高校野球の名門・PL学園が今夏限りで休部となった。再開どころか、「このまま廃部になるのではないか……」との声が絶えない。

 

 

 甲子園通算58勝の元監督・中村順司は「OBはみんな寂しい」と語っていた。

 休部の理由は、たび重なる暴力による不祥事。2015年度からは新入部員の募集を停止していた。

 

 昨年、高校野球は100周年を迎えた。NHK「サンデースポーツ」が行った視聴者アンケートによると、「最強チーム」は1983年から85年にかけてのPL学園だった。

 

 中心選手は言うまでもなくエース桑田真澄と、この2月に覚せい剤使用容疑で逮捕された4番の清原和博である。

 

 選手には1年夏から3年夏まで最多で5回、甲子園に出場するチャンスがある。

 桑田と清原を中心とするチームは5回のチャンスを全てモノにし、優勝2回(83、85年夏)、準優勝2回(84年春夏)ベスト4・1回(85年春)と輝かしい戦績を残した。この間、23勝3敗、勝率8割8分5厘。まさに「最強」である。

 

 KK時代も含め、PL学園は春3回、夏4回、計7回も甲子園を制している。

 

 初優勝は1978年の夏。「エースで4番」は広島カープ最後の優勝(91年)に貢献した西田真二だ。中京との準決勝は4点差を最終回に追いつき、延長でサヨナラ勝ち。高知商との決勝は、これまた2点差を最終回で引っくり返したものだから“逆転のPL”と呼ばれるようになった。

 

 PL学園はプロ野球にも多くの人材を送り込んだ。2000本安打を達成したOBは、立浪和義、宮本慎也、清原、加藤秀司、新井宏昌、福留孝介(日米通算)、松井稼頭央と7人もいる。こんな高校は、他にない。

 

 いま名前をあげた7人の選手は全員がダイヤモンドグラブ賞(ゴールデングラブ賞)にも輝いている。

 

 PL学園の出身者がプロで大成する理由を、宮本はこう語っていた。

「嫌だったのは1年生の時のシートノック。上級生が全くエラーをしないんです。そこで1年生がポロッとやると流れが止まる。皆、機嫌が悪くなっちゃう。

 

  あのプレッシャーは試合の比ではなかった。精神的にものすごく鍛えられた。実際、それに耐えられなくて潰れていった人もいる。今思い出しても緊張しますね」

 

 全寮制のPL学園は上下関係に厳しく、それが不祥事の温床となっていた。非を改めることで出直す道は残されていないのか……。

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2016年8月12日号に掲載された原稿です>

 


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