今夏のリオデジャネイロ五輪で、柔道は男女合わせて過去最多となる12人のメダリストを生んだ。男子は全階級でメダル獲得という偉業を成し遂げた。日本人男子第1号メダリストとなったのは、高藤直寿だ。60キロ級の準々決勝で敗れたあと、敗者復活戦を勝ち上がり、銅メダルを獲得した。高藤の柔道のスタイルは独特で、世間ではそれを「高藤スペシャル」と呼ぶ。型にはまらない彼の戦い方はどのようにして生まれたのか――。その原点を探ってみよう。

 

<この原稿は2014年8月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 

「目立たないと勝っても意味がないんですよ」

 普通の柔道家がこんな大口を叩いたら嫌味に聞こえるが、この男だけは別だ。なぜなら彼は「有限実行の男」だからである。

 

 高藤直寿、21歳。

 劇画にでも出てきそうな派手な技を次から次へと繰り出し、相手を宙に舞わせ、畳に叩きつける。

 その名も「高藤スペシャル」。彼の試合は、大仰ではなく一瞬たりとも目が離せない。

 

 この4月、福岡で行われた全日本選抜体重別選手権もそうだ。まず1回戦、2分10秒過ぎのことだ。高藤は北原隆文の腰を抱えると、えびのように体を反らせて後方に投げ捨てた。プロレスでいうフロントスープレックスである。

 

「抱分(だきわかれ)」という珍しい技で一本勝ち。相手の動きに応じて無意識のうちに投げてしまっていたのだという。

 

 決勝戦も高藤の独壇場だった。石川裕紀に先に横車で「有効」を奪われながらも、残り2分を切ったところで大技が飛び出した。もぐりこんで相手の腰帯を右手でつかみ、豪快にぶん投げたのだ。

 

 今度は「移腰(うつりごし)」。相手が半身で倒れたため、一本にこそならなかったが、堂々の技あり。この大会、初優勝を果たした。

 

「常に、どうすれば相手の背中を(畳に)つかせられるか。それだけを考えてやっています」

 試合を振り返って、高藤は言い、続けた。

「皆さん、“相当、腹筋や背筋が強いんだろう”と言うんですが、決して、そんなことはありません。ただ、自分では相手の背中をつかせるための最小限の動きをしているだけ。(相手の体に)入ったら投げているという感じなので、力を使っている意識は全然、ないんです」

 

 まさしく柔よく剛を制す――。これぞ柔の極意である。

 

 栃木県下野市出身の高藤は7歳で柔道を始めた。警察官だった父親に基礎を教わった。小学5年の時、新設された全国小学生学年別柔道大会(40キロ級)に出場し、初代王者に。翌年は45キロ級で優勝を果たした。

 

 中学は柔道の名門・東海大相模へ。3年時に全国中学校柔道大会(60キロ級)で優勝。高校では2年時にインターハイ(同級)を制した。

 

 順風満帆だった高藤少年の前に立ちはだかったのが、ルール変更という壁である。

 09年、国際柔道連盟のルール変更により、足取りが反則とされてしまったのだ。これは足取りからの肩車を得意にしていた高藤にとっては羽根をもがれた鳥も同然だった。

 

 新ルールが試験適用された同年9月の全日本ジュニア体重別選手権では足取りによる反則負けの国内第1号に。13年からは足取り禁止が一層徹底され、周囲からは当然のごとくスタイルの変更を求められた。

 

 しかし、ここで高藤は踏みとどまる。そして考えた。

「スタイルを変えろと言われても、今までやってきたことを急に変えることはできない。それよりも自分の柔道を否定されることの方が嫌でした。違う柔道をやって勝ったとしても、それは自分じゃない。だったら、行けるところまで、このスタイルを貫いてみようと……」

 

 小柄な高藤はもともと奥襟を取りにくる相手が苦手だった。奥襟を取られると頭が下がり、組み負けた。

 

「でも、そこで相手には油断が出てくると考えたんです。組み勝っている間は、相手は“少なくとも投げられはしないだろう”と思うはず。そこへ、こっちが殺気を感じさせず、スッと懐へ入っていく。足取りがダメなら腰を持って投げればいい。

 最近は僕の技を警戒して奥襟を取らない選手も増えてきました。これはこれでいいんです。僕は投げられるリスクが減るかわりに、攻めの選択肢が増える。柔道の幅が広がりましたね」

 

 ルール変更や体のサイズといったハンディキャップをいかにしてアドバンテージに転じるか。この“逆転の発想”を支えたのは比類なき「独創性」だった。

 

 語るのは東海大・上水研一朗監督。

「彼は常に先取りをするんです。ルールが変わるのであれば、こういう対策をしないと勝てない、と。それを誰かから教わるのではなく、自分で発想し、解決しようとする。彼はルール変更が明らかになった時点で、自ら進んで新しい技の打ち込みを行っていましたよ」

 

 そして、こう続けた。

「彼のような“先見力”のある学生は、柔道選手の中でも珍しい。こちらがアドバイスをして自分なりの柔道をつくっていく選手はいますが、彼は独自の発想で未来を切り拓いていく。こちらが何も言わなくても、ちゃんと先のことを考えているから安心して見ていられます」

 

 初出場初優勝を果たした13年の世界選手権(リオデジャネイロ)でも、高藤スペシャルは炸裂した。

 準決勝のキム・ウォンジン(韓国)戦では肩車と大腰で合わせ技一本。決勝のアマルトゥブシン・ダシダワー(モンゴル)戦では一本こそ取り消されたものの、足を取らない肩車で2度も相手をひっくり返し、優勢勝ちを収めた。

 

 東海大の先輩にあたる男子代表監督の井上康生からは、試合前、「オレ(が監督になって)の第1号の金メダルはオマエしかいない」と肩を叩かれた。そして試合後は、「(世界チャンピオンという目で)周りは見ているんだぞ」と釘を刺された。

 

 天真爛漫。求道者のイメージからは遠い。

 道場を出れば、どこにでもいる“いまどきの若者”だ。ツイッターにも凝っている。

「勝った時はリツイートがすごい。フォロワーがグンと増えました。でも、柔道よりもサッカー選手や芸能人との写真をアップした時の方が多いかな」

 

 現在、フォロワーは4900人を超える。

「でも、まだ公式アカウントのマークはもらえていないんです。オリンピックで金メダルを獲ったらもらえますかね」

 

 野性児は2年後のリオに、はっきりと照準を合わせている。


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