1609usami30「逃げないプレーができるし、伸びる可能性があるなと思いました」。立命館大学で宇佐美和彦(キヤノンイーグルス)を指導した赤井大介コーチは出会った当初の印象を口にする。当時(大学3年)の宇佐美は不器用な部分があったものの、練習を真摯に取り組める謙虚な心を持っていた。一方の宇佐美は赤井の存在を「出会っていなかったら、自分はここまで伸びていなかったと思う」と言う。それまでの2年間は「記憶にない」ほど苦しんでいた宇佐美だが、“恩師”の教えで大きく成長した。

 

 2010年に入学した立命館大の同期に、現在もキヤノンで共にプレーする庭井祐輔と嶋田直人がいた。「プレーに真面目さは出ていました。ただラグビーは知らないなというところはありました」と庭井。一方の嶋田は「すごく身長の高い選手やったけど、身体はまだできていませんでしたね」と当時のイメージを話す。この時点での宇佐美は未完の大器に過ぎなかった。

 

 立命館大には西条高校とは比べ物にならないほど練習環境が整っていた。筋力トレーニングをまともにしてこなかった宇佐美は面食らった。「最初はベンチプレスで60キロ、70キロしか挙がらなかった。懸垂も0回。ウエイトトレーニングをした後は、パスが放れないぐらい筋肉痛になっていました。“これでついていけるのかな”と思いながらやっていましたね」。コツコツと積み上げることは苦手ではない。不安はあったが、心まで折れることなかった。

 

 ジャパンを経験も膨らむ悔しさ

 

1609usami29 190センチを超える上背もあって1年時からAチームでリザーブに入った。試合出場し、U20日本代表にも選ばれるなど、周囲の評価も決して低くはなかった。本人にとっては「記憶にない」2年は記録だけを見れば悪いものではない。だが、宇佐美自身は自信も手応えも「全くなかった」という。“こんな自分が試合に出ていいのか”とまで考えていたほどだった。

 

 赤井が立命館大のFWコーチに就いたのは、宇佐美が大学3年になる年だった。赤井にとっては指導者1年目。オーストラリアでのプレー経験のある赤井は海外のコーチングを参考にしていた。「向こうは結構フレンドリーで、教える時は教えるとオンとオフがしっかりしていました」。赤井が学生の“兄貴分”的存在になったことにより、チームの風通しは良くなった。宇佐美は「練習も面白くなった」と証言する。

 

「赤井さんには全部教えてもらったような感じです」と宇佐美。中でもハイボールのキャッチングは徹底的に教え込まれた。「僕はいつもジャンプして捕る際の踏み切り脚が逆だった。それはすごく馬鹿にされましたね」と宇佐美は苦笑いする。一方の赤井は「細かいことは下手くそでしたが、落下地点を見極めるのはうまかった。それは彼の野球経験が生きていたのかなと思います」と振り返る。時には付きっきりでのマンツーマン指導。宇佐美は赤井が「アイツの才能」と評する元来の真面目さで、コツコツと積み上げていった。

 

 右肩上がりに成長していく立命館大と宇佐美。関西大学ラグビーAリーグで10年度6位、11年度4位だった成績は、優勝した天理大学に次ぐ2位に入った。宇佐美自身はエディー・ジョーンズがヘッドコーチを務める日本代表合宿に招集されるなど、注目が集まり始めていた。日本ラグビー協会の若手育成プロジェクトである「ジュニア・ジャパン」のスコッドにも名を連ね、IRBジュニア・ワールドラグビートロフィーに、U20日本代表として出場した。

 

 充実したシーズンにも思えるが、宇佐美の胸には悔しさばかりが募った。ジュニア・ジャパンでは出場機会に恵まれなかった。「それがものすごく悔しくて、4年生の時にはやってやろうと思いました」。全国大学ラグビーフットボール選手権大会ではセカンドステージで帝京大学に敗れ、準決勝進出はならなかった。宇佐美と立命館大は“打倒・帝京”を合言葉に新シーズンを迎える。

 

 涙のジャージ渡し

 

