大事なのは、どう対応し、次にどう生かすか。なるほど野球とは実人生そのものである。


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