優勝マジック3の首位・北海道日本ハムは4年ぶりの頂点に向けて着々とマジックを減らしています。今回は日本ハムOBである岩本勉さんに21、22日に行われた福岡ソフトバンクとの首位攻防戦について語ってもらいます。

 

 首位攻防戦はエース級の投げ合いで、非常に見応えのある試合でした。天王山第1ラウンド、日本ハムの先発は大谷翔平です。大谷は7月以降、野手に専念していたため、2カ月ぶりの先発復帰。この1戦に照準を合わせて何週間も前から準備をしていたのでしょう。大谷は8回1失点と素晴らしいピッチングでした。

 

 好投する大谷のピッチングを見て奮い立った野手たちは、独特な緊張感の中で生まれる“ゾーン”に入っていたように感じられました。僕も現役時代に“ゾーン”に入った経験がありますが、ある一定の領域に入ると、自分の想像を超えた超スーパープレーが飛び出すものなんです。まさに、1戦目の9回裏に飛び出した陽岱鋼のスーパーキャッチはそれ以外の何物でもないでしょう。

 

 簡単にこのシーンを振り返りましょう。場面は9回裏2死二、三塁。一発が出ればソフトバンクが逆転サヨナラの場面です。江川智晃が放った打球はセンター方向に大きく飛んでいきました。前進守備を敷いていた陽は、背中を向けて一直線に走り、見事にキャッチ。ソフトバンクファンの歓声がため息に変わった瞬間でした。

 

 メジャーリーグの殿堂入りプレーのひとつに、ジャイアンツなどで活躍したウィリー・メイズの「The Catch」がノミネートされています。1954年、ジャイアンツとインディアンスとのワールドシリーズ第1戦で、メイズの背走キャッチがインディアンスの勝ち越しを阻んだのです。試合はジャイアンツがサヨナラ勝ちを収めました。そのまま勢いに乗ったジャイアンツは4連勝でワールドチャンピオンに輝くのです。

 

 陽のプレーを見ていて、メジャーリーグ史上最高のファインプレーとも称賛されるシーンを思い出しました。大谷の好投にはじまり、2回に飛び出したブランドン・レアードの一発があり、締まった試合の中で“ゾーン”に入っていった陽が、自分でも出会ったことがない自分に出会えたのでしょうね。

 

 メジャーで背走キャッチが殿堂入りしていることからも分かるように、真後ろの打球を捕球するのはすごく難しいんです。しかも、陽が守っていた位置から打球の落下点まで約40メートルありました。8月に負傷したあばら骨のヒビがまだ完治していない状態で、陽は身を粉にして戦っている­。そんな姿­を見て、日本ハムナインたちが奮い立たないわけがありません。あのプレーはチームに勢いを生んだ“平成のナンバー1のプレー”といっても過言ではないと思いますよ。

 

 流れに乗った2戦目は、大卒2年目の有原航平が6回2失点で2カ月ぶりの白星を掴みました。カットボールからフォークボールを中心にしたピッチングに変えたことが見事にはまりましたね。ソフトバンク打線は意表を突かれた感じでしょう。彼は連敗中に何か変えないといけないと思った結果、ピッチングスタイルを変えることに辿りついた。シーズン中にピッチングを変えることはなかなか難しいことですが、それができた有原はまた一皮むけたと思いますよ。首脳陣のなかで、有原は短期決戦の4、5番手候補だったと思いますが、これで一気に2~3番手に昇格したのではないでしょうか。

 

 日本ハムがソフトバンクとの直接対決で2連勝しましたが、まだまだ油断は禁物です。正直、今季のソフトバンクと日本ハムの戦力は同等です。リーグ3連覇を目指すソフトバンクは底力があるので、最後までもつれるでしょうね。パ・リーグのペナントレースは最後まで目が離せません!

 

<岩本勉(いわもと・つとむ)プロフィール>
1971年5月11日、大阪府生まれ。阪南大高から90年にドラフト2位で日本ハムに入団。6年目の95年から1軍に定着し、翌96年には初の2ケタ勝利をマークする。98年と99年には2年連続、開幕投手で完封勝利(パ・リーグタイ記録)を収め、11勝と13勝をあげる。チームのエースとなり、「ガンちゃん」のニックネームで愛された。05年の交流戦ではパ・リーグでは指名打者制導入後、日本人投手としては初となるホームランを放つ。同年限りで現役を引退。現在は野球解説者、スポーツコメンテイターとしてTV、ラジオを中心に幅広く活動中。現役時代の通算成績は239試合、63勝79敗3セーブ、防御率4.44。オールスターゲーム3回出場(98〜00年)。


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