1609usami32 宇佐美の変化を同期の嶋田はこう感じ取っていた。「ジュニア・ジャパンや代表に呼ばれて帰ってくると、練習もさらに意欲的に取り組んでいました」。コーチの赤井は「最終学年になって責任が芽生えてきた気がします。プレー面でも伸びてきたなという印象がありました」と証言する。

 

 日本代表にも引き続き呼ばれていた宇佐美。大学に戻っても、持ち味の献身的なプレーでチームの躍進に貢献した。立命館大は関西大学ラグビーAリーグの最終戦で前年度王者の天理大を倒し、12年ぶりにリーグ優勝を果たした。“打倒・帝京”を胸に大学選手権へとコマを進めた。

 

 しかし、結果は1勝2敗で帝京大の待つ準決勝の舞台に立つことはできなかった。宇佐美にとっては、大学ラストシーズンに懸ける想いは強かったはずだ。既にセカンドステージ敗退の決まった第3戦にも、それは色濃く表れていた。

 

 公式戦前に行われる“ジャージ渡し”は試合に登録されるメンバーのみが背番号付きのジャージを受け取る儀式だ。部員全員に一言述べる機会で、宇佐美は号泣しながら勝ちたい想いを伝えた。赤井はその時のことを今でも忘れられないという。「いつもは定型文のようなことしか言わないアイツが、泣きながら言葉に詰まっていた。それを見て僕もブワーッと泣きました」。宇佐美は穏やかな性格で感情を表に出すタイプではない。だからこそ赤井は余計に心打たれたのである。

 

 “理想”のタックル

 

 そして迎えたセカンドステージ第3戦は東大阪市花園ラグビー場で行われ、関東大学ラグビー対抗戦Aリーグの名門・明治大学と対戦した。立命館大は明大にペナルティーゴールで先制されたものの、前半30分にトライを奪って逆転。39分には宇佐美が敵陣でボールを持って前進し、最後は味方のトライに繋げた。12-3で前半を終えた立命館大は、明大の反撃を7点に抑えて12-10で勝利を収めた。明大戦初勝利で歓喜に沸く立命館大。中林正一監督も人目をはばからず涙した。

 

1609usami31 キャプテンを務めた庭井も試合中にいつもと違う宇佐美に驚いた。

「後半の苦しい時間帯で、相手のタックルを受けて肩を痛めたんです。その時にうずくまっていたら、宇佐美から『立て!』と檄を飛ばされました。彼からそんなことを言われたことは全然なかったので、僕もハッとなった」

 

 コーチの赤井には、試合中にも忘れられないシーンがある。宇佐美が相手のフルバックに見舞ったタックルだ。「ドンピシャのタックル。地味なプレーヤーですけど、そのタックルだけは思いっきりバチンと入りました」。宇佐美らしく低い姿勢から入って、相手に突き刺さった。赤井は「教えたことを体現してくれた。コーチ冥利に尽きますね」と振り返った。

 

 だが宇佐美の方はそのタックルについては、「あまり印象に残っていない」という。それだけ無心で試合をしていたとも取れるが、彼にとって“当たり前”のプレーだったのかもしれない。時に赤井と二人三脚で磨き上げたラグビースキル。恩師が理想と感じたタックルは日々の練習で宇佐美の身心に染みついていたのだろう。

 

 大学4年間で、大器はゆっくりだが徐々に花開きつつあった。次なるステージはトップリーグ。彼が更なる成長を求めて選んだチームは新興勢力のキヤノンだった。

 

(最終回につづく)

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1609usami1宇佐美和彦(うさみ・かずひこ)プロフィール>

1992年3月17日、愛媛県西条市生まれ。キヤノンイーグルス所属。小中は野球部に所属し、高校からラグビーを始めた。ポジションはロック。愛媛県西条高校では全国大会への出場はなかったものの、才能を買われて関西大学Aリーグの強豪・立命館大学に進んだ。U-20代表、日本代表候補にも選出された。14年、キヤノンに入社。恵まれた体格を生かし、1年目から主力としてプレーした。15年4月の韓国戦で日本代表初キャップを刻む。 同年W杯イングランド大会は最終スコッドにこそ入らなかったが、バックアッパーメンバーに選ばれた。現在は9キャップ。身長197センチ、体重117キロ。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

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