リオ経由ロシア行き。

 五輪代表のなかで最もW杯に近いと言えるのがアーセナルからドイツ2部のシュツットガルトにレンタル移籍したFW浅野拓磨だろう。

 

 チームはグループリーグで敗退したものの、五輪で株を上げた一人だと言える。初戦のナイジェリア戦では左足ヒールで“技あり”のゴールを決め、続くコロンビア戦では味方のパスワークから左足で強烈なシュートを突き刺した。

 

ゴールもさることながら、コロンビア戦のパフォーマンスは圧巻だった。裏を狙うそのスピードで相手守備陣を翻ろうし、ストレスを与え続けた。アーセナルのアーセン・ベンゲル監督が目をつけた期待の星であることを、彼は世界の舞台で証明したのだった。

 

 五輪が開幕する前、浅野の恩師である四日市中央工業高校の樋口士郎監督に話を聞く機会があった。樋口監督は高校サッカー界の名将として知られ、小倉隆史(前名古屋グランパス監督)、中西永輔(元日本代表)、DF坪井慶介(湘南ベルマーレ)らを育てている。浅野は高校時代、3年連続で全国高校選手権に出場し、2年時には得点王に輝いている。

 

 恩師はリオでの活躍を予感していた。1月に行なわれた五輪アジア最終予選のプレーに、目を奪われたという。

「浅野のことはもちろんずっと見てきたつもりです。でも体つきを見て“あれっ、こんなにごつかったかな”と思いました。決勝の韓国戦では2ゴールを挙げた。ダイアゴナルに入っていってパスを受けてシュートという1点目は高校時代から得意だったパターンでした。ランニングしながらでもゴールキーパーの位置をきちんと確認できるという浅野の良さが出ましたよね。でも驚いたのは2点目でした。ボールが来る前、(マークにくる)相手に体をわざわざぶつけておいてからクルッと反転して前に向かい、追いかけてくる相手の前に入ったんです。そしてキーパーの動きを見て、左足で決める。スピードだけじゃなく、パワーがついたから幅が広がっているなと感じました。全体が見えているという強みもありますし、こういった成長をベンゲルさんは見てくれたのかなと思いましたね」

 

 スピード、パワー、駆け引き。そして大事なところでゴールを奪う「勝負強さ」が浅野にはある。これは四中工時代から培ってきたものだ。

 1年時から試合に出ていたものの、シュートを打てる場面でも周りが見えるからこそパスを選択していたことがあった。樋口は常に「自分で勝負しろ」と浅野に言い続けた。得点王になった高校2年の全国高校選手権がターニングポイントだったという。

「1回戦の彼と決勝の彼では別人でした。たった2週間の間にいろんな部分でものすごく成長した。将来、Jリーガーになりたい、日本代表になりたいという目標を明確に意識するようになり、強引にでも行くようになった。自分のゴールでチームを勝たせたい。そういう意識もグッと出てきました。一番シビアな状況で、点を取っていく。そういう星のもとに生まれているんじゃないかなと思います」

 

 四中工のエースナンバーと言えば、小倉がつけていた「17」だった。だが、浅野は1年時にもらった「16」にこだわった。

 樋口は懐かしそうに振り返る。

「2、3年になって周りも浅野が17番をつけると思っていたのに彼は『16番をエースナンバーにしたい』と頑なでした。素直で優しい子ですけど、芯の強さがありました」

 リオ五輪でも彼は16番を背負い、ジャガーのようにピッチを駆け回り、ジャガーのようにゴールを仕留めた。

 

 日本から世界へ――。

 英国の労働許可証を取得できずに今季アーセナルではプレーできないものの、シュツットガルトで海外挑戦をスタートさせる。

 

 浅野拓磨が日本のエースになる日は、きっとそう遠くない。


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